第3話

隣町のY君は中学受験するらしい−贅沢なもんだね。

そんな話を母親が町の寄合で聞いてきた。


それまで自分は、小学校のほぼ隣にある中学校に行って、いつもタバコを吸っている不良共に絡まれないよう、慎ましくモラトリアムとしての3年間を過ごすものだと思っていた。もちろん、私立に行くような金は我が家にはなく、母も僕も、中学卒業後は当然、左官見習いとして父の仕事の手伝いをするものと刷り込まれていた。当時選択肢にも上がらなかった存在に、若干心惹かれたものの、弟の世話と母の農作業の手伝いをする日々は、中学受験の存在を忘却させるに十分で、再びその話をしたのは小学校でもY君の話題を先生がした時だった。


「お前ら、どうせ俺らには関係ねぇ、って思っているんだろ?中学受験に興味はある奴はあとで先生にところにこい。意外と、問題解くだけでも面白いもんだぞ。」

すぐ殴る、蹴るで怖い先生であったが、Y君の受験する私立中学の入学金を親から聞いてきて、Y君の金持ちっぷりを小馬鹿にしていた教室前列のグループを叱るでもなく、初めて聞いたような猫撫で声で語りかけたのは、あの時が最初で最後だったかもしれない。別にY君を擁護する訳でもなく、かといって隣町の子供の進学先で盛り上がれるようなこの田舎に一人で辟易していた際に、先生の甘ったるい誘いに乗ってみたのは、気まぐれ意外のなんでもない。


「おぉ、お前か。なんだ、中学受験に興味あるのか?ほら、この問題を解いてみろ。制限時間は60分だぞ」

放課後で騒がしい職員室で、先生は隅に置かれていた予備の椅子を引っ張り出して、自分の机の隅を使わせてくれた。特段、仲が良い訳でもなく、数学が得意でもない自分が、先生の横で問題を解いているのは、なんとも居心地が悪かった。正直、どのみちお金がないので、中学受験ができる訳でもないし、早く帰って農作業を手伝わないと母がうるさいから適当にさっさと終わらせよう−そんな気持ちで問題をみると、数式はなくパズルのような問題で、ちっともわからなかったが、自分の考えを汚い字で問題用紙の余白に4-5行書いて、先生に提出した。


「もうできたのか?いや、ちょっと難しかったよな。実はお前が初めてきたから、つい嬉しくて中学受験の問題を解かせてみたかっただけなんだよ。お前も、そんなに興味があった訳じゃないもんな。悪いな、帰っていいぞ」

あっさりと解放されて、嬉しさ半分、寂しさ半分であったが、農作業のことを思い出して、早々に家に帰ることにした。今日は嫌いなトマトを収穫しなきゃいけないのだ。

「おい、やっぱりちょっとだけ待て。この問題も解いてみろ。家で、時間かけてもいいから。もし解けたら、お前の嫌いな国語の成績がなんとかなるよう、掛け合ってみるからさ」

正直国語の成績が悪かろうとよかろうとどうでもよかった。ただ、成績表を見て父に怒られる理不尽な時間が少なくなるのであれば、また、父の気分が良く成績もよかった時に本を買ってくれるのは魅力的に感じて、つい頷いて先生から問題用紙を受け取ってしまったのだ。ちょうど今日は父がおらず、農作業の後に書籍で本を読みたかった日だ。読書ばかりだと眠くなるし、眠気覚ましがてらにちょうどいい暇つぶしになるかもしれない。




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