第12話 コウサクスルニンゲンモヨウ
ワタシは予期せぬ困難に直面した。
最後の保険金受取人はヨータさんの妹であり、短い間ながらワタシは交際してお互いの両親に挨拶もしていた。
意を決して携帯電話の登録は消去していなかったので、十五年ぶりに電話をしてみたものの途中留学期間を挟んでいる為、当たり前であるが、見知らぬ男性が応答したので「申し訳ありません、間違えました」と素直に謝って登録を消去した。
ヨータさんのお姉さんに電話してみると「ごめんなさい、ヨータとは二歳しか離れていないけど妹とは五歳離れているので、いつもヨータを介在させており、恥ずかしながら連絡先は聞いておりません、実家に確認して下さい」と丁寧ではあるが、体良く盥回しされた。
ヨータさんの実家に電話をすると「ヨータはまめに連絡してくれたが、女の子は忙しくて殆ど連絡もくれなくて」と母親の愚痴を聞かされ「ヨータが亡くなる半年前、今から一年前にヨータと妹と私達夫婦で鹿児島県に旅行して以来、全く連絡がない」と沈んだ声で言うと「お父さんに代わります」と結論を述べた。
「ヨータの葬式も姉は甲斐甲斐しく手伝ってくれたが、妹は連絡さえくれなかった、生前は一番仲が良かったのに」と父親も沈んだ声で同調して、海外留学後に円満退社して立ち上げた弁護士事務所の電話番号と所在地を教えてくれた。
ワタシは教えられた電話番号に連絡した。
「この電話番号は現在使用されておりません」と無機質な女性の声が繰り返されるだけだった。
最高裁判所の最寄り駅から所在地を訪問すると不倶戴天の好敵手と離婚した後も名乗っていた苗字ではなく、見るからに新しい看板が掲げられていた。
受付に訪問の意図を伝えると「一年前に居抜きで譲り受けました」と愛想良く答えたので、移転先を尋ねると「廃業したと聞いております、法科大学院の乱立で軒並み弁護士が増加しているので、厳しいご時勢ですから」と紋切り型の受け答えをした。
ヨータさんの妹は退職後も生命保険会社とは良好な関係にあり、ファイナンス分野に対する造詣も深いので、審議会委員に招聘される等、人脈面でも恵まれており、安泰の筈だと不審に感じた。
ワタシは上司との奇縁を聞いて驚いた。
最後の保険金受取人であるヨータさんの妹の消息を家族に聞いたが、既に連絡先を退去しており、解決の糸口が見付からない現状を正直に報告した。
「系列シンクタンクのホームページを閲覧しましたか」と莞爾と微笑んで、ノートパソコンを開いた。
所属研究者一覧の上位にヨータさんと同じ苗字で生命保険制度、金融工学、年金制度、ジェロントロジー(老年学)の分野と上席主任研究員と肩書が記載されていた。
「一年前に弁護士事務所を閉鎖して、復職していたことは知りませんでしたか」と質問されたので「申し訳ありません、指摘されて初めて知りました」と正直に答えるしかなかった。
「私達にとっても身内なので、慎重に調査するように指示した心算ですが、こちらこそ言葉足らずで申し訳ありません」と上司も頭を下げた。
「実は私も彼女とは浅からぬ縁があって」と前置きをして「彼女は専門職として採用され、私は図体だけ大きい体育会上がりの営業管理職養成コースで採用され、牧歌的な時代だったので生保募集人資格試験の際には、自分はエイカン(営業管理職養成コース)なので、お願いしますとカンニングさせて貰った相手でした」と赤裸々に語った。
「身体が資本のエイカンは優績者のご褒美コンサートではステージに上がらないように人の盾として借り出されるので、何をしているのだろうと情けなくなって、腐ったこともありました」と感慨深そうに語った。
「初任地は名古屋支店に配属され、東京出身には厳しいと言われている土地柄であり、悪戦苦闘していました」と言ったので「ワタシも同じ時期に証券の名古屋支店で営業していました」と伝えた。
ワタシは保険契約締結の経緯を聞いた。
「勿論、知っています、実は現在担当して貰っている契約は苦境に喘ぐ私のことを心配して、お兄さんを紹介してくれました」と平然と答えた。
「その当時は証券では保険販売をしていなかったので、お互いに顧客紹介をして懇意にさせて頂きました」と言って「本人が多忙になってくると後輩の方が引き継ぎでいらっしゃいました」と何気なく言ったが、事もあろうに後輩は不倶戴天の好敵手であった。
鈍器で痛打されたような衝撃を受けたが「帰り際に本当に期待している後輩は別にいるけど、独走して天狗になるといけないので、彼を紹介するが、本当に資力のありそうな顧客は直接連絡して下さいと打ち明けてくれました」と裏話まで開陳してくれた。
不倶戴天の好敵手は新人課長の傀儡だと勘違いしていたが、実際にはヨータさんの胸を借りて競っていたことを知り、全ての辻褄が合うと納得する共に温かい感情が胸に込み上げてきた。
「私としたことが少し喋り過ぎました、エイカンからのコース変更も彼女の助力があったから、今日の私がいます」と言って「都合の良い時を聞いて、速やかに面談の約束を取って下さい」と指示した。
ワタシはヨータさんの嘆きを思い出した。
「最大手証券の管理職は、大口顧客の管理を一任されており、プレイングマネージャーとして課の成績に対して責任を負うが、当社では個人評価とすべきでない付け玉と呼ばれる慣習がある為「お客様より上司様」の悪癖が付いて回り「正直者が馬鹿を見る」報酬体系になっていた。
挙句の果てに既存顧客と比較して資産規模に勝る親会社銀行の紹介を雛鳥のように待ち続け「上司様より銀行様」の文化が醸成されてしまった。
業界全体に蔓延る投資家軽視、発行体重視の「決め打ち」と呼ばれる説得話法若しくは論破を用いた「押し売り」から、投資家のニーズを把握するコンサルタント営業による「お買い物」へ移行しなければ未来はないと主張し続けていた。
ワタシはヨータさんの苦言も思い出した。
不倶戴天の好敵手との対立も嫌って「一人勝ちでなく、周囲を巻き込んで強い組織作りを目指せ」と助言して「成績を上げる人でなく成績を上げ続ける人になれ、小手先や誤魔化しでは通じない、成績を上げ続ける人を育てて、最終的には成績を上げ続ける人を育てる仕組みを作れ」と夢を語った。
「短距離競走ではなく、周囲との無駄な軋轢をなくして長距離競争を目指すべきだ」と言われても聞く耳を持たず孤立を深め、過激な言動でヨータさんも巻き込んで無闇に敵を作り続けていた。
ヨータさんからカナダの精神科医であるエリック・バーンの名言「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」を繰り返し聞いていたものの「馬耳東風」で聞き流していた。
自分の都合で他人を変えることに焦点を当てて、思い通りにならないと世の中を斜に構えて眺めていたが、ヨータさんのように率先して自分が変わることから逃げ続けていた。
ワタシは十五年ぶりの再会を果たした。
対決を逸る思いから始まり、ヨータさんの足跡を追えば追うほど再会を恐れ、逃げ出したい気持ちが高まっていたが、今は不思議と落ち着いていた。
単刀直入に最後の保険金受取人として面談したいことを告げると彼女はシンクタンクの会議室に上司と一緒に来るように告げた。
ヨータさんの妹は上司に保険契約締結の経緯を伝えたか確認して「私以外の保険金受取人との面談及び両親からの紹介による面談についても逐一報告を受けています」とヨータさんの妹に報告した。
町議会議員に聞いた驚愕の噂について真偽を尋ねると「相変わらず頭の中で仮説を立てて、猪突猛進して結論を急ぐ癖は変わっていないようね、順を追って説明するから」と窘められた。
「突然だけど三竦みの関係ってご存知」と質問されたので「じゃんけんにおけるグー、チョキ、パー」と少し大人気ないと思ったけれども、不機嫌に答えると「嫌っていた上から目線の話し方をしてごめんなさい」と謝ったので「大人気ない態度をとってごめんなさい」と素直に頭を下げた。
「双方共に我を張って、冷静な面談が出来ない場合も想定していたので、少しホッとした」と上司が絶妙な科白を挟んだので一気に場が和んだ。
ワタシは三竦みの関係から逃げていた。
ヨータさんがグーだとすれば、元妻はパーであり、ヨータさんの妹はチョキの関係にあり、当時は良好な関係にあった彼女から「兄に対する誤解を解く為、一肌脱いで」と何度も要請されていたが、勝気な元妻と対峙する気詰まりから逃げ続けていた。
ワタシは異業種交流会に参加しなかった。
自分にとって都合の悪い記憶は忘却の彼方となるか、改竄されていることを痛感せざるを得なかった。
ヨータさんの肝煎りで、異業種交流会を主催することを検討していたが、不倶戴天の好敵手も参加すると聞いた途端、臍を曲げて参加しなかった。
発起人はヨータさんと上司であり、初回にはヨータさんの妹も東京から出席しており、数合わせと花を添える意味で、当時は不倶戴天の好敵手と仲が良かった同期の妻となった彼女も参加していた。
不倶戴天の好敵手は所謂「意識高い系」なので、生命保険会社の運用部に所属しているヨータさんの妹に関心を持って、同期の妻となった彼女を通じて関係構築に腐心した。
異業種交流会が短命に終わったのは、不倶戴天の好敵手が会規で禁止された過度な営業を禁じ手である新規公開株を匂わせて、派手にアプローチしたことを事前に上司が感付いてヨータさんに知らせたことで雲散霧消となり、奔走して消化した。
「今思い出しても忸怩たる思いです、老舗の経営者に絞っており、手口も悪質だったので、表沙汰にすべき事案でしたが、土下座して謝られると情に絆されてしまい、ヨータさんにだけ報告して有耶無耶に終了しました」と顔を歪めた。
ヨータさんは厳重注意に留めて、上司には営業でなく、本社部門が適任であると進言した結果、リテール事業推進部へ栄転したが、それさえも不倶戴天の好敵手は逆恨みしていた。
ワタシは自分の知らない世界に困惑した。
バブル崩壊後は元気がないと言っても「腐っても鯛」であり、外資系投資銀行は豊富な接待交際費を駆使して攻勢を掛けていた。
ヨータさんの妹も例外でなく、クリスマスには高級ワインやシャンパンが届き、リーマンショックで救済買収された投資銀行ノベルティグッズである「クマのぬいぐるみを家族分五個欲しい」と口にすると段ボール五箱も送付された。
ジャパンコレクションのプレミアシートに招待され、帰り際に「休暇申請さえして頂ければ、世界三大コレクションツアーもご招待します」と気軽に言われると背筋が寒くなった。
彼女は朱に染まらないようにアクチュアリー資格取得を申し入れると「専門職であり、意義は少ないので、金融工学に司法試験があれば鬼に金棒だ」と言われたので、勉強を始めると僅か数年で旧司法試験に合格した。
バブル期に大手百貨店と大規模開発した物件では賃料交渉を白紙に戻して現実的なディスカウントキャッシュフローの再計算を実施し、メガバンクへの資本注入でも理論的な裏付けを求められた。
現実的、理論的と取り繕っても牽強付会な説であることは否めず、良心の呵責に耐えられなかった。
ワタシは運命の悪戯を心から恨んだ。
不倶戴天の好敵手がリテール事業推進部に配属されて、精神的に落ち込んでいたヨータさんの妹と連絡を取り合っていた頃、ワタシはヨータさんと名古屋法人課に所属していたので、同時に東京に異動するのは遅れること五年の差が開いており、因縁の保険販売では提携交渉で一緒になる偶然も重なって、二人の仲は親密になっていた。
反対にワタシとの接点は三年連続の里芋掘りだけであり、ヨータさんだけが前向きになって、両家で会食を催しただけだった。
ヨータさんと元妻の結婚及び離婚の騒動でも失態を重ね続けていたワタシに対して、不倶戴天の好敵手は間隙を縫って仲介者を買って出た。
残念ながら善意ではなく、悪意に基づいた仲介者であることに気が付くことなく、リテール事業推進部の派遣社員であった元妻を裏から手を回して焚き付けて煽ることで、ヨータさんの妹は泥沼の全面対決に加担することになった。
不毛な争いに精も根も疲れ果てたヨータさんの妹は、米国東海岸にMBA留学する不倶戴天の好敵手による提案で、近隣のロースクール留学及び結婚によって心機一転を図ろうと決意をした。
勝者なき消耗戦を強いられ「母の言葉を借りると兄を人質に取られた時点で負けは決まっており、介入すればするほど嫌われる悪循環に嵌っていました」と振り返った。
「無理矢理頼み込んで異業種懇親会に参加して貰った結果、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」と上司は声を搾り出した。
不倶戴天の好敵手は学生時代からパチンコ屋のゴト師グループや雀荘メンバーであったと公言しており、代表者が逮捕されて世間を騒がせた大学公認イベントサークルの主要メンバーであったとも噂されており「あれだけ嫌がっていた名古屋配属によって一命を取り留めた」と陰口を叩く同期も存在した。
社会人になってからも今は存在しない「前受け及び借受け」を利用して顧客資産を持ち出し、週末に裏カジノに繰り出す先輩達と行動を共にしていた時期もあったが、表面化して懲戒解雇者を出す事態になる前に関係を断ち切っていた。
女性を巡る醜聞も絶えず、平坦なアクセントのクラブでは暴力団との交際は囁かれていただけであったが、後方にアクセントのクラブでの半グレとの交際は威圧の為、半ば公に宣言していた。
ワタシは顛末を聞かされて愕然とした。
ヨータさんの説得を頑なに拒否していたのだが、上司から真相を聞かされると行動は素早く、渡米前には既に離婚をしていた。
「心機一転と兄からの自立を決意していたので、離婚後も苗字は元に戻すつもりはありませんでした」と淡々と話した。
「兄と元妻による泥沼の離婚劇は米国留学中でしたので、結果的に巻き込まれずに済みました」と言って「父の白内障を切っ掛けに両親の引っ越しを決めました」と何事に対しても能動的であった。
「姉は自分が母になるまで、兄を溺愛する母親に対して辛辣でしたが、私は夕食時に消極的だった兄に話をさせて、同時に姉妹も好影響を与えたことを心から感謝しています、学ぶことを苦にしない礎も与えてくれましたから」と理由を述べた。
大人しく耳を傾けていると思っていた上司が突如「どの面下げてか、証券へ復帰する際には図々しくも推薦を依頼されたので、時代錯誤の投資銀行を親会社がダブルカバレッジも考慮せずに拡大しているから大丈夫ですと言ってお引き取り願いました」と忌々しげに言い捨てた。
「誰が何と言っても報告書にある闇の部分は市民の義務として警察に報告します、これは業務命令です」と上司が断言した。
ヨータさんの妹は何処かに電話をすると上司に礼を述べて「ここからは二人で話をさせて下さい」と宣言した。
ワタシは藁にも縋る思いで質問をした。
二人だけになると我慢出来なくなり「他の保険金受取人とは事前に連絡を取り合っていますか」と尋ねたが黙殺された。
「弁護士事務所を閉鎖した理由だけでも教えて下さい」と食い下がると「理由は色々あるけど、金融に存在する負の部分を見過ぎたから法律に逃げたのに」と言い澱んで「性に合わなかったのかな」とお道化て「弁護士ってカルト教団の年老いた顧問弁護士が止めて下さぁいって言っているイメージしかなかったから抑々印象は良くなかったが、山口県の光市母子殺人事件、過払い金請求の闇、自動車メーカーの外国人剛腕経営者裁判を見ていると我慢出来なくなり、兄が訴えていた社会正義の方が大切に思えて」と本来の関西弁丸出しで答えた。
「漠然と感じてはいたけど「女性の敵は女性」と言われるように肩肘張って生きるのに疲れてしまった、関ヶ原の合戦が糟糠の妻と後継者の母親による代理戦争だったというのは後世の創作らしいけど」と茶化した。
「やっぱりヨータさんとは疎遠になったままではなかったの」と親しげに話すと「何も言わずに一緒に来て下さい」と態度を豹変させて、有無を言わさず歩き出した。
地下鉄での移動は窓外も黒一色で何の変化もなく、無闇に周囲を眺めることも憚られるので、沈黙がより一層気鬱にさせた。
ワタシは通い慣れた喫茶店に到着した。
ヤクザマンションに隣接した喫茶店の指定席に理事長が座っているので、挨拶しなければと思っているとヨータさんの妹は迷わず隣に座った。
状況を把握出来ずに茫然自失のワタシに「驚かせて申し訳ない、質問の前に説明を聞いてくれ」と前置きをした。
理事長は骨董だけでなく、ヨータさんの家族や仕事についての悩みの相談も受けていたので、母親の旧姓と戦死した祖父の話を聞いて「お祖父さんが亡くなったのはビルマですか」と尋ねると「その通りです」と答えた時には奇縁を感じた。
年の離れた理事長の長兄は学徒動員の対象拡大に伴ってビルマに出征し、小隊長と言う名ばかりの肩書は戦局の悪化を受けて何の価値も持たないばかりか生き残り続ける歴戦の古参兵による虐めの対象となり、斥候もままならぬ抜け駆け投降ばかり危惧される最悪の状況下に置かれていた。
高齢で体力の劣るヨータさんの祖父も同様に辱めを受け続けており「同病相哀れむ」の通り、肩を寄せ合い戦火の合間を縫った束の間の学究的な話をすることで勇気付けられたことを手紙に記していた。
ビルマ独立の為、日本軍と結んだアウンサン将軍が率いるビルマ国民軍の離反により挟撃されて二人とも戦死したが、理事長にとって掛替えのない長兄の恩人としては遇しただけでなく、長兄の最後の手紙にあった「学びは学校だけでなく、どのような環境に置かれても実践出来る、軍隊生活は過酷であるが、如何なる学校よりも学ぶことは多い」と後年の理事長が体現することになった言葉の源泉として感謝した。
ワタシは家族再生の秘話を聞いた。
理事長の行動は素早く「是非、お母さんにご挨拶をしたい」と申し出たので、ヨータさんは頷かざるを得なかった。
ヨータさんは両親とは連絡していたが、妹とは蟠りもあり疎遠になっていたが、母親は祖父の最後を共にした人の肉親と面談することを心から喜んで「折角の機会だから家族全員で集まりましょう」と提案した。
当初こそ気詰まりもあったが、懐かしさと親しみが勝り、往年のように連絡を取り合うようになった。
「切っ掛けがなければ、兄とは永遠に仲違いしていたかもしれません」とヨータさんの妹が涙を拭いながら話した。
記憶を辿ると周囲が「一卵性兄妹」と揶揄するほど仲の良い二人しか思い出せないだけに感慨も一入であり、暫しワタシは為すべきことも忘れていた。
「色々質問もあるだろうが、先ずはこれを読んで下さい」と理事長に仰々しく封印された手紙を渡され、現実に引き戻された。
参考文献
「新版 きけわだつみのこえ 日本戦没学生の手記」日本戦没学生記念会 岩波文庫
「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎 中公文庫
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