第10話

 それで、本題に戻ると――ミッション2だ。

 まず悠人はるとに電話して、会う約束をしなきゃならない。

 やっぱり怖い。

 怖すぎて身動きできず、相変わらず私は、お風呂にも入れずにいる。


 会社の昼休みに電話してみようか?

 いや、悠人の部署は、まともに昼休みの時間に休めてるかどうかもわからないし。

 かつて同じ会社で働いていた人間としては、勤務時間中に電話しちゃいけないような気もする。


 夜、くつろいでいそうな時間に電話するのが一番いいかも。

 でもそもそも、悠人は今、どこに住んでいるんだろう――?

 実家?

 だったとしら、お義母さんとお義父さんは、離婚に関してなんて言ってるんだろう?

 あのふたりには私、随分可愛がってもらったからね。もう二度と会えないっていうのは、悲しすぎる。

 こんな風に別れたって知ったら、悠人を叱ってくれてないかな?


 もしかしたら義両親は、悠人から私の悪口をいっぱい聞いて、「なーにー?とんでもねぇ嫁だったなぁー!!!」みたいにクールポコ化してるかも。

 そしたら、家族団らん中に私が電話しても、「あ、六花から電話だ。やだなー」と悠人が言っちゃって、お義父さんも「そんなクズ元嫁からの電話なんか、出らんでいい!」と言っちゃって、お義母さんも「そうよ、そうよ、ハルちゃんもっとチーズケーキお食べなさい。ろくなもん食べさせてもらってなかったんでしょう?」とか言っちゃったり。


 これは被害妄想?

 真実に近い妄想?


 あー……、気分落ちると、嫌な妄想ばっかりしてしまうよ。


 でもまぁ、悠人が残業なしで帰ったとして、夜の8時くらいに電話しようって決めた。夕ご飯食べてゆっくりしている時間だろうって思うから。少しは心に余裕もあって、私からの電話もうっかり出てしまうかもしれない。


 で、なんだっけ?

 事前に悠人との幸せな思い出を頭の中で上映しろ、とか言ってたよな、葵。

 それで、いい気分になってることを確認して、悠人に電話しろって。


 いやぁ、脳科学?ていうの、それを疑ってるわけじゃないよ。聞いた話だと、スポーツ選手はみんな、イメトレ(イメージ・トレーニング)やってるらしいしね。それもイチローとか羽生結弦とか、一流の選手であればあるほどやっているって言ってる。自分の理想のプレイを、事前に何度も脳内でイメージしてるんだって。


 でもそれって、日常生活でも有効なの?とか、ちょっと思うんだよねぇ。

 だってさぁ、イメトレが役立つなら、ゆづ君、幸せな結婚生活のイメトレしなかったのかなぁとか思っちゃったり……まぁ、それはいいや。他人のことは、どうでもいい。今は葵を信じよう。


 幸せな思い出……って、もちろんいっぱいあるよ。


 悠人は私の手料理を、すごくおいしそうに食べてくれていた。私、自慢じゃないけど料理だけは自信があって。見た目とか味付けとか、すごいこだわっちゃうの。他のひとのクックパッド・レシピ見て作ることも多いけど、自分だけのオリジナルレシピもたくさんあるんだよ。


 一応、短大では食物栄養科だったし、栄養士の資格も持ってるしね。なんの取り得もないような私でも、料理だけはいつも褒められる。料理って実は、めっちゃクリエイティヴなんだよ。見た目も味も、「こういうの作ってみたいな」ってイメージして、試行錯誤した結果その通りに出来たら、すごく嬉しいし。


 悠人も、私の料理をすごく気に入ってくれてたんだ。結婚当初、

「毎日、ちょっとした小料理屋に来た気分になる。これってすごい贅沢なことだよね」

 と、嬉しそうに言ってた。仕事がつらくても、私の手料理が待ってると思うから頑張れるんだって言ってた。


 ふたりで向かい合って夕ご飯を食べてる時間は、本当に幸せだったなぁ。

 私、悠人の帰りがどんなに遅くなっても、何も食べずに待ってたんだよ。小さい頃から、ひとりでご飯食べることが多かったから。結婚して毎日夫と食事を共にできることが、夢みたいだった。「今日こんなことがあってね」っておしゃべりしながらご飯食べるのって、楽しいよね。悠人はいつも私のおしゃべりを、「うん、うん」て優しく聞いてくれていた。


 クリスマスは毎年、すごく分厚いステーキ肉を焼いてあげてたなぁ。悠人も「焼き加減が最高!お店で食べるより全然いい!」って言ってくれてて……。

 そうそう、結婚2年目のクリスマスプレゼントが、サプライズすぎていい思い出。


 付き合っている時から、クリスマスは1万円以内くらいでお互いにプレゼントを交換してたんだけど。結婚2年目……っていうか、去年のクリスマスは、悠人はやけに浮足立ってそわそわしててさ。恒例の食事が終わった後、「はい、これ、六花にクリスマスプレゼント」って。満面の笑みで四角い包みを、私にくれたんだ。


 見た感じ、大判の書籍だっていうのはわかったけどね。100円ショップで買ったらしきサンタの絵の赤い包装紙で、悠人自ら包装してるのは明らかだった。かなり不器用な包装の仕方だったけど、青いリボンまで付いていて。

 私が「なあに?」って開けている間も、悠人はもう、にっこにこでさ。私が喜ぶ顔を待ち構えて嬉しそうなわけ。

 中からあらわれたのは、私の推しの写真集だったんだよ。え、持ってるし。当然、予約して買ってるし……。途端に顔が曇ったよね。


 でも悠人は、まだにこにこしてる。

「表紙、開いてみて」

 言われた通り開いてびっくり!

 推しのサインがあるの!!!

 それも、ちゃんと「六花さんへ」って書いてあるの!「いつも応援ありがとう!」とも書いてくれてて!


 私が応援してること、○○君が知ってくれてるんだって思うと、天にも昇る心地っていうか。今まで地道に推し活してきたことが、報われたっていう感動?みたいな。

 クリスマスプレゼントでこんな興奮したのは、生まれて初めてだった。


「大学時代の登山サークルの先輩が、実は松竹梅映画会社でプロデューサーやってるんだよ。お盆休みにみんなで集まって飲んだ時、先輩が、これから○○君主演の映画の撮影がはじまるって言っててさ。○○君って六花の推しでしょ。散々話聞かされてて、知ってたからね。俺、頭下げて頼んだんだ。サインもらって来てほしいって。そしたら先輩、快く引き受けてくれてさ。1ヶ月もしないうちに、バイク便で会社に届けてくれたんだよ」


 悠人は嬉しそうに報告してくれたんだけど、それ聞いた途端、私、興ざめで……「えー」ってなって。


 いや、確かに推しのサイン入り写真集、感謝だけどさ。

 サインもらったの、は?

 夏だって?


 夏にもらったサインを、クリスマスまで寝かせとくって、なに?

 意味わかんなくない?


 だってサインって生ものじゃん?

 写真集には、推しの手から分泌された体液が残ってるわけだからさ、新鮮な方がいいにきまってる。何ヶ月も寝かせてたら、その成分は腐ってるかもしれないじゃん。

 それにさ、写真集、私持ってんだから!

 事前に言ってくれたら、マイ・写真集を渡して、それにサインもらったのに!


 確かに嬉しいんだけどさ……。

 クリスマスにサプライズで、私に喜んでもらいたかったっていうのも、わかるんだけどさ。

 悠人さ、なんかズレてるよね!?


 だから、私、お説教しちゃったんだよ。

「私の大事な推しのサインを、クリスマスまで寝かせとくって意味わからんことして、何なの?こういうのは、すぐにくれないと意味ないんだからね!体液腐るし!」 

 って。


 悠人はしょんぼりして、「そうなんだ。ごめんね、気が利かなくて……」って言ってたな。

 今思えば、私、すごい傲慢だった。

 時間を巻き戻して、同じシーンからやり直したい……。もう、無理だけど。


 わー!

 めっちゃ罪悪感とか後悔とかが出てきて、いい気分どころじゃなくなっちゃった!


 悠人は男のくせに、お花が好きだったんだよね。誕生日とか結婚記念日とかには、いつも帰りにお花を買ってきてくれてたんだけど。それが、ガーベラ数本とその周りをカスミソウでくるんでみました的な、予算1500円で花束作って下さい的なチープな花束だから、そういうのも私的にはなんか不満でさ。

 深紅のバラ100本とまでは言わなくても、なんか、「わー、すごい!感激!」て思わず言っちゃいそうな花束買ってこいや!って、心の中で思ったりしてた。


 それも、今となれば激しく後悔。


 悠人の選んでくれた赤やオレンジのガーベラの花が、記憶の映像の中でとてつもなく美しく咲いている。


 私、「わー、きれい!」って喜んだっけな?

 「ありがとう」って、ちゃんと言ったっけな?

 多分、「あー、買ってきたの?」とか言って、そばの花瓶に無造作にぶち込んだだけじゃなかったっけな?


 うー、悠人、ごめんなさい!!!

 私、めっちゃめちゃビッチで最悪で、わがままな妻でした。自分勝手な妻でした。

 これは、やはり、捨てられても文句言えんわな……。


 そんなこんなで、後悔することばかり思い出して自己嫌悪で頭を抱えていたら、夜になっちゃって。

 7時50分になったから、観念して悠人に電話する心の準備をはじめた。


 8時丁度になるまで、バクバクと張り裂けそうな心臓をなんとかなだめて、いざ出陣!


 だけど、悠人の電話番号を表示しただけで、ドッキーン!

 なにこの緊張感……。

 手足がしびれるよ。


 とはいえ、迷っててもきりがないからね。

 いくよ。電話するよ。

 出ないなら出ないでいいし。

 発信ボタンをタップして、早く楽になりたい……。


 で、発信ボタンに、右手の人差し指を近づけたんだけど!

 とんでもないことになったんだよ!


 右手がね、意志を持った生物のように、勝手におどりはじめちゃったんだ!

 スマホの画面に近づけようとしても、全く言うこと聞いてくれなくて。

 私の体の一部とは思えないほど、ひとりでおどり続けてる。


 こんなことってあり!?

 いやー、不可抗力でしょ。

 無理、無理!こんなんじゃ電話できない……。


「ウァーン、葵!悠人に電話しようと努力したんだけど、右手がミギーになっちゃった!ミギーが突然、おどりはじめて、スマホがタップできないのー!」


 泣きながら、葵に電話した。(あ、葵には電話出来たんだよ。)


 葵は呆れた感じで、「あのさ、私、仕事中なんすけど」だって。

 一方的に、ブツッと切られちゃった。


 ヒドい……。


 と思っていたら、5分後に折り返し電話がきた。


「9時には帰れるから。早稲田駅に9時集合。タオル1枚持って来な。吉祥寺から早稲田まで、東西線一本で来れるでしょ。とにかくもう、色々考えんなよ!」


 そう言って、またブツッと切られた。


 葵は、会社までチャリで通えるからっていう理由で、高田馬場のボロアパートに住んでいる。風呂はなくトイレは共同っていう、古いお化け屋敷みたいな感じで、葵以外は死にかけの独居老人と貧乏男子学生しか住んでいないアパートらしい。

 以前実家に帰った時に葵んとこのおばちゃんが、悩ましげに言っていた。

「女の子なのに、あんなところに住むなんて。どうしてあんなおかしな子に育っちゃったのかしら?」って。


 私の住んでる吉祥寺からは一本で、高田馬場の最寄りの早稲田駅に行けるからね。それで早稲田駅を指定してきたんだろうけど。

 ……でもタオル1枚ってなに?


 もしかしたら、このタコおどりするミギーをタオルで縛り付けて、無理やり悠人に電話させる気……?


 よくわからないけど、私はとりあえず葵に言われた通り、タオル1枚を手に駅に向かったのだった。

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一回死んだと思えば何でもできる 斎藤 愛久 @aiku_saito

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