第2話  ラブコメなら他所でやれ! ②







 通い慣れた図書館に、涼しく声が溶けた。


 読んでいた本をゆっくり閉じ、僕は心の中いっぱいに溜息を吐く。その綺麗な声で、すぐに誰なのか見当がついたからだ。


 見なくてもわかる。


 きっと、いつものように美貌を振りまいて、それでいて、モテない陰キャを勘違いへと誘う。そんな、例の可愛らしすぎるハニカミ顔で、あの可憐な少女はそこに立っているのだろうから。


 いやはや、またかと言わざるを得ない。休日の朝から面倒な子に出くわした。


 こんな早々と、市営の図書館に来ているような男だぞ、僕は。


 空調の効いた中、ゆっくりと朝から晩まで本を読む事を許される場所。いうなればここは最後のオアシス。

 そんな陰キャの聖域を土足で踏みにじる行為はやめて貰いたい。

 外は気持ちの良いピーカン晴れで、風も涼しく絶好の散策日和。可愛いアナタは例のイケメンとデートでもしてきなさいよ。

 かたや僕という生き物は、家に居ても姉や妹が喧しく、かといってわざわざ遊ぶような友人もいない。

 それを理由に、こんなサイレントな穴蔵に籠もっているのだからさ、それが意味するところを、どうか僅かばかりでも汲み取っておくれ。


 僕は、相手方に少しだけ視線を向け、小さく会釈をひとつ。と同時に立ち上がると、隣の椅子を静かに引く。


 正しい所作は知らないけれど、いつかの執事系小説で、たしかこのような感じと読んだ覚えがある。

 そんなキャラクター性にそぐわない僕の異常行動に、周りのヒト達がどよめいたように思えたが、……これは仕方ないのだ。

 なんせ、お隣いいですかもなにも、結局そこに座りたがる事は今までで学習している。


 初めてこの図書館で遭遇したあの日なんて、僕は気づけていなかったからさ。ずいぶんと長い間、声をかけあぐねた様子でどうしたものかと右往左往していたらしく、見かねた司書さんが、『お隣、彼女いいかしら?』声をかけてくれなければいつまでそうしていたことだろう。

 見ると、恥ずかしそうに顔を赤らめた彼女が、手にトートバッグをぶら下げたまま、それこそバツが悪そうに足下へと視線を落としていた。


 その時は、周りから『さっさと気づいてやれやボケナスが』といった視線を感じ、ずいぶんと居心地が悪い思いをしたからさ、それならモジモジと、こんな可憐な子が案山子のように立ったままでは今日も今日とて周りの目があるわけで。――そうなれば、さっさと座ってもらうほうが吉だ。


「失礼します」


 彼女は笑みと共に行儀良くスカートを抑えながら一礼。


 その際、いつもより大き目のリュックが気にかかり、一体何を持ち歩いているのだろうか。そちらもどうぞ。手を差し伸べた。

 彼女は、すぐに僕の意図を理解してくれたようだ。

 少し躊躇する素振りを見せたが、リュックをこちらへと預け、図書館という場所を気遣ってか蚊の鳴くような声で、


「ありがとうございます」


 僕は、返答代わりの愛想笑いをひとつ。


 続けて、あの。と聞こえたような気がしたけれど気のせいか。


 しばらくの間ぎゅっと口を結び、何かを訴えかけるように僕を見つめてきたが、……ふぅと諦めたように溜息をつくと、ようやく彼女は隣の席へと腰を下ろした。


 それにしても、今日はまたずいぶんとラフな格好だ。


 ゆったりとしたTシャツに淡い色味のロング丈なスカート。頭にはキャップを乗せて、たぶんこの大きめのリュックと合わせたからだろうけど、今日も今日とて思い知らされる。

 先週だってそうだ。

 可愛らしいショルダーバッグに、少し肌寒かったからか、フェミニンな厚手のワンピース。

 その少しレトロなデザインが彼女の持つ魅力をよりいっそう引き立たせており、わざわざ口には出さないけれど、エグいくらい可愛かったもので強烈に記憶している。

 毎度の事ながら、まるでファッション雑誌から抜け出してきたような美しさに、ホント、スタイルの良い美形は何着ても似合うもんだなと、改めて自分の不格好さが惨めに思えてしょうがない。


 僕は、受け取ったリュックを彼女の隣。さすがに床に置くのは憚れたので、空いた方の椅子へと置くと、音を立てないように自分の席へと戻る。


 彼女の鈴を転がしたような声が届いたのは、そのすぐ後だった。


「今日も、お早いですね」


 低い位置でひとつにまとめたゆるふわの髪、その毛先を手でいじりながら、チラチラとその綺麗な瞳で僕を盗み見てくる。

 僕はその視線を躱しながら、間違っても『家に居場所がないもんで』なんて言わない。ただ、「そうですね」と一言だけ。

 とうの彼女は、何やらモジモジと「えっと、えっと」話しかけたそうにしているが、勘弁してくれ。

 先日は、そのおしゃべりのせいで周りから冷ややかな視線を浴びたばかりだし、――確かにその時読んでいた本の内容もよくなかった。


『私もそれ読みました。良いですよね』


 小さい頃離ればなれになった二人が、劇的に再会するところなんか感動します。なんて、女子を中心に売れた人気恋愛小説なんか、食いついてくださいと言ってるようなものだ。

 どうやら彼女もファンのひとり。うっとりとした顔で、ぺらぺらと。


『先日、映画化したときは妹と一緒に見に行きました』だの『そういえば、その時とっても美味しいアイス屋さんを見つけたんです』だの。


 だが、待ってくれ。


 ここは図書館で、しかも周りには人が居る。当然雑談はNG。そんな中で、


『……う、運命って、信じますか』


 挙げ句の果てには耳まで染めて、妙なことを口走りはじめるし。

 一事が万事、こんな感じでは今日という今日はいよいよ注意されかねん。


 まぁ、あれだな。おしゃべりは女の子の特権だと聞いたことはあるが、おあいにく様。勉学はからっきしな僕だけど、ところがどっこい同じ轍は踏まないのだよ。


 今日という今日は、の精神である。


 これ以上はたまらんと、そそくさと手に持った本を開いて、僕は再び活字の世界へ旅立っていく。


 本音では、隣に誰かがいると気が散ってしまい本に集中しづらいのだけど、だからといって僕が席を変えたとしても、うぬぼれでなく、きっと彼女は後を追ってくる。

 そもそも、今座っているこの位置こそが、今僕らのいる市営図書館随一の、空調と日当たりがベストマッチした完璧なスポット。

 個人的には玉座とすら呼んでいる、そんな王様の椅子を、誰かに譲ろうなんてこれっぽっちも思っていないのだから、それなら僕が我慢するよりほかはない。


 そもそも、話に付き合ったところで話題はどうするつもりなのか。


 初対面のあの時から二ヶ月。ようやく挨拶するようになって一ヶ月ほどか。

 未だに名前は知らないけれど、初めて会ったときに着ていた制服は、ちょっと離れた進学校のものだったから、だいたい年齢的には同世代。

 せめて、同じ学校に通う生徒ならばいくらか話のネタはあるだろうけど、それすら無いとなれば、……悔しいかな。学力の差は、そのまま話題の質にも直結する。

 それでいて、身に纏った衣服や小物から彼女の家柄は相当なものだと予測できるし、所作のひとつをとっても気品に溢れている。


 片や、僕なんてどこにでも居る一山いくらのモブだぞ。


 着ているものなんてマネキンが悪けりゃ何を着ても一緒だからさ、Tシャツ一枚で二千円を超えれば高級品だ。しかも中身は卑屈で根暗な皮肉屋ときている。

 そんなふたりなのだから、どう足掻いても盛り上がる話題なんてあるわけがない。

 いいとこ天気の話をして、暑いだの寒いだのと気温の話をすれば、はい終了。

 無理に話してボロが出て、バカみたいな事を口走るくらいなら黙っていた方がマシ。

 もとより、彼女が僕に近づく理由も未だ不明なままだし、もしコレが僕に対するイタズラだったらどうするつもりだ。


 美人に舞い上がるパッとしないモブ。

 必死で仲良くなろうと頑張るモブ。

 それを、自分の知らないところで笑いものにされるモブ。


 あぁ、イヤだ。そんなヒドい仕打ち、御免被りたいね。


 それこそ過剰なおしゃべりは身を滅ぼすことになりかねない。となれば、だんまりが正解だよ、恐ろしい。








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