第5話 ラブコメなら他所でやれ! ⑤









 今日は少し大胆だったかもしれない。


 夜がもうそこまで迫る夕暮れの終わり。ソファーの上で背を丸め、私は反省の溜息をひとつ。

 自宅までの道のりを、どうやって帰ってきたかも憶えていない。

 それほどまでに舞い上がったお昼のひとときから先。そんな頭が冷えてきた頃合いに、襲ってきたのは様々な後悔だった。


 溜息なのかなんなのか、小さな唸り声まで口から漏れて、あぁもう。私ってば、イヤになる。


 彼とちゃんと話せただろうか。

 彼の前でおかしな行動を取っていなかっただろうか。

 私は、彼に面倒な女子と受取られていないだろうか。


 お昼を作っていったのは時期尚早だったかもしれない。


 まだ数回しか会っていない、それこそ彼の名前も聞けていないのに、経験不足とはこのことだ。重い女だ、面倒だと距離を取られるかもしれない。

 少し考えれば分かるはずなのに、勝手に一人で舞い上がって……つくづく私という生き物の恋愛経験の乏しさが恨めしい。


 たしかに彼は美味しいと言ってくれた。全部食べてくれた。ありがとうと笑ってくれた。でも。


 でも。……彼の本音はどうなのだろう。


 イヤな想像が頭をぐるぐると回り、抱えたクッションを潰していく。


 今思い返しても、はじめましては散々なものだった。

 自身の高校入学を機に、家族揃って懐かしさの残るこの街へ戻ってきたものの、中学・高校とエスカレータ式の学校だ。雰囲気的に、数の少ない編入組は軒並みどこか蚊帳の外。


 チラチラとこちらを覗き見るような男子生徒達。

 妙に私を特別扱いする女子生徒達。


 私にもよくない部分はあったのかもしれないけれど、腫れ物を触るような周りの態度が気に入らなくて、ストレスで、自分の心が重く冷たいものになっていくのがイヤでイヤでたまらなくて。


 もちろん、なにも行動しなかったわけではない。


 こちらを見てはコソコソと、噂話に花を咲かせる男子達には『なにか?』と、毅然とした態度で臨んだし、女子達とは『分けて扱うのははやめてください』仲良くなろうと画策した。

 ただ、おそらく私はその手の触れ合いがヘタクソなのでしょうね。

 男子からはより一層の距離を取られ、女子からも右に同じ。

 私は皆と仲良くなりたいだけなのに。途中から、もう、どうしたら良いのか分からなくて。


 そんな、何もかもが上手くいかないまま一年ほど過ぎた頃だった。――あの事故が起きたのは。

 あまりよくは憶えていないけれど、突然の音と痛烈な衝撃にいったい何が起こったのか。


 タクシーの中でそれが事故だと気がついた頃には、もう手遅れで。


 頭を打った事によるものか。

 ボンヤリとした意識の中、上手くいかない交友関係に疲れていたからかな。ひとつ上手くいかないと連鎖的に悪い事が続いていくものだ。


 負けるもんかと意地を張ってきた私です。

 泣くもんかと歯を食いしばってきた私です。

 それなのに。


 何で私ばっかりこんな目に。なんて、ちょっとした自暴自棄。

 自然と涙が溢れてきたときだった。


 ――大丈夫だから。絶対に助けるから。


 力強い声と共に、あの人が来てくれたのは。


 遠のく意識の中で、なんで。なんで、こんな私を助けてくれるんだろう。一生懸命になってくれるんだろう。

 苦しそうに咳をして、煙が沁みて痛いのだろう。ボロボロと零れる涙は痛々しくて、辛そうで。


 私にそんな価値はないはずなのに。どうしてアナタはそんなにも頑張ってくれるのか。


 こんな可愛げのない、ふて腐れてばっかりのいじけた女子を、煙に巻かれ、苦しいだろうに。辛いだろうに。


 彼は我が身をかえりみず救ってくれた。


 ふと目が覚めると病院で、家族からことの顛末は聞いたけれど、ボンヤリとした頭が覚醒するにつれて、もう私はそれどころじゃなかった。


 名前も知らない彼。

 何も言わずに去った彼。

 私を救ってくれた彼。


 上気する頬と、高鳴る胸。

 目を閉じても、あの時の彼が瞼に焼き付いて離れない。

 ポロポロと泣き出した私を周りはどこか痛むのかと心配してくれたけど、ううん、違う。これはそんなモノじゃない。


 これは、もっと大切なモノだ。一生に一度の宝物だ。


 だから、あの日あの時あの場所で。はじめて立ち寄った図書館で。

 彼の姿を見かけたときに運命を感じた。そして、私は誓ったんだ。


 ウジウジした自分は捨てよう。

 昨日までのイヤな自分とはサヨナラだ。


 この気持ちだけは真剣に、この思いだけは真正面から伝えようと、震える足、滲む瞳、跳ねる心臓を抑えながら覚悟を決めた。


 それなのに。


 きっと、彼に私の気持ちは伝わっていると思う。

 言葉には出来ていないけれど、聡明な彼のことだ。私の不器用さも混みでヘタクソな恋心を理解してくれていると思う。


 でも。

 だけど。

 イヤだけど。

 それでも反応がないのは、やっぱりそういう事なのか。


 しんと静まりかえったリビングにひとり。胸がキリリと痛みを発し、もう一度、低い唸り声が出た。


 やっぱり彼女がいるのかもしれない。


 もうすでに私なんかじゃ足下にも及ばない素敵な子がいるのかもしれない。いや、あれほど素敵なヒトだ。居ると考えたほうが……。


 またふいに昔の自分が顔を出し、しめしめと私をそちらへ引きずり込もうとしてくるようだ。

 ダメだ。負けるな。そうだ、彼の口から聞くまでは諦めるなんて早すぎる。

 そもそも、私は彼にこの気持ちを伝えてないじゃないか。


 いや、でも。私の行動で、彼はどう思うのだろう。

 

 面倒な女だと、距離を取られるかもしれない。それなら今のままの関係が望ましいのでは。

 あぁ、この考えがよくないことはわかっているけど、あぁ、どうしよう。


 葛藤する二つの心のせめぎ合いに、いよいよ具合が悪くなりそうだ。


 悶々としていると、――ちょうど妹がリビングへと顔を出し、笑った。


「姉さん、その顔は可愛くないよ」






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