第14話 ゴカイジュウハチソク
ワタシは途方に暮れてしまった。
小学校の卒業文集に「将来は小説家になりたい」と記載したこともあったが、失敗を恐れて挑戦したことさえなかった。
証券を辞める言い訳に弾みで口にしただけで、ヨータさんが本気で応援してくれていたとも思ってみなかった。
協力して頂いた方々へお礼の電話をして、最後の元同僚だけは「直接会って、話したいことがある」と言われた。
博覧強記な元同僚に核心部分に触れなければ、相談しても大丈夫だろうと高を括っていたのかもしれない。
元同僚は腹の内を見透かすように「ヨータさんと最後に会った時、君が小説家を目指しているので、手助けして欲しい」と聞いていたからと言って、書籍を貸してくれた。
「質問があれば、何時でも連絡下さい」と言って美味そうにビールを飲み干して「文系と理系のように、純文学と大衆文学と分類することが最大の問題だと思っている」と言及したが、恥ずかしながらその意味さえも理解出来なかった。
ワタシは八方塞になってしまった。
早速、借りてきた書籍に目を通すと致命的な事実に突き当たったので、元同僚に助言を求めた。
「貸して頂いた書籍にあった五戒に該当するが、大丈夫ですか」と尋ねた。
補足説明をすると「ノックスの十戒」は1928年にロナルド・ノックスが発表した際の基本的なルールであり、
一、犯人は、物語の当初に登場していなければならない。
二、探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
三、犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
四、未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
五、中国人を登場させてはならない。
六、探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
七、変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
八、探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
九、サイドキックは、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。
十、双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならない。
「亡命華人の存在が問題になるのではないかと判断を仰いだ。
「イギリスの作家が創造した万能中国人のようなご都合主義を否定したので、中国人事態が問題なのではない」と断言したが
「本当に問題があるのは、寧ろ十八則ではないか」と核心を衝いた。
再び補足説明をすると「ヴァン・ダインの二十則」は諸説あるが1927年にヴァン・ダインが推理小説評論の世界に残した大きな指標であり、
一、事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
二、作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
三、不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
四、偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
五、論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
六、探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
七、長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
八、占いや心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
九、探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
十、犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
十一、端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
十二、いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
十三、冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
十四、殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
十五、事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
十六、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌は省くべきである。
十七、プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
十八、事件の結末を事故死や自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
十九、犯罪の動機は個人的なものが良い。国際的な陰謀や政治的な動機はスパイ小説に属する。
二十、自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。
・犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法。
・指紋の偽造トリック。
・替え玉によるアリバイ工作。
・番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる。
(重複すると思われる部分を省略)
言い換えると「ヨータさんは自殺である」と指摘したのであった。
ワタシは針の蓆に置かれてしまった。
「一存では返事が出来ないので、理事長に連絡させて下さい」とだけ声を絞り出すと
「理事長とはヨータ三人で何度も会っているので、問題ありません」と答えた。
理事長に連絡すると
「二人でいつもの喫茶店に来て下さい」とだけ指示したので、すぐに移動した。
移動中の短い時間であったが「理事長が元同僚を紹介してくれたのだから、大丈夫だろう」との甘いシナリオと「三人だけの秘密を漏洩してしまった、どうしよう」と最悪のシナリオで揺れ動いていた。
喫茶店に到着しても理事長は沈黙したままであり、緊張は続いた。
一時間ほどして、ヨータさんの妹が遅れて到着すると
「どうしてヨータさんが自殺だと考えたのか教えて下さい」と元同僚に質問した。
「亡くなる半年前にヨータさんに会った時に不健康な痩せ方と黄疸に気が付いたのが、切っ掛けでした」と話を切り出すと以下の内容を説明した。
元同僚は天文学を専攻していたが、実家は大藩で御典医を勤めた家系に育ち、医学が身近な存在であったが、流血を見ると体が竦んでしまうこと及び父親も「医は仁術」から乖離している医療現場を憂いており、無理強いはしなかった。
ヨータさんは国際交流に始まり、障害者及び自殺防止ボランティアに熱心に取り組んでおり、終末期医療及び延命治療の是非について元同僚と議論していた。
専門家は終末期医療を直前一か月に限定して、医療費に占める割合は4%弱に過ぎないと強調するが、回復の見込みのない延命治療に関しては具体的な数字は示されない。
憲法改正もそうだが、尊厳死若しくは安楽死についての議論さえタブー視されており、選択の余地がなく、専門家に従わざるを得ない。
自殺幇助、自殺関与及び同意殺人を擁護するのではないが、病気だけに限らず「生きにくさ」を軽減する施策の拡充は当然必要であるが、最終的な選択肢も必要ではないかと考えていた。
ヨータさんは自身の病気は笑って否定したが、一般論と断りながら緩和ケア、ホスピスケア、エンドオブライフケアを含むターミナルケアに関心を示し、説明を希望した。
「これらのことを勘案して、もしかしたら自殺ではないかと疑問を持っていた時に「ノックスの十戒」を持ち出されたので、釜を掛けてしまい申し訳ない」と頭を下げた。
無罪と大書した紙を持って走って回りたい気持ちを抑えて
「ヨータさんは最初から遺言執行人として指名しなかったのでしょうか」とワタシが尋ねると
「憶測であり、僭越な物言いで申し訳ありませんが、ヨータさんは君が解決することを望んでいたからだと考えます」と返答した。
「博覧強記な評論家と逃避癖を持つ夢想家だと自然とそうなってしまうでしょう」とヨータさんの妹も同調すると
「生前の関係を考慮すると名前がないことが、不思議でしたから恐らく深謀遠慮の賜物でしょう」と理事長も太鼓判を押した。
ワタシは欠けていた破片を探し出した。
「社会問題の処方箋も妹さん一人だけでなく、お姉さんと三人で得意分野を担当することで、量だけでなく引用件数等の相乗効果が期待出来ます」と元同僚は語ると
「姉には労働関係を依頼して、医療関係をお願いします」とヨータさんの妹も直ちに同意した。
「司法、行政、立法には其々の伝手を利用して波状攻撃を加えましょう」と理事長にも協力を依頼した。
ワタシは更なる試練を与えられた。
「今回の経緯を処女作にする安易な考えは捨てて、君がヨータさんと共に反旗を翻した結果を執筆すべきだ」と宣言した。
「ヨータさんの遺言にも「どのような形式でも良いので、小説として完成させて」と書いてある」と反論したが
「時期に関しての記載はない、筆力も伴っておらず、現段階では時期尚早だ」と頑として譲らなかった。
援軍を期待したが「社会問題の処方箋を優先させて、議論もされていない状況で問い掛けるよりも満を持して発表すべきかもしれない」とヨータさんの妹も賛同すると
「十八則を敢えて犯す作品もあり、それ自体は問題ないが、手の内を公開するのは得策でない」と理事長が断を下した。
「一から拾まで、ヨータさん頼りで、一冊だけ書き上げても何の意味もない、書き上げるに相応しい人間を目指そう」と元同僚は思いの丈を吐き出した。
「ヨータさんのいない十五年の足跡を辿ったことで、一緒に戦った五年が凝縮された貴重な時間であったことに気付くことが出来ました」と晴れ晴れした気持ちで応じた。
ワタシは厳しい現実に直面した。
執筆は予想以上に厳しいものであった。
第一に、結果的に報われることなく、却って立場を悪くする負の連鎖であり、思い返すのも辛い経験であった。
第二に、ワタシはヨータさんを煽るだけ煽って、途中で敵前逃亡した為、不完全燃焼で終わっており、後悔しか残っていないからであった。
最後に、自分の立場を強調すれば他者への罵詈雑言若しくは言い訳となり、第三者の共感を得ることが難しいからであった。
元同僚の助言によって、ヨータさんとワタシを同一人物にすること及び登場人物をA・B・C…と記号化することで「罪を憎んで人を憎まず」を強調した。
長編小説としての体裁が整ったので、出版社へ連絡すると
「活字離れによる出版不況から新人の持ち込みは一切受け付けていません」と門前払いが殆どであり
メールでの送付を指示されても
「企業小説は大家の名を冠した賞でも廃止されるくらい人気がなくて」と敬遠され
「内部告発物は訴訟の可能性もあって、書き手は沢山いるが読み手は極めて少ないのです、他を探して下さい」と正直に言ってくれるのは親切で
「編集者を付けて全面的に協力するので」と言って、傘下の子会社で自費出版を勧められた。
ワタシは甘い誘惑に心が傾きかけた。
元同僚に結果報告をして、自費出版の件を切り出すと
「成功した人が関係者に配布する記念本で妥協するのなら、最初から諦めるべきだ、公募に申し込んでみよう」と鼓舞された。
新聞が主催する公募に申し込んだが、一次予選も通過しなかった。
「ここ直近は時代小説ばかり受賞しているので、仕方がない」とワタシを慰め
「日本人は奥義を追求する為、道にまで高めること自体は良いが、家元制度や協会や連盟を利用して、拝金主義が蔓延する弊害もある」と嘆いて
「会計学より簿記論を低く考え、行動ファイナンスもノーベル賞が続くと行動経済学に格上げされたように学問にも同様の傾向があることは否めない」と展開すると
「理系では理論、実験、検証と役割が整理されているが、文系では哲学者や文学者のように実際に思索、著述する人よりも評論家や系統を分類する学者が跋扈しており、十年一昔の講義録を金科玉条としているのだから、弊害は深刻であり、特に憲法学者が他の分野の研究を阻害することは言語道断だ」と物議を醸している問題を暗に仄めかした。
「それが今のワタシに何か関係があるのですか」と尋ねると、それには直接答えずに
「筆力を上げる為、SF及びミステリーの短編賞に申し込んでみよう」と次々に目標を設定した。
「唐突に言われてもワタシには対応出来ません」と反論すると
「三大SF作家と呼ばれているアイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、ロバートは未来を創造して、ジョン・ル・カレ、フレデリック・フォーサイス、ジェフリー・アーチャーは諜報及び経済活動の裏側を克明に描くことで新たな分野を開拓した」と一気呵成に畳み掛けるので
「残念ながら、読んでいないので」と言うや否や
「まずは古典、名作と言われている小説を読め、「ガリヴァー旅行記」も「ドン・キホーテ」も痛烈な社会風刺であり、手始めに「モモ」を読むべきかもしれない」と興奮気味に話すと
「内部告発物が厳しいのは、古今東西変わらない事実であり「仮名手本忠臣蔵」も元禄時代ではなく、時代を室町幕府の成立前に設定しているので、時代小説にも挑戦してみよう」と前向きに捉えて、ワタシに足りない点を指摘してくれるので、悩んでいる暇がなく随分救われた。
ワタシは社会情勢に疎くなっていた。
出版社への訪問や偶に出張する以外は定時退社して、自宅で執筆若しくは読書するだけで、週末に元同僚に添削して貰う生活が続いていた。
中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスのことも世間並みにマスクこそ欠かさなかったが、特に注意していなかった。
骨董市も閑散としており、足が遠退いていたので、半年ぶりに理事長から馴染の喫茶店で遺言執行人が集合する連絡があった。
「あれから執筆の方は順調ですか」と問われたので
「残念ながら、内部告発の処女作は落選でした、ミステリーとSFの短編に申し込んでおり、結果待ちなので、次回作は歴史小説を予定して資料収集をしています」とありのままに答えると
「コロナ禍でヨータさんの主張が正しかったことが、想定外に浸透し始めているので、社会問題の処方箋だけでなく、小説も始動して下さい」と呆れ気味に話した。
「筆力も上がって来ています、社会問題に関する意識も見違えるほど向上しており、温存していた主題でもあり、準備は万端です」と元同僚が補足すると
「それを聞いて安心しました「善は急げ」若しくは「鉄は熱いうちに打て」でお願いします」と力強く促した。
ワタシは溢れる言葉を書き綴った。
元同僚からの助言を通して、動画や漫画は情報過多であり、想像の余地が非常に乏しいので、文字を覚える前の子どもには読み聞かせを心掛けて、その後も折に触れて、名作や古典を骨惜しみせずに読む習慣を持つ、欧米で必須とされているリベラルアーツが、必要であるとの思いを強くした。
参考文献
「推理小説の作法 あなたもきっと書きたくなる」江戸川乱歩 松本清張共編 講談社文庫
「ミステリーの書き方」日本推理作家協会編著 幻冬舎文庫
「あなたの頭脳に挑戦する 世界の名探偵50人 推理と知能のトリック・パズル」藤原宰太郎 ワニ文庫
「真夜中のミステリー読本 古今東西、名&珍作ガイド」藤原宰太郎 ワニ文庫
「病院で死ぬということ」山崎章郎 文春文庫
「私たちの終わり方 延命治療と尊厳死のはざまで」真部昌子 学研新書
「安楽死・尊厳死の現在 最終段階の医療と自己決定」松田純 中公新書
「死ぬ瞬間 死とその過程について」E・キューブラー・ロス著 鈴木晶訳 中公文庫
「忠臣蔵と元禄時代」中江克己 中公文庫
ヨタバナシ 糸田三工 @itodathank
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます