4(終)

 テッドは、酷い有様だった。殆ど千切れかけていた左腕がまるで目立たなくなるほどに四肢は執拗に破壊されていた。一方で、頭部は左側の耳と頬がそぎ落とされ合金製の頬骨が露出しているぐらいで済んでいたし、胴体の方も内部の機器は概ね無事なようだった。

 ハクスリーはまた表情をだらしなく緩ませた曖昧な状態に戻っていて、テッドの怪我をみて我を失うほどに嘆き悲しんだ。

「なんとひどい、おお……」

 テッドは、仰向けのまま顔をハクスリーの方に向け、彼の折れた指と破れて捲れあがった側頭部の表皮を見た。

「あなたも、ひどい怪我だ。大丈夫ですか?」

「これぐらいお前に比べれば、何ともあるものか。早く病院に、医者に見せなければ」

「医者? 病院?」

 ハーパーが口を挟んだが、ハクスリーはそれで初めてその存在に気付いた様子だった。

「ああ、お嬢さん。申し訳ないが、この近くに病院があれば、人を呼んできてもらえないだろうか」

「ちょっと、ちょっと待ってよ」

 ハーパーが慌てた様子を見せた。

「すみません、マム。ぼくからもお願いが」

「ハーパーで良い。なに?」

 テッドが、頭部を撃ち抜かれ動かなくなった男たちの方を、顔で示した。

「あの人たちは、どうなっていますか」

「死んでる。だからなに」

 ハクスリーはそれを聞いて今更のように目を剝いたが、構わずテッドは続けた。

「彼らの身体の、無事な部品をぼくらに。お願いできませんか?」

 数は足りているはずです、というテッドの懇願に、ハーパーはわずかな時間だけ考えた。

「たぶん出来るけど、簡単な工具しかないし、時間は掛かるよ」

「どれくらい?」

「順調なら2日。動作チェックを除いて」

 テッドはその答えを聞き、ハクスリーに向けて微笑んだ。

「お医者さんが見つかりましたよ」


 ランタンの光が淡く切り取った闇の中、ハーパーの手による大手術が行われた。死体を解体し、関節を取り外して骨格を切り取った。人工筋肉を結び、足りない回路を代替部品に置き換え、電圧と信号をチェックして慎重にノイズを除去した。ハクスリーはその間ぼんやりと膝を抱え込んでいたりテッドを励ますよう身体をさすってはハーパーに咎められていたが、時折正気を取り戻した。

「いよいよ足手まといになったな、おまえ」

 手足の形を少しずつ取り戻していくテッドに向かって、吐き捨てた。

「この役立たずめ」

「ひどい言い方」

 手元の作業に集中したまま、ハーパーが窘めた。ハクスリーの予兆のない人格の変化にも、もう慣れっこのようだった。

 ハクスリーは、鼻で嗤った。

「置いていってやりたいね。このまま野良にでも何でもなればいい」

 端からそのつもりがないことは明らかな物言いだったが、テッドはただ「すみません」と謝るばかりだった。

「置いていくなら、好きにしたら」

 あなたの手はもう直ったんだし、と歯牙にもかけないハーパーの言葉に、ハクスリーは苛立った様子で舌打ちした。


「すごい、本当に元通りだ」

 両手を何度も握っては開き、感心したようにテッドは微笑んだ。

「元通りじゃない。取り敢えず動くようにしただけ。正規のメンテナンスとは違うんだから、時間が経てばどうなるか保証はないよ」

 ハーパーの言う通り、肉は被せて縫うかバンドできつく巻いただけ、腱はいつほどけてもおかしくないし、制御ソフトウェアと各ハードウェアの規格の相性はまるで無視した仕上がりだったが、それでも現状で成し得る最上の結果というべきなのは間違いなかった。

「十分です。ほんとうに、感謝しています」

「あんたは最高の名医だ、お嬢さん」

「はいはい。ありがとう」

 現実の認識のあやふやなハクスリーのあしらい方も、板についてきたようだった。

「で、これからどうするの」

「どうって……」

 問われて、ハクスリーは目をしばたいた。

「なあテッド、わたしたちはどこへ向かっていたんだっけな」

「さっき、お母さんから電話がありましたよ。ここから西の、」

 テッドはちらりと、ハーパーの方に視線をやった。

「サンディーバレー?」

「そう。そこで待っているそうです。土産話を、楽しみにしていると」

「おお、そうか、そうだった」

 好々爺といったていで、ハクスリーが笑った。

「わたしたちはそこへ向かうよ。お嬢さんは?」

「わたしは……まあ、仕事もなくなったし、行くあてもないけど」

「なら、うちへ来るかね」

「うちって、」

「家内にも紹介しよう。若いのにとびきり腕のいい医者で、わたしとテッドの恩人だと」

 きっと歓迎してくれるさというハクスリーの提案に、テッドも頷いた。

「いいけど、まあ」とハーパーはあいまいに答えた。

として予後が気になるのは、そうだし」

「なら、決まりだ」とハクスリーは軽い足取りで歩き始めた。

 その背後で声を潜め「ねえ、彼の奥さんと息子って」と尋ねるハーパーに、テッドは首を振ることで答えた。


 正気のハクスリーは、焚き火を好んだ。

「昔はよく、こうしたもんだ」

 3人で焚き火を囲む夜に、運よく見つけた薪を放り込んではそう言った。

 正直なところ、ハクスリーをはじめハーパーもテッドも暖を取る必要があるわけではなかった。テッドがハクスリーの感傷的な行為に口を挟むことは勿論なかったが、ハーパーはしばしば突っ掛かった。

「昔はそうだったでしょうけど」

「何が言いたい?」

「赤外感知も生きてるのに、わざわざ火を熾す必要はないと思うけど」

「必要だからする訳じゃない。心が落ち着くのさ」

 へえ、と興味なさげにハーパーが相槌をうつ。

「心は、どこに宿るの?」

 ハクスリーは、嘲笑うような仕草とともに自分のこめかみを突いた。

「犬は? 馬や牛には心は無い?」

 炎を見つめながら、ハーパーが重ねて尋ねた。

 ぱちり、と火の爆ぜる音が響いた。

「あるかもしれん」

「あなたが撃ち殺した奴らも、その前に出会った奴らも、皆同じことを言う」

「何を」

「『おまえには魂がない』、『心がない』」

 ハクスリーは、黙って肩を竦めた。

「今喋ってるわたしには、横で黙りこくってるテッドにも、本当にそれはない?」

 テッドはいきなり水を向けられ幾分驚いたような様子を見せたが、何も言わず、いつものようにただ薄っすらとした笑顔を作るだけだった。

「ない。おまえらの頭の中にあるのは、単なる電子回路の集積だ」

「人間の脳だってそう。電気信号で動く神経細胞の塊に過ぎない」

「脳科学はその働きを全て解明したわけじゃない」

「じゃあ、結局貴方自身の中にも心があるかどうか分からないって事でしょう」

 ハクスリーは鼻息を聞こえよがしに吐くに留めたが、明らかに苛立っていた。

「あなたたちが捨てた心臓や骨髄に、それが宿っていなかったって、どうしてそう言い切れるの?」

 失礼、つまり生身のって意味だけど、とハーパーが付け加えた。

「それにあなたは、自分の脳を見たことがある?」

 ハクスリーは、「オーケイ、認めよう」と無愛想に言った。

「おまえは人間に似ている。とても」

「それで誉めてるつもりとはね」

 ハーパーはそれきり膝を抱え、眼を閉じた。もう会話を続けるつもりはないようだった。

 焚き火の炎が千々に揺れ、思い思いの格好で囲む3人の影が彼らの背後、砂と灰の上で踊った。


「テッド、そこにいるか?」

 目を覚ましたハクスリーが、硬い寝藁の上で顔だけを向けて尋ねた。

「ええ、勿論」

「あのお嬢さんは、ええと、」

「ハーパー?」

「そう、ハーパー。彼女はどうしている?」

「目的地に着いたというので、昨日お別れしましたよ」

 嘘だった。

 彼らがハーパーと別れたのはもう5年も前になるし、それもほとんど喧嘩別れの形だった。ハクスリーの見下した態度に、ハーパーが耐えきれなくなったのだ。

 皮肉なことに、ハーパーと袂を分かってから程なく、ハクスリーの認知機能はさらに低下した。冷血漢のハクスリーは、いっかな顔を顕さなくなった。

 生身の脳機能の衰えは、身体機能にも大きく影響した。テッドも、どういった具合か右足の膝から下の関節が全く動作しなくなり、日に一度は必ず、短時間だが激しい痙攣を起こした。移動もままならなくなってからの数年は、シエラネバダ山脈の南端、枯れ果てたアカマツの林の端に埋もれるような納屋の中で、ずっと過ごしていた。納屋から少し離れたところからは急に峻険な山肌になっていて、秋の早いうちからうっすら雪が積もるような土地だった。勿論、誰ひとりそばを通りがかることなどなかった。

 冠雪した山地は真っ白に見えたけれども、間近で見ればやはり薄汚れた灰色をしていた。それらをたくさん集めて漉し、わずかに残った樹皮を剝ぎ取っては煮て啜った。

 ここ半年ほど、ハクスリーは毎朝ハーパーかそうでなければ自分の妻のことを尋ね、その度にテッドは同じ答えを返している。

 今朝もハクスリーは、テッドの返答に満足したようだった。

「おお、そうか、そうだった」

 それを言うだけで精一杯というように、ハクスリーは力なく笑った。

 ハクスリーが動かなくなったのは、そのあくる日の朝だ。

 風の、ひどく強く吹く日だった。


 テッドはハクスリーの頭皮の端を止めている糸を切ってそっとめくり、合金製の頭蓋の後ろについているインジケータランプを確認したが、LEDはすべて消灯していた。

 それからしばらくテッドは同じ姿勢でじっとしていたが、やがて片足を引きずりながらスコップを片手に納屋の軋む扉を出た。そしておよそ半日を掛けて納屋のそばに深い穴を掘り、ハクスリーの身体を丁寧に埋葬した。

 最後の土を被せ終え表土を均したあと、スコップを手に立ち尽くして、テッドは誰にともなく呟いた。

「ぼくは、あなたの良い息子にはなれなかった」

 それに応えるように、声が届いた。唸る風の中、彼の耳まで、確かに。


「なに、そんなことはない」


 それがどこから聞こえたのか定かではなかったが、テッドは、GE&R Type01-Dは、声の主を探そうとはしなかった。空を仰ぎ、今なお彼の全身を強くなぶる風の向こうに分厚く立ち込める灰色の雲を、黙って見つめた。

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終末を巡る旅 南沼 @Numa_ebi

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