第7話 自信と地震

「歌舞伎町が誇る名門キャバクラのNo.1みたいですが、悪い噂はないですか」


「一つや二つは当たり前だ、甘えるな」以前の僕であれば、説教口調で小言の一つや二つも言っていたが「何かあれば、連絡する」彼が期待している模範解答と笑顔で応じた。




何人かの伝手を辿って、情報収集をしてから、名門キャバクラで彼女を本指名した。


「先日、某所でお見掛けしました」歴戦の強者を洞察力に舌を巻きながらも、平然を装って会話を楽しんでいると「大切なお客様なので、VIPに移動します」突如宣言した。




No.1ともなると発言力は絶大であり、豪華絢爛に装飾された個室に案内された。


恥ずかしい話であるが、支払金額を心配して「手元不如意なのですが、VIPってお高いんですよね」自腹豪遊する破目を嘆くと「お代金は頂かないので、ご安心下さい」




情けない話ではあるが、乗り掛かった船を後悔していたので、胸を撫で下ろした。


暴対法の影響によって、肥大化したスカウトグループが誇るNo.1であり、代表者が一旗を上げた当時から、一蓮托生の関係であることを淡々と話すので、再び後悔した。




後ろ盾であった暴力団との蜜月は過ぎ、利害が対立して、一触即発の状態であった。


代表者とは戦友であっても、男女の関係でもなく、関係の清算を計画している矢先だったから、僕達の悪戯に乗ることにしたと宣言したので、軽い火遊びを心底後悔した。




「費用面及び安全面には、最大限の配慮をさせて頂きますので、ご安心下さい」


出来心から始まった悪戯によって、荊冠及び十字架を背負わされる重すぎる代償に楔を打ち込むように「彼は精神面に問題がありそうなので、計画を明かさないで下さい」




「僕も精神面に問題があるので、なかったことにして下さい」土下座したかった。


悪魔の微笑に対しては、蛇に睨まれた蛙のように無力であり、引き攣ったまま首を縦に振るしか選択肢は残されておらず「彼に対しては、何と説明すれば」助言を乞うた。




「一目惚れなので、王様のように振る舞って大丈夫」能天気であることを祈った。


「時折、遠くを見詰めるような表情になるので、少し不安だけど大丈夫ですか」危機回避能力が若干あることに感心しつつ「一目惚れなので、王様のように振る舞って大丈夫」




彼よりも、僕が大事と、思いたい、申し訳ない気持ちで活舌が悪くなってしまった。


「苦節三年、盆と正月が一緒に来ました」勘付くどころか、能天気に喜ぶ彼を見て、少し罪悪感で心が痛んだが、演技力に期待できる筈もなく、これでいいのだ、と割り切る。




彼女からのプレゼントに身を纏った彼は、生来の端正な容姿も洗練されて、見違えた。


一挙手一投足に自信が満ち溢れて、誰が見ても羨む美男美女に見えるだけでなく、心なしか彼女の方が満面の笑みを湛えて、嬉しそうであり、本当に一目惚れなのかと思った。




歌舞伎町でも滅多にお目に掛かれないシャンパンタワーで盛大な引退興行を実施した。


突然、白馬の王子が降臨したことに歌舞伎町に激震が走ったが、堂々とした彼の挙措に対して、何の疑いも持たれず、灰被り王子である化けの皮は剥がされなかった。




彼の借金も彼女が全額肩代わりしたので、二人揃って独立する噂も飛び交った。


身内同然の彼女が、公然と代表者に反旗を翻したので、報復による全面対決をも危惧して、戦々恐々としながらも、竜虎の対決の行く末を、固唾を飲んで見守るだけだった。




彼女の彼に対する献身は、全く自然で嫌味がなく、評判は日を追う毎に高まった。


格から言えば、彼に引退興行は必要なかったが、彼女によって過去に類を見ないシャンパンタワーが用意されて、最高級のシャンパンを注ぐだけのお膳立てが整っていた。




皮肉なことだが、元夫に自尊心を傷付けられ女性が、僕の挙動に疑念を持った。


No.1ホステスとの綿密な計画だけでなく、二年間限定で小説家を目指す僕が、主題に選んだ虐げられる女性の実態を取材した全資料を偶然、見付けられてしまった。




恋愛感情とは別物であると、一人合点していたが、時として信頼は依存に繋がる。


心的外傷後ストレス障害により、何も出来なくなっていた女性は、愛犬の存在を拠り所に再生を図り始めており、近隣公園への散歩や買い物から第一歩を踏み出した矢先だ。




出来なかったことが出来る、他者の為に何かが出来ることは大きな自信に繋がる。


華やかな人生を歩み、常に脚光を浴び続けた彼女にとって、折り返し点で初めて詫び暮らしを経験して、人生そのものを全否定される衝撃であり、僕には荷が勝ち過ぎた。




親切にして貰って、嬉しかったけど、取材対象として、食い散らかされて気色悪い。


時折、抱き締めてくれたのは、何なの、友達も降りるわ、金輪際私には関わらないで下さい、私にも私の人生があるので、事前に説明するが、女性に限って匂わせていた。




この期に及んで、釈明しようと電話を掛けたが、着信拒否されて、万事休すだ。


夜職から昼職への転身が困難であり、女性の経験は掛替えのない貴重なものであると考えていたが、一番大事な彼女の気持ちに寄り添う態度が掛けていた致命的な失策だ。




自尊心を傷つけられて、心を閉じてしまった彼女の自律回復を僕は再度、圧し折った。


積極的な喜楽と異なり、消極的な怒哀は決して第一感情ではなく、期待及び願望が裏切られた結果、生じる第二感情なので、裏切り行為は見過ごすことの出来ない罪過だ。




計画から離脱したいことを打ち明けると「この期に及んで、その選択肢はありません」


反論を試みるも「それは、あなたの問題です」射竦められて、何も言えなかった、ひとつ屋根の下、の歌詞が頭の中で流れ続けていた、根回しや空気を読めない僕の悪癖だ。




幸せになって下さい、さようなら、今まで本当にありがとうね、追伸が届いた。


怒りに任せて、突き放された最初の内容よりも、真に迫っており、修復不可能であることが理解出来たので、これ以上女性を傷付けないことだけが、唯一の選択肢だった。




引退興行の当日は、会場ではなく、ラストソングが聞こえる自宅待機する計画だ。


当日の状況は、主役二人からの伝聞に頼っており、業界にも精通していない僕の描写が拙い点を差し引いて、重箱の隅を突かないで頂きたい、閉店後に三人が集結する。




名門キャバクラよりも手狭な空間に巨大な構築物が、不気味に聳え立っていた。


スターホストの存在も霞んでしまい、三年間も鳴かず飛ばずで、刃折れ矢尽きてしまって、所謂飛ぶのも時間の問題と囁かれていた彼の大逆転による転身は、伝説になった。




完全貸し切りであり、廷臣の如く参加することを屈辱と感じつつも、不参加は禁止だ。


三年間の不遇を吹き飛ばす機会であるが、自信に満ちて精彩を取り戻した彼も少し緊張気味であったが、紅一点であり、絶対的な存在である姫の登場によって、復権した。




最高級シャンパンが惜しみなく、狂瀾怒濤の様相で乱舞し続けて、感覚が麻痺した。


主役二人以外は、完全なる飾り物に過ぎなかったが、其々の役割を粛々と熟さざるを得ず、惑星でもなく衛星に過ぎなかったので、多神教でなく、一神教を思い起こさせた。




クライマックスとなるシャンパンタワーに最高級のシャンパンが注がれ始めた。


虚栄の最たる例であり、参加者全員でも飲み干せず、一本当たりでも派遣社員の給料以上になり、全体で考えれば、常軌を逸脱した浪費であり、信用乗数の波及効果は小さい。




乾杯の発声を目前にして、第一波で平行方向への強襲によって、会場が騒然とした。


第二波は直角方向の剪断波で主要動とも呼ばれるので、為す術もなく、バベルの塔は連鎖的に倒壊してしまい、ガラス片や液体が飛び散り、阿鼻叫喚の大惨状へと変貌した。




アハハハハハ…、女王の甲高く、狂乱に満ちた声が響き渡った後、静寂が訪れた。


遠巻きに離れた集団から女王がゆっくりと歩き始めると「怪我をするから近付くな」唯一、冷静であった彼が王の威厳を持って宣言すると、周囲も冷静さを取り戻した。




「店中の箒と塵取り等の清掃用品を用意して、手の空いた者は買い物に走れ」


「大変申し訳ありませんが、本日のラストソングは中止させて頂けませんでしょうか」オーナー自らの申し出に対して、虚空を見詰める女王に代わり「止むを得ないでしょう」




王が厳かに宣言すると「今日で引退するのに」女王が名残惜しそうに問い質した。


「ラストソングに固執していたが、君のお蔭で大切なことに気付くことが出来た」王と女王は存在せず、同郷の二人に戻っており「手段が目的になり、自分を見失っていた。




「見違えてしまったので、気が付かなかった、本当に申し訳ない」彼が頭を下げた。


合格確実と言われていた彼が、本番に飲まれてしまい不合格であったのに対して、彼だけを追い続けた彼女が先んじて合格すると、献身さえも厭わしくなり、八つ当たりした。




「声は酒焼けしちゃったし、ヘルタースケルター状態なのにどうして、分かったの」


「地震でパニックになった、気が付いたんだ、本当にごめん」涙腺の崩壊で真っ黒になりながら「戊辰戦争の恩讐を超えて、福島県は団結すべき」と力説する彼を応援した。




「もし許してくれるなら、一緒に舘岩に帰って、赤蕪を育てよう」無言で頷いた。


後白河天皇の第二皇子である以仁王に由縁があるとされ、長い歴史を誇る舘岩蕪は、舘岩以外の土地では、決して赤くならない特徴を持ち、彼の実家は有数の生産農家だ。




いつもの時間になっても、ラストソングのマイクパフォーマンスは聞えなかった。


地震発生による異例事態を予想しつつ、万が一不首尾に終わったのではないかと、不安に苛まれながら、彼からの連絡を一日千秋の思いで、今か今かと待ち構えていた。




女王の離反によって、最大規模のスカウト狩りによる惨劇が、繰り広げられていた。


一触即発であり、誰もが来るべき将来を予想していたが、バベルの塔が崩壊を予兆していたかのような時期に発生したことで、僕の中で、心配の種は急速に発芽し始めていた。




「こんな私を迎え入れてくれるの」不安気に尋ねると「金の草鞋を穿いて探したよ」


慌ただしく閉店すると、二人から連絡があり、僕が彼に初めてあった場所で細やかな宴席を催し、ラストソングは彼と彼女で麦畑をデュエットで熱唱すると最高潮を迎えた。




数日後、都会の敗残者としてではなく、故郷に錦を飾って、凱旋帰郷の途に就いた。


東日本から十年を経て、コロナ禍が蔓延して、終息の目途も経たない状況だからこそ、眠らない欲望の街と呼ばれる歌舞伎町で、心温まる奇跡が起こっても、不思議ではない。




歌舞伎町での生活を満喫しており、私が邪魔をしていると不安になってしまった。


東京近郊に暮らす彼女を訪ねて、存在が邪魔になることはあり得ず、最も弱い鎖である夜職の女性が、昼職へ移行の助力に留まらずに、未然防止の旗手を期待している。




南会津市から二人の連名で、近況報告の手紙が、歌舞伎町の僕の住所に届いた。


彼女の引退を嗅ぎ付けた暴力団によって、最大規模のスカウト狩りが発生して、代表者を筆頭に幹部の消息が不明となり、壊滅的な打撃を受けたが、関与を否定していた。




女性を搾取するビジネスモデル及び自分の健康に対する限界を常々感じていた。


後遺症により、農作業は配慮して貰っているが、郷里の水は肌に優しく、軽作業と近所の児童を集めた寺子屋を始めて、来秋には第一子を出産予定だ、幸せが溢れている。




彼女の健康状態を憂慮しながら、これからは、彼が支え続ける覚悟も表明していた。


彼の父が要職を務める農業協同組合で青年部にも加入して、限界集落化を避けるべく、様々な施策を検討する中で、提唱する屯田兵も会津の気風に向いており、賛同していた。




僕は二人の思い出を胸に、見上げると東京にも小さいが空は、確実に存在していた。


一歩一歩確実に前進することも必要であるが行き詰った時にこそ、上を向いて歩こう、身近な人から笑顔にしていこう、僕が一番欲しかったもの、きっと見付けられる筈だ。

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ラストソングが消えた夜 糸田三工 @itodathank

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