Scene F1 の香りをつくった原体験

zzzgoo 香水シリーズ5作目となる Scene F1 木陰浴の香り


制作の意図について


私は、2023年は多くの友人を自死で亡くしました。

今でこそカジュアルにその名が知れ渡っているうつ病もかつては名も無き病でした。


友人である私から見ても彼らにとってこの世界はとても窮屈そうでした。

彼らはよく笑う人でした。私のお話をそれは楽しそうに聞いてくれました。

私もまた彼らと多く笑いました。目じりの笑い皺の数だけ笑顔を重ねました。


だけどいつしか、笑顔の痕跡とも呼べる笑い皺の多くは涙の通り道になっていました。

彼らの目は笑わなくなっていました。


そして彼らは唐突に、

何事もなかったかのように。


ある日突然、逝くんです。


突然ですよ、前触れなんてないんです。

彼らの多くはボロボロの心を上手に隠すんです。


後悔の念は今も編まない日はありません。

いっそ後悔でセーターを編んで寒い冬を乗り越えましょうか。


天国の彼らはこんな冗談で笑っているのでしょうか。

私は何一つ面白くなんてありませんが。


皮肉にも私は彼らが逝って彼らをもっと知りたくなりました。

彼らは生前、好きなものがありました。その多くは彼らを形作る上で非常にデリケートで

彼らの魂の根幹とも呼べる部分に深く関わるものでした。


しかしこの社会は彼らの「好き」に対して非常に厳しいものでした。

多様性が叫ばれるこの現代。それでもなお、排他されている人たちは多くいます。


「男らしさ」とか「女らしさ」を押し付けられ、「らしさ」は「いい人間」であることの証明書のように扱われています。

彼らにとってこの社会で「普通に生きること」の難易度はそれは高いものだったのでしょう。


彼らのうち一人の女の子は幼少期から絵本が好きだったそうです。

それは大人になった後も変わらず、いつも大好きな絵本を持ち歩いていました。

しかし大人になって絵本を大好きで常に持ち歩くさまは多くの人にとって「違和感」なのでしょう。


彼女はその好奇のをものともせず懸命に生きていました。

いや、ものともしていないように見せていたのです。


私の最大のミスは彼らの「平然の装いに気づけなかったこと」

彼らの最大のミスは「平然の装いを脱いだ自分を愛し抜けなかったこと」


好きなことを好きという。魂に嘘をつかない。

社会という共存を前提とした環境ではそんな簡単そうなことがままならないのです。


「私はあの服が好き」「私は彼が好き」「私はカレーが好き」


私たちは自身の好きが「社会にとって排他的ではないこと」にもっと感謝しなければならないのです。

社会に否定されるということは「生を否定されていること」です。



「共存することで支え合うことで生きていく」ことが前提となるこの世界では、いわゆる「変わり者」にとっては地獄のような世界です。

それこそ生を諦めるほどに。


だから私は彼らの選択を否定はしません。


だけど「好きなものを好き」という。それくらいの自由はあってもいいのではないかと思うのです。

それくらいのことが肯定される世界を作りたい。



それがこの「木陰浴の香り」の裏コンセプトです。


木陰浴の香りに使われているイメージイラストは「木陰をいっぱいに浴びながら絵本を読む子供」です。

実はこの絵本の中には「先代の持ち主が直筆で書いた手紙(第一話)」がついています。その筆者はもうすでにこの世を旅立った絵本好きの大人でした。彼の残した思いを次の世代に残していく。


そんなテーマに作った香りが「Scene F1」木陰浴の香りです。

だからこの香水の特徴の一つに「肌につけてからわかりやすく変化すること」があります。それはまるで思いが世代を超えて伝染していくように。次の世代に移り変わりそれが当たり前になっていくように。



貴方は今、胸を張って

好きなものを好き。と言えますか?



もし言葉に詰まったのであればF1を一つ手に取ってみませんか?




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Scene F 「木陰浴」 いびき虫 @zzzgoo

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