第9話 様子のおかしい友人③
階段の終着点には、この場に似つかわしくない豪奢なドアが閉ざされた状態で待ち構えていた。
ゆっくりとドアを開ける。ギィと不愉快な音が静寂になれた耳を刺激する。
目に飛び込んできたのは、いくつもの棺桶が壁にたてかけてあるだけの寂しい部屋であった。
「誰もいない……。当てがはずれたか?」
「いや、この奥にもう一つ部屋があったはずだ」
ドアを閉じ、ベルナールは奥にある閉め切ったカーテンへ近付く。
ほんの少し広げ中の様子を確認すると、自室と同じ広さの部屋がそこにあった。
調度品も同等の物だろう。
そして、ぽつんと置かれているベッドに探し求めていた人物が。
「セシル!」
ジャスパーが肩から飛び立ち令嬢に駆け寄る。
後に続いてベッドの側まで行ったベルナールは、間近で見たセシルの姿に僅かに目を見開いた。
以前見かけた時はほんのりと桃色に染まり、丸過ぎず細過ぎずと健康的だった頬が、現在では病人のように青白く痩せこけていたのだ。
「ああ、こんなにやつれて……」
翼をセシルの顔に寄せ悲嘆に暮れる友人を尻目に、ベルナールは更に驚くべきものを発見する。
「ジャスパー、これ……」
見えやすいように掛け布団をどかす。
令嬢の片足には枷が取り付けられており、ベッドの足と鎖で繋げられていた。
それを見たジャスパーは顔を歪ませ、人間の姿に戻り鎖を両手で思い切り引っ張る。
当然の事ながらびくともしない。
「クソ……魔法だとセシルに怪我させるかもしれないし、何か壊せそうな物は――」
友人が鎖を破壊出来そうな道具を探している
――なんだこれ。
針を刺されたような跡が複数、注射器か何かだろうか。
何故かこれを見た途端ズキリと頭に痛みが走り、片手で押さえる。
――駄目じゃないか、勝手に入っちゃ。
急に背後から聞こえてきた兄の声。
振り返っても実際そこにリスディアの姿はない。
だがベルナールの頭の中にはありありと白ローブの男の姿が浮かんでいた。
これは脳内が生み出した幻覚。
突如再生された過去の出来事。
頭の中の自分は鎧を着ておらず、背も随分と低い。
兄がゆっくりとこちらに近付いてくる。
怒っているのか、悲しんでいるのか。フードを被っているせいで表情が読み取れない。
頭痛がどんどんひどくなっていく。
兄の幻影が両肩に触れてきた。
身体が金縛りに遭ったかのように動かない。
首元へと近付いてくる口から、異様に鋭い犬歯が見えた。
――ああ。そうか、俺は。
ギィ――。
後方からの物音によって現実に引き戻される。
見るとベルナール達が入ってきた所とは真逆の位置にあるドアが開いていた。
そこから現れたのは炎を纏った二頭の蝶。
蝶達は二人を気にすることなく、燭台に火を灯し始めた。
「……兄が来る」
根拠はない。だが確信はあった。
ベルナールの言葉を受けて、蝶を目で追っていた友人がまたカラスへと変身し一目散にカーテン裏に隠れる。
数拍置いてベルナールもそこへ移動し、程なくして一人の人物が向こうのドアから入室してきた。
百合の刺繍が付いた白ローブ、そこから覗く白い髪――。
ベルナールの予想通り、リスディアである。
手には料理が乗った木のトレイを持っていた。
椅子に座り、令嬢と一つ二つ言葉を交わしながらスープを飲ませようとしている。
やがて器とスプーンを置くと、今度は彼女の左腕を持ち口元へと持っていく。
そして噛みついた。
――やはりあの傷は……。
彼によって作られたものだ。
セシルが一切抵抗しないのは催眠か何かにかかっているからだろう。そして自分が記憶を失ったのも兄の仕業であると、目の前の光景を見て確証を得る。
記憶が一部戻っただけでなく、記憶喪失の原因が判明したのは大収穫だ。
充足感からか、実の兄が吸血鬼であるという事実をすんなり受け入れてしまっている。
その異質さに当の本人は気付いていない。
後は兄が退室するのを見計らって来た道を戻るだけ。ベルナールはそう思案する。
しかし、隣にいる友人は違った。
カラスの状態のまま飛び出そうとするジャスパーの胴体を掴む。
「おいバカやめろっ」
「でもこのままだとセシルが……!」
小言で制止をかけるが聞き入れてくれない。
暴れるジャスパーをなんとかカーテンから遠ざけようと後退る。
と、背中に何かが当たった。
壁に立てかけてある棺桶だ。
これだけでは終わらない。ベルナールがぶつかったことにより棺桶はバランスを崩し、大きな音を立てて倒れた。
カーテン越しでも感じる視線。脳味噌が警鐘を鳴らす。
兄が来る前にここから出なければとドアノブに手をかける。
けれども少し開けたところでギ、と微音が。そういえば建て付けが悪いのだったと思い出し一旦動きを止めた。
冷静さが保たれていたのは不幸中の幸いか。近くにあった棺を思い切り蹴ると同時に勢いよくドアを開ける。
蹴られた棺は隣の棺にもたれかかり、それがまた隣へ――といった形でドミノ倒しのようになり、先程よりも大きな音を出す。
蹴った際の音と倒れた時の音でドアの開閉音を掻き消し、なんとか部屋から出ることが出来た。
ドア越しに物音が聞こえてくる。リスディアが棺の中を確認しているのだろう。
その場にしゃがみ込み息を殺す。どうか部屋の外まで見に来ないことを願いながら。
無意識に手に力が入っていたのか、ジャスパーが苦しそうに羽で手を叩いていたので少し緩める。
そうしていると、兄以外の人物の声が聞こえてきた。
――この声、ガスパールか?
普段と喋り方が大いに異なるが、声音はたしかに兄の側近のものであった。
やがて向こう側のドアが開く音がして、二人の声が遠くなっていく。人の気配が完全に無くなったところで恐る恐るドアを開ける。
棺桶の部屋を進み、カーテンをそうっと開くと、奥の部屋にはセシル以外の人間はいなかった。
友人が手から離れ彼女の元に駆け寄る。
「セシル、セシル!」
呼びかけても返事はない。
「……死んでるな」
「そんな――!」
呼吸と脈拍がない事を確認したベルナールの言葉に、ジャスパーがベッドの上に崩れ落ちた。
うっ、うっ、と嗚咽を上げる友人にどう言葉をかけるべきか模索しながら、令嬢の首から手を離す。
その際に、彼女の首にかけられた紐が指に引っかかった。
紐はドレスの襟の中まで続いている。
なんとなしに手繰り寄せると、緑色の石ペンダントが出てきた。
石には曲線で祈るポーズをとっている人間のような模様が刻まれている。
それを目にした瞬間、ベルナールの瞳が大きく見開かれた。
何故これがこんなところにあるのだろか。
何故一介の令嬢が持っているのだろうか。
――もしこれが本物なのなら、ジャスパーがおかしくなったのは……。
ちらりと友人を見る。
ジャスパーは依然として顔を伏せて涙を流しているため、ペンダントに気付いていない。
ベルナールは気付かれないようにペンダントを手に取る。
そして友人に声をかけ、地上へと戻っていった。
甲冑を元の場所に戻し、ベルナールの部屋へ。
人間の姿に戻り、ベッドに腰を下ろし項垂れているジャスパーに声をかける。
「その、残念だったな、テイト嬢の事。ただどちらにせよあの令嬢は死罪が決まっていた」
姦通の罪は重い。ましてや国王に無体を働いたとなれば尚更。
「だからテイト嬢の事はこれできっぱり諦めて――」
「ああ、そうだな。どのみち彼女は死ぬ運命だった、それは受け入れるさ。だがな」
ベルナールの言葉を受け、ジャスパーはすっと立ち上がった。
「問題はオルレード王だ、早めに手を打たねば」
「手を打つって……殺すって事か? 兄上を」
友人の主張に銀の瞳が驚愕に染まる。
「当たり前だろう! このまま放っておいたらまた死者が出るかもしれないんだぞ!」
「それはそうだが……現実的じゃない。お前、本気で兄に勝てると思っているのか?」
「うっ……たしかに俺一人では敵わないだろう。でもこの事を話してみんなで協力すれば――」
「無理だ、絶対に誰も信じない。証拠がない上にただでさえあの人は人望が厚いんだ。そんな人を化け物だなんて言ってみろ、白い目で見られるのがオチだ」
ベルナールとしても兄が殺されるのはもちろんの事、友人が狂人扱いされる事も望んでいない。だからなんとかしてジャスパーを宥めようと言葉をかけ続ける。
「愛する人が死んで辛いのは分かる。だが少し冷静になれ、今はまだ動くときじゃ――」
「分かる……? 分かるだと? ふざけんじゃねえ、恋人どころか婚約者すらいないお前に俺の気持ちなんか分かるもんか!」
肩に乗せた手をはねのけられ呆然とするなか、友人はつかつかと部屋の端に行き窓を開けた。
外はもうすっかり暗くなっている。夜の帷には朧な光を放つ細長い月が浮かんでいるのみ。
カラスとなったジャスパーは窓枠へと立つと、そのまま勢いよく飛んで行ってしまった。
「……分かるよ」
ひとり残されたベルナールはしばし友人が見えなくなっていった空を見つめていたが、やがて糸が切れたようにベッドに沈み込んだ。
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