第七回 根性論をはき違えないようにしましょう
せっかくの補修版ですので、今回はタイトルも変えて書いてみようかと思います。
皆さんにとって、「根性論」とはどういうものでしょうか。おそらく、大半の方は「何の策もなく、ただ苦労をしたり頑張れという論」と思っているのではないでしょうか。事実、そういう意味で使われるのがほとんどだと思います。
ここに根性論アレルギーの原因がありそうですので、今回はこれについてお話してみようかと思います。
一般的に言うところの根性論のダメなところは「努力する方向性が定まっていないこと」「現状把握や原因分析をせず、解決手段も持たずに結果に向かおうとする」ところだと思います。まったくもってその通りで、このようなことに対する悲惨な例はわたしが挙げるまでもないでしょう。
では、わたしたちはどこに正しい根性論を持ち込めば良いのでしょうか。ここまで色々と書いてきましたが、皆さんは何か浮かびましたでしょうか。
答えは、自分自身を変えるため。
です。これまでわたしは色々と根性論を唱えながら、そのことを説いてきました。これだけは自分の手で根性を入れて改造していかなければならないのです。
なにやら自己啓発セミナーのようになってしまいましたが、複数の作風で物を書きたいと思うのであれば、一番効果的なのは自分を変えていくことです。今日はAという価値観であった自分を、明日はBという価値観を持って書けるようになれば、様々な作品や人物を書き分けられます。わたしたちは自分に自由でいられる限り、作品は無限に創り出せるのです。
くどいですが、それを邪魔する諸悪の根源は批評精神です。わたしたちはダイエットするときに、糖質や脂質あるいは塩分を憎んで減らしていくように、作家としては批評やアドバイスを憎み、自分を磨いていくことが必要なのです。素人がそこまでする必要があるのかは、あなたの志しているレベルや方向によって違うでしょうが、わたしが四捨五入で半世紀近く(書いていながら、もうそんなになるんだと絶望しています)生きてきた経験上、何かを憎み、遠ざけなければ、一流のアプトプットはできませんでした。これが真理と押しつけるつもりはありませんが、皆さんが考える上で、こんな根性論がわたしのベースであることを知っていただければと思い書いてみました。
根性論の楽しさとは、自分であればいくらでも変えられるという点です。他人にああせいこうせいと価値観の変化を求めても無駄ですが、自分であればいかようにも変えることができます。わたしたちには無限の可能性と世界観があります。作家という趣味をしている以上、根性論によって芸の幅を広げることに何の躊躇があるでしょうか。
根性論が必須であるとは考えておりません。何も考えなくても書けますし、ここまで真面目に考える必要性のない小説だってあっていいのですから。
しかしながら、もし、あなたがより素晴らしい作品を書きたいと願うのであれば、自分自身を鍛えていくのが一番の早道だと思います。わたしはそこに根性論という言葉を贈りたくて、このお話を書いてみたのでした。
(続)
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