第11話 望み(1章 了)

「この後はどうされます?」

 北棟を出た直後、後ろを歩くガスパールが尋ねてきた。

「兄上のところに行く」

「かしこまりました。では執務室までご同行いたします」

 ああ、と短く返事をして、負傷した口元に触れる。

 血が出ているが微々たるものだ、すぐに治るだろう。


「……そうでした、殿下にお伝えしたい事が」

 執務室へと続く廊下、複数の会議室が並ぶエリアに差し掛かった時だった。

 突然背後の男に片腕を掴まれたかと思えば、すぐ脇の一室へと引きずり込まれる。


 相手のなんの前触れもない行動に声を出す暇もなく、思考が追いつかない。強く握られた腕を揉んでいる合間にドアが施錠された。

「おい、なんなんだいきなり――」


 不愉快を隠さず眉間に皺を寄せ声を上げるが、相手は怯む様子もなくシー、と自身の口元に人差し指を立てる。

「誰かに聞かれてはいけません、声を抑えて」

 ――だったらもっと丁重に扱え、王太子だぞこっちは。

 身分を笠に着る思考はしないよう普段から心がけてはいるが、あまりの理不尽さに胸中でそんな悪態が零れてしまった。


 相手が嫌っている人物だからかどうしても沸点が低くなってしまう。口に出さなかっただけましだと前向きに捉え、気持ちを落ち着かせる。

「で? なんだ話って」

「いえ、殿下がどこまで把握しているのか確認しておきたくてですね。――つかぬことをお尋ねしますが、陛下があなたの記憶を奪った理由をご存知ですか?」


「そんなの……」

 自身が吸血鬼であるという事実を隠すため――。

 簡単な話だ、何故そんな事を聞くのかと思いながら答える。

 するとガスパールの紫眼が微かに細まった。


「それだけではないのです」

「…………え?」

 僅かに発生した静寂。彼の発言が瞬時に理解出来ず、その後に出た声はなんとも間の抜けたものであった。


「ど、どういう事だ……? 兄上はそんな事言ってなかったぞ。あの人は俺に何を隠して――」

 動揺のあまりガスパールの両肩を掴んで詰め寄る。

「落ち着いてください。決して利己的な理由だけではないのです。あなたの心を守るためでもあるのですよ、殿下」


 対して相手は宥めるように言葉をかけ、両腕に優しく触れてくる。

「俺の、心……?」

「はい。幼い頃、あなたは酷く辛い経験をした。それは大人であっても堪え難いものです。あなたの精神を案じたリスディア様は解決策として記憶を消した。――それにより結果として殿下には苦しい思いをさせてしまいましたが、どうかご理解いただきたいのです」


 フードから覗く顔は真剣でいて、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。

 彼の肩から手を離し、数歩後退る。

 何故兄はこの事を話さなかったのか、きっと自分に負い目を感じさせないためだろう。だがその気遣いは却ってこちらを辛くさせるだけだ。


「……教えてくれないか、何があったのか」

「申し訳ありませんがそこまではお答え出来ません」

 駄目元で聞いてみて、案の定断られた。そうか、と力なく答えて息を吐く。


「――ですがベルナール殿下なら、遅かれ早かれ自力で思い出すことでしょう。その場合は決してリスディア様に悟られませぬように、記憶が戻ったと知ればまたお消しになるでしょうから」

 たとえ善意であったとしても記憶を奪われるのはもう真っ平だ。ベルナールは素直に頷いた。


「もし本当に思い出した時、少しでも辛いと感じたらどうか私を頼ってください。……といっても話を聞いてあげる事しか出来ませんが、一人で抱えるよりは気持ちが楽になると思うので」

「なんでそこまで……」

 親身になってくれるのかと疑問を投げかける。普段の人を小馬鹿にするような言動からは考えられない。


「贖罪ですよ、私なりの。それにこれらの事でお二人の関係が拗れてしまうのは私も本意ではありません。――兄弟が仲良く過ごせるのなら、それに越したことはありませんから」

 紫の瞳が柔らかく微笑む。

 社交辞令や建前などではなく、おそらくは心の底からの言葉。

 てっきり相手も自分の事を嫌っているのだろうと思っていただけに、想定外の発言に驚きを隠せない。

 自分はこの男の事を少し誤解していたのでは、という考えが脳裏をよぎる。


「……あ、ありがとう。その時がきたらお言葉に甘えさせてもらう」

 ぎこちなく礼を言えば、フフと満足げな笑い声が返ってきた。



 執務室に入ると、リスディアとイネスがローテーブルを挟んで向かい合わせに座り何やら楽しげに話していた。

 イネスの手には本のように二つ折りになった台紙がある。

 テーブルにも同じ物が複数。その内の一つは開かれた状態で置いてあり、中には男性の写真が飾ってあった。

 見合い写真のようだ。彼女の表情から察するに、好みの相手が見つかったらしい。


「素敵な方を紹介してくださってありがとうございます、ディアお兄様。それでは私はこのあたりでおいとましますわね」

 こちらに気付いたイネスが台紙を置いて立ち上がる。

「いいんだよお礼なんて。それじゃあ、話がまとまったら追々連絡するから」


 リスディアの言葉にはいと返し、カーテシーをしたのちに部屋を出ようとする彼女に道を開ける。

「――ああ、やっぱり噛みつかれたのね」

 すれ違いざま口元の怪我に気付いたようで、クスクスと囁きながら去っていった。


「おかえりなさい。どうだった? 彼の様子は」

「とても元気でした」

「そう、それはよかった」

 見合い写真を片付けながら優雅に笑っていたリスディアだったが、こちらに目を向けると表情が曇る。

「それ……」

「ああ、少し興奮させてしまって。大丈夫ですよ、大した怪我では――」


 余計な心配をかけないようにと言いかけた台詞が途中で止まる。

 兄が持っていたハンカチを傷口に優しく当ててきた。

 自然と彼との距離が縮まる。

 自身の身体が熱くなっていくのを実感する。

 嬉しさやら戸惑いやらの気持ちが表に出ないように、表情筋に力が入る。


 長年兄への恋慕を悟られぬようにと努めてきたせいか、感情を抑制する癖がすっかりついてしまった。

 おかげで周囲からは無愛想だと評されるが、瑣末な事だ。少なくとも直情的な性格よりはずっといいだろうというのがベルナールの考え。


 こうして表情の制御には成功したものの、反動からか無意識のうちに兄の背中に腕が伸びる。

「わ――っ」

 突然緩く抱き締められた事に驚いたのだろう。リスディアが小さく声を上げた。

「ま、待って……!」

「嫌ですか……?」


 顔を赤くし焦る様子は、嫌がっているというよりも照れているように見えた。

 弱々しく胸板を押す兄に確認を取る。

「いっ嫌じゃない、けど……」

 リスディアの視線がベルナールから、その横にいる側近に移る。

 見られているのに抵抗があったようだ。


「私のことは置物かなにかと思ってどうぞお気になさらずに――」

「無茶言わないで、存在感があり過ぎるよ。ベルとほぼ背丈変わらないだろお前」

 ガスパールの身長は186センチ。ベルナールより3センチ低いが、高身長であることに変わりはない。

 そんな大男を気にするなというのは些か無理な話だ。

「一旦部屋から出て」

「……ハァ、分かりました。部屋の前で待機していますので、何かあればお呼びください」

 やれやれといった感じで早々に根負けしたガスパールが執務室から出ていく。


 二人きりになったと同時にリスディアの腕が首の後ろに回り、ぎゅっと抱き締め返された。

 不意を突かれ、抑えていた感情が浮上する。

 幸いにも兄は肩に顔をうずめているため、きっとこちらの表情は見えていない。

 顔も耳も燃えているようだ。心臓がバクバクと激しく高鳴っている。


「懐かしいなあ……」

 ふと兄がそんな事を口にした。

「お前が小さかった頃の事を思い出すよ。怖い夢を見たって私の部屋まで来てときがあって、安心させるためにこうして抱き締めてたらいつの間にか寝ちゃっててさあ」

 楽しげに話す内容に、自分にもそんな可愛らしい時期があったのだなと感想を抱く。


「……兄上」

 背中に回した手に力を入れる。

「――ん」

 圧迫感からか、か細い声を漏らす兄。

 

 今でも記憶を取り戻したいという気持ちは持っている。

 昔からあった心に穴が空いているような感覚。きっとそれは記憶を失ったせいだろう、だから全部思い出せば空虚感はなくなるだろうと、そう思っていた。


「全てでなくてもいいのです」

 しかし今こうして好きな人と触れ合っているだけで、充分満たされている。

 なら無理して思い出さなくてもいいのでは。そんな新たな考えが、脳をじわじわと侵食していく。


「答えられる範囲で教えてください。子供の頃の話」

 触れて欲しくない事は無理して聞き出さず、楽しい思い出だけを兄の口から摂取する。こうして触れ合いながら。

 想像しただけでも多幸感が全身を痺れさせていった。


「――うん、いいよ。そのくらいなら」

 リスディアが顔を上げる。フードから覗く赤い瞳も、薄い唇も、緩く弧を描いていた。

「ありがとうございます、兄上」

 先程までの兄同様、相手の肩に顔を伏せる。

 兄の表情から読み取れた、善意以外の感情から目を逸らすように――。

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王様の烙印 西井あきら @akira_nishii

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