第13話 ハジメハメリーオワリハエヘン
ワタシは手渡された手紙に目を通した。
メリークリスマス
ミスターサンタ
プレゼントを配り終えて、漸く辿り着いて十五年ぶりにこうして話が出来ることを嬉しく思っています。
猪突猛進型の私にとって、沈思黙考型でありながら、目的が見付かると果断な行動を示す君は掛替えのない相棒と信じて甘えていましたが、状況は改善するどころか悪化する一方であり、配慮が足りなかったと心から反省しています。
何とかして翻意を促そうと躍起になっていましたが「小説家になりたい」と言われた時には、君にとって天職ではないかと思い至って門出を祝おうと決意しました。
妹のことも二人の意志も確認せずに独善的に行動したことで、気詰まりを感じさせてしまいました。
処女作の献呈本を貰う約束が実行されないことだけ残念に思っていましたが、日々の些事に追われて顧みることも稀になってしまったことは申し訳なく思っています。
妹に無理矢理連れられて、理事長から手紙を渡されて疑問だらけだと思いますので、出来る限り質問に答えようと思っています。
夜の街を徘徊する時にフィリピンパブこそ山ちゃんとケヴィンを名乗っていたが、それ以外の店に行く時にヨータさんがワタシの呼称として好んで使用しており、ヨータとサンタで通用していた。
一人っ子であるワタシの名前が三太の筈はなく、東京の方には馴染が薄い出身地の三田(さんだ)市を捩って語呂の良いサンタに勝手に決めた。
ワタシは想定問答集を順番に読んだ。
Q1、保険金受取人はどのような経緯で今回の人選となったのでしょうか。
A1、当初は母親を100%にしていましたが、離婚後に母親に戻そうとすると「縁起でもないから解約しなさい」と言われましたが、妹が高利回りで虎の子であると契約転換を踏み止まらせ続けた経緯も含めて思い入れもあったので、元妻に相談して些少ながら生活の糧を提供しながら二年ごとに25%ずつ名義変更することにしました。
Q2、保険金受取人の選定はどのようになされたのでしょうか。
A2、再婚を考えていたので、順番から言えば三番目の女性とすべきでしたが、当時は金銭的にも恵まれていたので、我儘を言ってお節介をした人との関係を維持したいと思って、結果的に不思議な構成になりました。
Q3、保険金受取人に関する制度上の助言を妹から受けましたか。
A3、当時は妹とも没交渉になっていたので、一切受けていません。
Q4、理事長には相談しましたか。
A4、理事長は私の女性関係と体重に対して常々苦言されていたので、一切相談していません。
Q5、最後の保険金受取人は妹となっていますが、母親よりも因縁のある彼女が何故それを受け入れたのでしょうか。
A5、とても良い質問ですが、説明が長くなるので、次頁で説明いたします。
心の中を見透かされるようで、空恐ろしい気持ちと裏腹に本当に対話しているような錯覚を覚えた。
ワタシは手紙に引き込まれてしまった。
最後の保険金受取人を妹にせざるを得なかったのは、一つの誤算と二つの悲劇の結果であり、当初は難色を示した妹も最後は渋々ながら了承してくれた。
一つの誤算は四番目の保険金受取人に彼女の妹を打診したのだが、烈火の如く怒って拒否された上、副産物として私の寝言で睡眠不足になるので、別居を申し渡された。
二つの悲劇の一つは元妻の悲報であり、残された携帯電話の発信履歴を辿って彼女の父親が知らせてくれたので、最後の保険金受取人を急いで選定する必要に迫られた。
もう一つの悲劇は一時的に仮寓させて貰っていた妹は寝言が悲鳴であることを心配して病院で検査を勧めるので、会社との係争以来回避していた人間ドックを申し込んだ。
皮肉なことに人事部の介入により産業医や国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター病院に通院させられていたことに反発して定期的な検査を避けていたが、結論から言えばステージ4の膵臓癌であり、転移も見られている為、手の施しようがなく余命半年と宣告された。
余命半年であればヨータさんの死亡と一致しており、偶然にしては出来過ぎであり、全ての事象に対して辻褄が合う事実を意識せざるを得なかった。
ワタシは驚愕の事実を突き付けられた。
無頼派を代表する作家ではないが「恥の多い人生」を過ごしてきた。
度重なる内部通報も立場を悪くする一方であったので「割腹自殺をして会社の非を社会に問う」と恫喝めいた科白を吐いて姉を困らせたが、口三味線以外の何物でもなかった。
入社前に一緒に酒場に繰り出したが、成績こそ上位に位置していても顧客の手数料が会社の収益である構造的な矛盾に苛まれ続けていた。
「手数料自由化と言う荒波を超えて、顧客と会社の収益が同一方向に向かうように行動しましょう」と君に言われて穴があれば入りたい気持ちを常に酒による酩酊によって誤魔化し続けていた。
同窓会に対する提案を強く拒否出来なかったのは、私も同じ道を辿って失敗を経験したが、思い止まらせる勇気もなかった。
連日連夜フィリピンパブで泥酔したのも、私には高嶺の花であった古都の旧帝大を両親の説得で妹が断念したと姉から聞かされたからであり、往年の国民的映画ではないが「偉い兄貴になりたかった」情けない男の逃避行に過ぎなかった。
元妻との離婚に関しても妹に愚痴を言うのではなく、本人と向き合うべきであり、必要に応じて君にも頭を下げて加勢を依頼すべきだった。
不倶戴天の好敵手に対しても期待をさせた挙句に「梯子を外す」結果となり、元々の動機も君に発破を掛ける「当て馬」として利用しており、恨まれても当然だった。
大学では就職が有利と聞いていたので、体育会自動車部に入部したが、父の猛反対で学費を止められたことと自主練習が主体だったことも想定外だった。
皮肉なことに深夜のビデオレンタルバイト及び週末のキャディの掛け持ちで自転車操業ながら無事に卒業出来た逆境は、甘やかされて育った私が営業マンとして成功するには必要な通過儀礼の役割を担った。
厳格な父と母の溺愛は私の行動様式を縦軸に上下で尊大と卑屈、横軸に内外で親愛と冷淡の四象限に選別することで露骨に態度を変えて行動した。
極力、父と関わりを持たぬように遠ざけていたが、全てに於いて逃げるのではなくて向真正面から向き合うべきであった。
相手に合わせた人格を演じ続けて「円錐の影絵」で丸が欲しい人には底面を三角が欲しい人は正面を示すような姑息な方法を多用していた。
証券のビジネスモデル自体が利益相反であり、実績主義は「富の簒奪行為」に他ならないので、運命共同体と甘えていた私にとって君はある意味では清涼剤でもあり不可欠な存在だった。
ヨータさんは超然としており、他人の助力を必要としていないと思い込み、無理難題を次々に押し付けて、知らない振りをして追い詰めていた。
ワタシは初めて本音で向き合った。
再生の切っ掛けは突発性大腿骨頭壊死症で人工股関節手術を受けた古稀を過ぎた父親の姿であり、術後も面会者と歓談している一団を尻目に理学療法士と相談した歩数を自分に課して、退院当日も歩いて自宅に戻る意志を明言したので、医師の同意を得る必要に迫られて帰省した時に見た父親の毅然とした背中であった。
術後一年経過しており、リハビリの甲斐もあり、順調そのものだったので、両親と屋久島ウォーキングに行きたいと妹に申し出て、屋久島と鹿児島の旅行を計画した。
台風による土砂崩れの影響で遊歩道が閉鎖された為、本格的な登山こそ断念せざるを得なかったが、太古の記憶を残す大自然に囲まれているだけで、生命力が増長するように感じた。
「ヨータに誘われて見に行った秋田県立美術館所蔵で藤田嗣治の大作である「秋田の四季」も流石に良かったけど、次は田中一村に縁の地である奄美大島にも行って「奄美の杜シリーズ」を間近で見てみたい」と父が漏らしたが、私が返事に窮していると「一緒に行こう」と妹が明るく答えたので救われた。
日本画壇に君臨する大家よりも中央からは排除され、世界に雄飛した棟方志功を含めた三人が好きだと吹聴していたのを父も共感していたようだ。
高速艇で鹿児島市に到着すると密かな目的地であった知覧特攻平和会館に向かい、旅行会社の添乗員であった母親は「武家屋敷の方が参加人数も多く添乗員の担当であり、バスガイドさんに依頼していたが、訪問した皆が目を真っ赤にしていたので、一度は訪問したかった」と目を輝かせた。
以前、青年会議所の研修で知覧を訪問したことがあり、両親や妹にも紹介したいと常々思っていたけど果たせずにいたので、この機会を利用した。
戦後も看護婦を続けて要職に付いた祖父の妹が従軍看護婦時代の写真も偶然に企画で展示されており「祖父の導きだ」と嬉々として語り、祖父の末弟はシベリア抑留で散々苦労した挙句、引揚後も不遇を託ったことは「離れで暮らし、多くを語らなかったけど無念だったでしょう、戦死された方も当然可哀相だが残された遺族がお気の毒で」兎のように目を真っ赤にしながら訥々と語った。
旅の疲れを癒す為、指宿のホテルに泊まって家族四人で砂蒸し温泉を体験して、屋久島と指宿の芋焼酎を飲み比べて山海の珍味を堪能した。
不可能であることは百も承知していたが、旅行が永遠に続くこと願いつつ弱気の虫が疼き出して秘密を打ち明けてしまう恐怖が同居する不思議な感覚を味わった。
仲の良かった妹との反目は両親にとって最も悲しい事態であった為、最後の最後に親孝行が出来て良かった。
遅い夏季休暇で五年振りに帰省した時のことを思い出すと走馬灯のようにヨータさんとの思い出が頭を過り、目頭が熱くなって涙を抑えることが出来なかった。
ワタシは生死を巡る葛藤に目を通した。
旅行後「両親及び姉には余命を伝えるな」と妹に厳命し「延命治療は一切実施せず、在宅治療で基本的にペインクリニックのみ受診する」と宣言した。
「最先端医療で延命を図るべきだ」と妹は頑なに抗い続け、昔から口論では到底及ばないので、理事長に介入して貰うことを妹に認めさせた。
頭の中で考えていた計画を理事長と妹に懇々と説明したが「太り過ぎを注意して、最初は健康的に痩せていたが、最近は不健康に窶れ、定期検診を受診するように注意していたのに無視していたのか」と理事長は烈火の如く面罵した。
「命を粗末にするなと言い続けたのに、会社を相手に喧嘩しても勝負にならない」と苛立ちは収まらないものの「知人を紹介するからセカンドオピニオンを貰いなさい」と受診の予約をしてくれた。
「在宅で半年若しくは二年間入院の二者択一だ」と医師に包み隠さず宣言され、法律家である妹は自殺幇助、自殺関与、同意殺人の可能性も考慮して当初こそ否定的ではあったが、再度の説得を続けた結果、情が理に勝り計画に同意してくれた。
ワタシは準備段階でさえ戦慄を覚えた。
会社とは係争寸前であり、病気による休職の申し出は「願ったり、叶ったり」であり、私の休職はいとも簡単に受け入れられた。
妹は苗字を旧姓に戻し、前職の保険会社系シンクタンクに復帰すると共に弁護士事務所は継続中の案件も含めて売却して、最後の保険金受取人になってくれた。
「芸は身を助ける」を地で行く見事な転身と半年間も私を介護しながら両親及び姉と一年も音信不通となることを強いることに対しては感謝しかなかった。
両親の終の棲家も妹が捻出しており、私は人生の最後まで長男らしいことは出来ず「お姉ちゃんだから譲ってあげなさい」と「妹だから譲りなさい」の庇護を受け続けた。
ワタシは最期の記録を貪り読んだ。
二人だけの生活であり、来訪者は理事長と紹介されたペインクリニックの専門医に限定されており、名医を紹介して貰ったお蔭で痛みは緩和されてどうにか我慢出来たが、妹の外出時に苛まれる孤独感が一番辛かった。
母親の口癖だった「ヨータが幼稚園に入ると妹が寂しがり、帰宅時間に迎えに行くことだけ楽しみにしていた」状態に私が反対に置かれており、時を経て仕返しをされたと思うと何故か可笑しくなって我慢が出来た。
内部通報によって人事上の報復を受けた事実に対しては一点の悔いも残っていないが、この期に及んで最大の心残りは、降格前提で配属された為、産業調査部で執筆した「ダイバーシティ2.0」、「ジェロントロジー(老年学)」及び「DX(デジタルトランスレーション)」のレポートが日の目を見ずに利用されなかったことだった。
これらの執筆を通して、北欧から始まった障害者も健常者と同様の生活が出来るようにすべきと考えるノーマライゼーションの精神やシリコンバレーを席巻するニューロダイバーシティに触れることで来るべき高齢化社会を乗り越えられる可能性が高まり、技術革新は人類の幸福に資する存在でなければならないと明確に意識して、文献を漁るだけではなく、ブラインドサッカーのボランティアを経験したことにより、身に降り掛かる逆境も耐えられたと言っても過言ではなかった。
外資系企業は在日代表が臨席するだけでなく、会社が一丸となってボランティアに参加するが、日系企業はゴルフや夜の宴席専門で金銭提供に留まっている現状が非常に歯痒かった。
親会社銀行が推進する東名阪中心の方針によって没になった「地方創生」と親会社銀行への批判だと難癖を付けられて没になった「働き方改革」だけでなく社会問題は山積しており、私の死後は妹が意志を継いでくれると確信している。
山古志村や塩竈市の女性だけでなく、水商売や風俗業に従事すると「昼職」への移行は困難を極める状況であり、暴力を肯定する気は全くないが「足抜け」を支援しなければ、地下経済に潜ってしまうだろう。
バラエティ番組に転身して、時代の寵児となったAV女優も毀誉褒貶の末に不幸な最期を遂げているので、底知れぬ深い闇が潜んでおり、他人事ではなく、自分の問題として取り組む必要がある。
ケーキを切り分けられない若しくは折り畳み傘を上手く畳めない子供は、学業も振るわない傾向があるので、経済的格差を固定化させず、機会平等を担保する政策が望まれる。
最期の記録には闘病についての記載は殆どなく、社会問題の解決に心血を注いでいたのは「自分の弱さ」を克服する意思と「生きた証」をワタシに伝える遺言だった。
ワタシは遺言執行人の一人に選ばれた。
半年間の逼塞を経て、両親との面会こそ控えたが、今生の別れを告げるべく廃屋になっている実家に一週間滞在してこの手紙を書いたが、今から妹と二人で新幹線に乗って東京に出発する。
此処からは車内での殴り書き故、取り留めもない内容且つ悪筆であることは重々ご容赦願いたい。
実家の柱には姉、私、妹の身長を記した形跡や壁や襖には落書きも残っており、当時を思い出して懐かしい記憶が蘇った。
あと一週間もすれば自足歩行も不可能であると思われるが、大病をして気が付いたことは道徳の乱れであり、お年寄りや小さい子供を連れた女性を見掛けてもスマートフォンとの睨めっこを止めない者、イヤホンで音漏れをさせながら無視する者、新聞を広げる者、寝たふりをする者ばかりで席を譲ろうとする者は皆無であり、下車の時には飲食物の残滓を放置する有様である。
半年間の暇に任せて濫読して、纏め上げた考えを記載するが、同意出来なければ無視して下さい。
グローバル化が叫ばれて、英語やプログラミング教育の必須化が急がれているが、正しい国語で物を考えて議論する習慣を身に付けるべきである。
流暢な英語を駆使しても内容が空虚であれば、良き隣人として遇されることはなく、哲学の裏付けのない技術が如何に危険であるか認識すべきである。
文部科学省及び日教組のお仕着せである没個性「金太郎飴」の大量生産を繰り返していれば未来は危うい。
歴史に関して言えば、縄文時代や弥生時代から始めて、戦国時代や幕末に熱が入ってしまい、気が付いたら明治維新以降は駆け足若しくはテストに出る箇所のみを取り上げる惨憺たる状況である。
戦前に駐日大使を勤めた外交官で詩人であるポール・クローデルは、関東大震災における日本人の態度に感銘を受けて「日本は貧しい、しかし高貴である。世界でどうしても生き延びて欲しい民族をただ一つあげるとしたら、それは日本人である」と礼賛した。
辛亥革命の主人公である孫文やインド独立の巨魁である「中村屋のボース」を支援したことは広く知られるが、明治を代表する美術評論家である岡倉天心は著書の冒頭で「亜細亜は一なり」と記しており、明治を代表する教育家は朝鮮人愛国者であり、朝鮮独立党の指導者を全面的に支援した。
栄えある第一回ノーベル賞を東洋人に受賞させて良いのかとペスト菌を発見した北里柴三郎による世紀の大発見も受賞対象から外された。
愛国心を煽るのではなく、家族愛、郷土愛その延長として祖国愛として自尊心を醸成しなければ、世界で尊敬を受けることは不可能であろう。
今こそ、明治を代表する教育家である福沢諭吉の「一身独立して、一国独立する」に立ち返り「自由在不自由中」を一人一人が意識して行動すべきである。
結果平等を声高に押出して不平不満を述べるのでなく、機会平等による健全な競争を促して敗者復活の機会を提供すべきである。
一次産品の供給地として固定化され、恣意的な国境線が引かれたアフリカの現状と教育を享受し、工業化を推進したアジアの成功を比較すれば明白である。
闇雲に平和を訴えていても実現はしない、日清・日露戦争の時には国家意識を保有しており、公式にはロシア帝国公使館付陸軍武官として明石元二郎が縦横無尽に行動し、退役軍人である石光真清や「玄洋社の豹」の異名を持つ中村天風も自ら志願して民間人としてシベリア、満洲での諜報活動に従事して清朝末期の混乱下でロシアによる蹂躙を詳細に記録している。
大東亜戦争の時には真珠湾攻撃の立案者である山本五十六による提唱で、東機関が設立されたが国家意識の抜け落ちた規模と陣容とならざるを得なかった。
文明の転換点を五つの革命に分類すると霊長類から人類に成長する人類革命はアフリカが先陣を切り、農業革命は並行多発的に散発して起こり、都市革命はメソポタミアからエジプト、インダス、黄河が続いた。
精神革命はギリシア、イスラエル、インド及び中国が一線に並び、科学革命では後塵を拝していた西欧が躍り出たまま今も続いている。
石器時代、青銅器時代、鉄器時代を経ているが、その時代に最先端の技術が利用されたのは、兵器以外の何物でもない。
人類の進歩は端的に技術革新に現れるが、残念なことに殺傷能力の高い兵器の出現の歴史であり、火薬の爆発力を利用したエネルギー兵器は原子爆弾により、破滅的な未来を予言している。
科学革命は資源の枯渇や廃棄物といった諸問題により、閉塞感の様相を呈しているが、諸問題に対して一番切実に影響を受けるのは日本です。
人口問題、食糧問題及び環境問題を取り上げても既存の枠組みでの解決は不可能と言わざるを得ない。
国家間の利害得失により、不毛な議論を続ける時間は人類には残されていない、自然界の秩序を乱す癌細胞は人類である。
明治維新で敢行した廃藩置県を全世界規模で実践する必要があると感じている。
今、品川駅に到着したので、これくらいで与太話は切り上げるとしよう、半年後に再会出来ることを信じている。
社会問題の処方箋は妹の範疇であり、表裏一体を用いて推進するのは理事長に一任するしかない、サンタにお願いしたいのは、どのような形式でも良いので、小説として完成させて、献呈本を私の両親に届けるだけ、その最後の願いを叶えてくれると信じている。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」を実践出来ることに心の昂りを抑え切れない、地球を今一度洗濯いたし申候。 エヘン、エヘン
ヨータ
ワタシは今後の方針を確認した。
理事長が沈黙を破り「君の上司には報告書を基に行動して貰うが事実は伝えておりません、ヨータ君の妹には社会問題の解決策をシンクタンクから発信して貰います、君にはヨータ君に約束した小説家として作品を発表して貰いたい、私はそれらの反響に対して、伝手を使って共鳴させていきます」と重々しく発言をした。
ヨータさんの妹が「家族には私が伝えるので、協力して頂いた方々にはお礼の電話だけはお願いします、保険金受取人には敢えて連絡する必要はありません」とだけ補足説明を加えた。
点が線となり、平面が立体となり、ワタシは自分自身に迫る重責を意識して、敵前逃亡癖を払拭する決意を固め、無言で頷き合うことで遺言執行人は覚悟を共有した。
参考文献
「藤田嗣治「異邦人」の生涯」近藤史人 講談社文庫
「日本のゴーギャン 田中一村伝」南日本新聞社編 小学館文庫
「わだばゴッホになる」棟方志功 中公文庫
「細川護貞座談 文と美と政治と」細川護貞
聞き手光岡明 内田健三 中公文庫
「知覧からの手紙」水口文乃 新潮文庫
「ぼくには数字が風景に見える」ダニエル・タメット 講談社文庫
「ケーキの切れない非行少年たち」宮口幸治新潮社新書
「中空構造日本の真相」河合隼雄 中公文庫
「祖国とは国語」藤原正彦 新潮文庫
「東邦の理想」岡倉覚三著 村岡博訳 岩波文庫
「福沢諭吉 国を支えて国に頼らず」北康利
講談社文庫
「李香蘭 私の半生」山口淑子 藤原作弥 新潮文庫
「城下の人 石光真清の手記(一) 西南戦争・日清戦争」石光真清 中公文庫
「曠野の花 石光真清の手記(二) 義和団事件」石光真清 中公文庫
「望郷の歌 石光真清の手記(三) 日露戦争」石光真清 中公文庫
「誰のために 石光真清の手記(四) ロシア革命」石光真清 中公文庫
「運命を拓く」中村天風 講談社文庫
「文明移転 東西文明を対比する〈対談〉江上波夫 伊東俊太郎 中公文庫
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