第10話 様子のおかしい友人④
リスディアと期限付きの恋人関係を結んでから一夜が明けた。
昼食を済ませた後、ベルナールは北棟へと足を運ぶ。
友人に会うために。
依然として北棟への立ち入りは禁止されているが、今回は特別に許可が降りた。
――しばらく会えなくなると思うから、今のうちに顔を見せておきなさい。
という兄の計らいで。
ベルナールとしても一度ジャスパーと話がしたかったのでありがたかったが、不満が一つ。
前を歩く黒ローブの男――兄の側近の背中を忌々しげに見やる。
「なんで同行者がお前なんだ」
正直な話、ベルナールはガスパールの事を嫌っていた。
どうも昔からガスパールは自分と兄が接触するのを快く思っていないようだった。
直接そういう態度を取られた訳ではない。ただ学院の長期休暇に帰省した際、ただでさえ機会が数少ない兄との会話を早めに切り上げようとする節があった。
――陛下はお仕事が残っておりますので、本日はこのくらいで。
――リスディア様はお身体が弱いのであまり無理をさせてはいけませんよ、殿下。
という具合で。
別に無理をさせた覚えはない。今ならリスディアが吸血鬼であると発覚されるのを防ぐための行為だったのだろうと納得出来るが、当初は彼の態度に反感を抱いたものだ。
他にも理由はある。
事情を知った今でもその感情が薄まらないのはそれが原因だ。
「おや、ご不満ですか?」
自分がどう思われているのか知ってか知らずか、ガスパールはアルカイックスマイルを浮かべ僅かにこちらに顔を向ける。
「お前は兄上の側近だろう。あの人のそばにいるべきじゃないのか?」
「私もそうしたかったのですが、他の者と一緒だと
「……そうか」
たしかにリスディア関連の話をするのなら、事情を知っている者のみであった方がやりやすい。加えて兄の厚意であるというのなら無碍には出来ない。ベルナールは短く納得の意を返した。
「――そういえばお前、あの地下室で随分と兄上に親しげな態度だったな」
話しかけたついでにずっと気になっていた事を尋ねる。
「気になりますか?」
「従者の接し方じゃなかったからな」
「ふふ、さすがに人前ではしませんよ? 二人きりのときだけです。陛下がそう望まれたので」
「なんでまた……」
どこか嬉しそうに話すガスパールに若干の苛立ちを抱きつつも、それを表に出さぬよう努めてまた疑問を投げかけた。
「あの方の境遇上、心を開ける相手は限られるうえ、先代様とも折り合いが悪かったので。赤ん坊の頃からの世話係兼魔法の指南役である私に何かを見出したのでしょう」
「親代わりって事か」
「そうですね、差し出がましいですが」
本来なら幼少期に与えられるべき親からの愛情を、兄は手にする事が出来なかった。
それを代わりにくれたのが目の前の男。
リスディアがガスパールを信頼しているのは見るだけで分かる。
その背景は、長年培われてきた擬似親子的な関係が大いに影響しているのだろう。
「羨ましいな」
思わずボソリと零す。
自分が彼の立ち位置だったら、とついそんな事を考えてしまう。
「ご希望でしたら殿下にもそのように接しますが」
「そっちじゃない」
冗談ですよ、と相手は揶揄うように笑いながら返す。
そういうところが気にくわないんだと、ベルナールは胸中で悪態をついた。
北棟の三階に到達した。廊下を左に曲がる。ガスパールの話では、この先の奥の牢屋にジャスパーが収監されているとのこと。
廊下を見据えると、前方に見知った人物がいた。
水色のドレスに、金色の髪をハーフアップにセットした少女。傍らには侍女を従えている。
従妹のイネス・レルネだ。
「あら? ベルお兄様もいらしてたのね」
ベルナール達に気付いたイネスが駆け寄ってくる。
「ジャスパーに会いに行ったのか?」
「ええ、ディアお兄様には無理しなくていいって言われたけど、婚約破棄されたとはいえ小さい頃からの仲だもの。気になったから来ちゃった」
親族という事もあり随分とフランクな話し方。
「で、どうだった? 元婚約者様の様子は」
「それが聞いてよ。ジャスパー様ったら、人がせっかく会いにきたのにお前には用はないとか言うのよ。挙げ句の果てに 私とよりを戻す気はないって……冗談じゃないわ。何を勘違いしているのかしら、こっちだって願い下げよ!」
話している内に怒りが込み上げてきたのか、持っていた扇を手の平にバシバシと叩き始めた。
「だから言ってやったの、ディアお兄様があなたよりもっといい人を紹介してくれるから間に合ってますって。そしたら 吸血鬼の言う事を信用するなですって。舞踏会の時も思ったけど、頭がおかしくなったのかしら。じゃなきゃ私を捨ててあの女を選ばないわよね。お兄様の事悪く言わないでって言ったら喧嘩になっちゃって……。そういう訳だから今あの人とっても機嫌が悪いの。噛みつかれないように気をつけてね」
にっこりと笑顔で締めて去っていく従妹の背中を見送る。
タイミングが悪過ぎたなと思いながらも、ここまできて引き返すわけにはいかず再び歩き出す。
先程よりも若干足取りは重い。
そうして貴人牢の扉前へと来た。
ガスパールが牢屋番に事情を説明している間に、扉上部の鉄格子の小窓から中の様子を見る。
簡素なベッドに腰を下ろしているジャスパーの姿が見えた。顔を俯かせているため表情は分からない。
ただ、だらりと膝の上に置かれた腕、両手首に装着された魔力封じの腕輪ははっきりと視認出来た。
魔力封じの腕輪とは読んで字の如く身につけると魔力が扱えなくなる代物だ。主に魔力持ちの罪人や、魔力制御が上手く出来ない幼い子供の魔法の暴発防止のために用いられる。
牢屋番がガスパールに鍵を渡し持ち場から離れていく。
開錠音に反応し友人が顔を上げた。
中に入った途端に飛んできた拳を左手で受け止める。
「元気そうで何よりだよ、ジャスパー」
「お前、よくのこのこと……!」
友人の瞳は舞踏会の時にリスディアに向けていたもの同じ――憎悪に染まっていた。
「あの時何故俺を見捨てた!?」
「あそこで一緒に騒げば俺まで狂人認定されるだろ? それに兄上の立場が悪くなる事はしたくない」
「なんでこの後に及んであの男を庇う! あの場所で見たことを忘れたのか? お前の兄は化け物なんだぞ!?」
拳を下ろしたジャスパーは、両腕をカラスの翼のようにバッサバッサと動かしながら必死に訴えかける。
「忘れてないさ、たしかに兄上は吸血鬼だ。でもなジャスパー、お前が思っている程危険な存在ではないんだよ、あの人は」
怪訝な顔をする彼に説明をする。兄は無差別に人を襲っているわけではない、食事は罪人からしか摂っていないことを。しかし友人の表情は依然として不機嫌なまま。
「罪人であろうと人を殺しているのは事実だろう!」
「俺達だって生きていくために他の生き物を食うだろう? それと同じだ。兄の場合その対象が人間だったというだけで――」
「ふざけんじゃねえ! そんなので納得出来るか! 同情こそすれ生かしておく理由なんて――」
「ある、充分にある」
相手の言葉を遮ってベルナールは断言する。
「あの人は就任して以来ずっとこの国のために尽くしている。民にも愛されている。この国になくてはならない存在だ。……俺にとってもな」
これで六代目のように暴君であったならまだジャスパーの主張も一理ありと頷けたのだが、リスディアはどちらかというと善良な王であった。
「……ならセシルを喪った俺の無念はどうすればいいんだ」
友人の顔が失意に染まる。今にも崩れてしまいそうなほどにフラフラとよろめき、表情が抜け落ちた顔を両手で覆う。
それらはもう会えない愛する人を想う行為としてなんらおかしい点はない。
だからこそ、ベルナールの憶測が深まっていく。
「……なあジャスパー、お前は本当にあの令嬢の事を好いていたのか?」
「は?」
何を言っているんだと言いたげに、ジャスパーが伏せていた顔をあげる。
「お前はどちらかというとテイト嬢の事を良く思っていなかったじゃないか、周囲と同じように。不特定の男と関係を持っている奴とは関わりたくないって」
「それは……」
第一印象が最悪でも後々仲良くなる可能性も否定出来ないが、それを踏まえても政略的要素を絡む婚約を蔑ろにする真似はしないだろう。
少なくともベルナールの知っているジャスパー・メイユという男は本来そんな愚かな事はしない。
「その感情は本当にお前の意志なのか?」
「さっきから何を言って……」
ジャスパーは明らかに困惑しているが、構わず話し続ける。
「なんらかの原因で知らずに歪められたものじゃないのか? 例えば催眠術とかで」
「馬鹿なこと言うな、セシルがそんな事するはず――」
「俺もあの令嬢にそんな芸当が出来るとは思っていないさ。調べたら保有魔力量は平均よりもかなり少なかった。だが世の中には使用者の魔力の有無関係なく高度な魔法が実行出来る代物が存在する」
「……めろ」
「テイト嬢がそういった類の道具を持っていたとしたら全部説明がつくだろう。お前も、他の男達の代わりようも。その心はお前自身のものじゃない、作為的に植え付けられた偽りの――」
「やめろ!」
バシンッと右の頬を叩かれた。爪が当たったのか、口の端が僅かに切れる。
「これ以上彼女を侮辱するな!」
余程頭にきたのか、息を荒くしながらこちらを睨みつけてくる友人。
これ以上の対話は無理そうだ。じんじんと痛む頬を押さえながらそう結論付ける。
伝えたい事は全て言った。はなから自分の主張は受け入れてもらえないだろうと予想していたので、友人の拒絶に心が痛むことはない。
「……お前が帰る前に話が出来てよかったよ。明日迎えが来るそうだ。今後の処遇がどうなるかは分からないが、機会があればまた会おう」
最後も淡々と別れの言葉で締める。
踵を返せばガスパールがタイミングよく扉を開けてきた。
廊下に出たあとに牢屋の方を見やる。
瞳に映るのは友人の背中。
再びガチャリと音がしても、彼がこちらを向くことはなかった。
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