海中で花火を上げたくて

まっち逗子

海中で、花火を上げたい

ふところにしまっていたマッチ箱を手に取り、薄い鉄扉を背で抑える。水中の建造物の中だと、声はよく反響するものだ。


何故なにゆえこんなことをするんだ、新川あらかわァァァァァァアアア!!」


今日も相も変わらず、「クズしま」はせわしなく喚いている。背にした鉄扉を叩く音も、彼によるものだ。


「なぜって、あなたが統制紛いのことに手を伸ばしたからでしょう。そのせいで大勢の命が失われた。これ以上苦しみを生まないためにも、僕が終わらせる」


「どの道、こんな腐った世界も長くは続かない……」そう小声で付け加える。それを聞き取った「クズ嶋」は、より一層声を荒らげ訴える。


「馬鹿か貴様はァァァ!? 自らが死ぬその一瞬まで、生を謳歌したいとは思わんのかァ!? ちんのもとで従順に働いておれば、老いるまで生きてゆけるのだぞォ!?」


「クズ嶋」の声が幾度も裏返る。彼にとってはもう慣れたことだ。5年間も共に過ごしてきて、もはや異常なものとも思わなくなっていた。


しかし、気持ち悪いものに変わりはない。


全身に悪寒が走り、身震いする。だが、この声からももう解放されると考えると、自然と落ち着きを取り戻せた。


「クズ嶋」の必死の反論も余所よそに、彼は手元のマッチ箱からマッチ棒を取り出す。箱を片手に着火の姿勢で構えると、配管がき出しの天井を仰ぎながら応える。


「僕が欲しいのは時間じゃない」


「はァあああン!?」


そう、彼が今欲しているのは時間ではないのだ。もちろん、それを繋ぐための食糧でも、水でも、酸素でもない。何事も、彼女には勝らない。


彼が今、鉄臭い酸素を吸い息をしている理由はだた一つ。


彼女の願いを叶えるため――。


     ***


マッチ棒と箱を持つ手を止め、つぐんでいた口をそっと開く。


「……千頭ちがみ 嵐花れんか――、知っていますか」


「あァん、誰だそれはァ!?」


「クズ嶋」は目を見開き、鉄扉のわずかな隙間から彼を覗ことする。照った額からにじんだ汗が、無機質な床にしたたり落ちる。


「やはり、知らないんですね……」


彼はその言葉を皮切りに、腕を落とす。頭に無数の記憶がよみがえるが、一息で収拾をつける。


世界を終わらせる間際に、語ってもいいかもしれない――彼はそう考えた。


「20年前です」


「20年前、東京が地球温暖化を起因とした海面上昇に飲まれてから、日本は変ってしまった、そう周りの大人たちは嘆いていました。日本の研究指針が、国土の完全水没の阻止から順応へシフトした世界で、未来開発の主導権を握ったSIF社に勤めていたあなたなら、それを一番理解していると思います。残念ながら、当時まだ幼かった僕には、変化の全容は理解できませんが」


「ふッ、何を話し出すかと思えば、そんなことか。シェルターの猿どもがこぞって語っていた昔話を真に受けていとは、新川、案外貴様も馬鹿ばかだったのだなァ!!」


「クズ嶋」は興奮し、鉄扉をつま先で蹴り上げる。会話する気を持った彼に、状況打破の希望を持ったのかも知れない。


彼はその態度に呆れ、返答の代わりに「はぁ……」とため息を吐くと、再度淡々と話を再開した。


「SIF社はその4年後、半永久的な文明の存続を目指し、基本的な耐水圧性から海水を利用した発電システムを完備した、『海中生存シェルター』を本州を囲むようにして全国の海域に敷設ふせつし、住民の移住を勧告しました。ここもその一つです。確か、今僕の目の前にある酸素生成機も、永続的な居住計画の一環ですよね」


彼の眼前には、ゴゥンゴゥンと不気味な音を立て稼働する、身長の2、3倍もありそうな機械がそびえている。機械からは四方八方にアルミ製のダクトホースが伸ばされ、天井を伝い、ひと時も休まずに酸素をシェルター中に供給し続けている。


「その通りだとも! それにもう一つ、貴様ら猿どもが無為むいに日々を過ごしていくためにに必要不可欠な設備は、誰が整備し続けてきたのかな、新川くゥゥゥん?」


「クズ嶋」は一拍置き、声高らかに叫ぶ。


「答えは、朕なりィ!! シェルターの施錠後も点検員として移住して、貴様らのためを想って整備してやっていたのだよ! 今日こんにちまで我々をおまもり下さった設備の数々を破壊しようなどという貴様の思考は、この朕……、いや、この『和嶋かずしま王朝』への冒涜ぼうとくとなるのではないかなァァ!?」


明後日の方向に裏返った声が、カラスの鳴き声のように耳をつんざく。


そして、その内容が彼の逆鱗げきりんに触れたのだった。


「ッつ……その『和嶋王朝』こそ、この世界に対する冒涜なんですよ!!」


収めていた憎悪が突沸し、彼はかかとで鉄扉を蹴りあげる。その音に驚いたのか、「クズ嶋」は「おヒョ!!」と奇声を発しながら鉄扉から跳ね退いた。


彼は手に持つマッチ棒とその箱を叩き捨て後ろへ向き直ると、握りしめた拳で鉄扉をおさえる。


「永続的な居住計画が徹底され、何一つ不具合なく設備が稼働していた状況下で、何故なぜ大勢の人が命を落としていったのか分りますか!?」


怒りが声に表れ、「クズ嶋」がおののく。


「……っ!」


「クズ嶋」から声は出ない。彼の口調はさらに熱を帯びていく。


「あなたがシェルターの施錠から2年後に、『和嶋王朝』などという独裁体制をとったからです!!」


「シェルターが完全に水没し施錠された後、外界から遮断され、政治はシェルター内の選挙で公平に選ばれ着任していた統治者が独自に行っていました!」


「でもあなたはその者たちを殺害し、自身の名字をとった自分勝手な王朝を樹立して、苦痛極まりない法律で縛りました。それまでの2年間、当時8歳と幼かった僕が成長できる程までに整えられた環境を、お前は崩していったんです!」


鉄扉を蹴り上げ、蹴り上げ、蹴り上げ、大きな窪みができる。それでも止まず、彼は続ける。


「環境の変化に弱い人間が、何故シェルターという空の見えない環境に突如詰められ、治安を保てていたか分かりますか!? いわゆるご近所関係ですよ。苦楽を共有できる仲間がいたからです! あなたが先ほどから猿どもと呼び、身勝手な法律で死へと追い込んだ者たちがいたからですよ」


「僕にはそれが、千頭だった……」


彼は膝を折り、崩れ落ちる。話すはずのなかった話題が熱を帯び、視界が滲む。


しかし、手だけは懸命に鉄扉をおさえていた。


「千頭――彼女は……、僕と同世代の女性でした。近所の居住区に越していて、天真爛漫な性格を持つ彼女は、僕の居住区を含め、一帯ですぐに人気者になりました。対して僕は、暗い性格で……、居住区どころか、近所の方とも溶け込めず孤独な生活を送っていました」


「クズ嶋」は鉄扉を蹴る音が止んだことを好機こうきと思ったのか、体当たりでじ開けようとする。元より廃材を再利用して後付けした鉄扉だったからか、今にも壊れてしまいそうな程軋み、音を立てる。


しかし、彼の手と当てた膝が、それを必死に拒む。


「でも、彼女はそんな僕でもこころよく話をしてくれました。内容は、地上にいた頃好きだった駄菓子をもう一度を食べたいとか、好きだった漫画の続刊が見たいとか、子供らしい、ありふれた話でした。でも、他の人と変わらずに喋ってくれることが、僕にとって何よりも嬉しかったんです……。そして何時いつしか好きになって、結婚を夢見たり……、なんて、ありきたりな話ですよね」


彼は鉄扉から手を離さずに立ち上がる。態勢を整えると、今度は腕全体を使い体当たりする「クズ嶋」に対抗する。


「でも、ありきたりさえ、この世界では夢見れなかった」


「9歳以上の全住民に、1日10時間の労働を強制した、労働基準法の改正、あれは地獄でした。しかも、達成できなければ米やパン等の食物の配給を遮断するという暴挙。もちろん、各世帯ごとで独自に野菜等は栽培されていましたが、微々びびたるものでした。もし配給が遮断されてしまった場合、命を繋ぐことなど不可能に等しいです。」


「それがどうしたァァァァ!」


「クズ嶋」の猛攻によって、遂に蝶番ちょうつがいに歪みが生じる。段々と鉄扉と枠の間に隙間が空いていき、向こう側のライトの光が無数に差し込んでくる。


彼は唇を噛みしめ、腕に力を込める。背後に振り向き、射光に照らされたマッチ棒とその箱の位置を確かめる。


足は届く。


「彼女は生まれつき体が弱く、1日10時間の労働ができる程の体力はありませんでした。もちろん、数日もしない内に彼女分の配給は途絶えました。かと言って、僕たちの配給分も分け与えるには程遠く、皆、自分たちが食い繋ぐだけで精いっぱいでした」


「それでも、僕だけは配給分の半分以上を、半分と嘘を吐いて彼女に分け続けました。彼女には、心配してほしくなかったんです。他の方たち、家族とですら上手く関係を築けなかった僕にとって、彼女が、生きる理由そのものになっていたから」


「なんだァ、綺麗事か貴様ァ!!」


「クズ嶋」の猛攻は激しさを増し、ガコンッと豪快な音を立て、上部の蝶番を破壊する。そのまま下部の蝶番にも強引に体重を掛けドア全体を傾けると、その隙間から「クズ嶋」が顔を覗かせた。


荒い呼吸をしながら、にやりと不気味な笑みを浮かべる。


「やァッと会えたねェ、新川くゥん!」


「クズ嶋」は鉄扉の上部を彼の方向に押し倒し、さらに下部の蝶番も完全に破壊しようとする。


しかし、彼はひるまず話を続ける。


「でも、彼女はその2か月後、首を吊って自ら命を絶ちました。か細い縄でしたが、痩せ細った彼女の体重を支えるには、充分だったのでしょう」


「その前日に食糧を分けに行った際、彼女は、多くのことを僕に話してくれました。今生の別れに備えての、遺言のようなものだったのかもしれません。


「内容は、あなたへの怒り、地上での思い出、シェルター生活であった、些細ささいな出来事。そして、これからしたいことも、多岐にわたりました。」


「まず、この惨劇を止めたいと……、そして、平和が戻ったあかつきには――」


彼は足を目一杯に伸ばし、マッチ棒と箱に掛け引き寄せる。


「――皆が息をむような、大きな花火を上げたい、と」


その瞬間だった。


遂に下部の蝶番も折れ曲がり、ちょうど彼の腰の位置まで鉄扉が傾いたのだ。


「クズ嶋」はそこから身を乗り出し、彼の髪をつかみ上げた。鳥のかぎづめのように骨ばった指が、鋭く突き刺さる。


この先には行かせない、そう言わんばかりに。


「クズ嶋」は彼を睨み付け、歪な笑顔を浮かべながら口を開く。鉄扉の破壊に体力を消耗したのか、ゼェゼェと息を切らしている。


「貴様の行動には、はなはだ疑問が残るのだよォ、新川くゥん。先ほどから仲間と呼び、そいつらを結果的に殺してきた朕を散々憎んでいるように見えるが、今から貴様がやろうとしていることは、その仲間とやらを大勢殺す大量虐殺になるのではないかなァ!? 全く、矛盾極まりなィ」


そう言いながら、「クズ嶋」は彼に顔を近づける。勝利を確信したのか、大きく見開いた瞳孔が安堵あんどのあまり輝いていた。


しかし、彼は揺るがなかった。


「確かに、僕はあなた以上に身勝手なのかもしれません。僕をここまで育ててくれた、人を、場所を殺すのですから」


彼は「クズ嶋」と目を合わせ、瞳の奥深くを睨み付ける。


「な、なんだお前。気持ちわりィな……」


「クズ嶋」がたじろぐのを見ると、彼は拳に力を込めた。


「でも、シェルター内の命を犠牲にしてでも、僕は彼女の願いを叶えたいんです」




「『海中で、花火を上げたい』、そんな願いを」




彼は風を切るように颯爽と拳を振り上げ、「クズ嶋」の顔に殴りを入れる。


一発、ボキリと大木が折れるような音が拳に響く。


「うゲァァ!!!???」


「クズ嶋」は顔を抑えて廊下に転がる。指の隙間から鮮血がこぼれ出し、宙を舞う。


数秒間の悶絶の後、「クズ嶋」は彼を睨む――


が、既に彼の姿は無かった。


「理解できましたか。僕が終わらせる理由は、それだけなんですよ」


そう小声で吐き捨てた彼は、足で引き寄せておいたマッチ棒と箱をふところに押し込み、酸素生成機の生成部分から直接伸びる主配管の元へ駆けていた。手には辿り着くまでに伸びていたと思われる側配管のパイプが握られている。


彼はパイプを主配管の接合部分に突き立てると、目一杯に穿うがった。頼りないアルミ製のダクトホースに大きく空いた穴から、生成したばかりの酸素が嵐のように吹き出す。


「やりおったな、貴様ァァァァ!!!」


「クズ嶋」は鼻を右手で抑えながら彼に走り迫る。しかし、時は既に遅かった。


吹き出す風をまとった彼は、懐に手を入れ、マッチ棒と箱を取り出す。


再度着火の姿勢をとり天を仰いだ彼の眼は、先ほどとは微かに違い、何処どこか一点を見据えているように見えた。


シェルターの天井のその上を、幼き頃の記憶に眠る、快晴の夜空を――。



「上げるよ、千頭――」



ジヂュッ、マッチを着火する音が、風音に紛れ静かに跳ねる。

















     ***


次の瞬間だった。


深海XXmの夜闇に、くぐもった爆発音が轟いた。


大振りに舞った朱色のヴェールが、人間の性に溺れた傲慢ごうまんな烏を、終末を欲した偏愛者を、そして、天変地異の世界で着実に根付いていた文明の軌跡を、ふわりと一薙ひとなぎで消し飛ばしていった。


絶望の渦中で『死』を選んだ者の最後の衝動が、快晴の夜空に花火を咲かせたのだった――。

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