第9話

 悠人はるとが出て行った後、働きはじめるまでの間、茫然自失でなにもする気になれなくてね。寝っ転がって、スマホでひたすらサレ妻さんたちのブログを読んでいたんだよなぁ。

 いや、私は厳密には「サレ妻」じゃなくて、ただの「ポイ捨てラレ妻」なんだけどさ。全国各地にいるサレ妻さんたちの気持ちに、めちゃめちゃ共感できた。


 全国各地にいるブログとかやってるサレ妻さんたちって、めっちゃアグレッシブなんだよね。出て行った夫と不倫相手が生活しているところに乗り込んでいくとかさ、夫を無理やり家に連れ戻すとかさ、夫に罵詈雑言を浴びせかけるとか、時には不倫相手に暴力ふるうとかさ。

 不倫の証拠をつかんで慰謝料ふんだくるとかも、よくやってるよね。(夫からも不倫相手からも。)


 うちのママも、戦うサレ妻だったんだよな。パパの方の爺ちゃんが買ってくれた家も、自分名義に変えさせたみたいだし。全財産没収して、パパに身一つで出て行かせたみたいだし。

 さすがにパパの不倫相手の榛野千佳子はるのちかこには、慰謝料とか請求してなさそうだけど。どこからか仕入れた藁人形に、榛野千佳子の名前を叫びながらクギを打ちつけるとかいう頭おかしいことやってるの、見ちゃったし。


 でもねぇ、私は、そんな風に戦うって出来なくって……。

 そりゃあ、めちゃめちゃ怒り狂ったよ。だけどサレ妻ブログとか読みあさってても、「私にはそんな風にはできない」って冷静に思っちゃって。

 悠人に怒り狂っていたのも、結局は「私はこんな風に捨てられて当然の女なんだ」っていう考えが浮上するのを、避けるためだったような気もするし。だってそこ認めちゃったら、生きてる意味もわからなくなるでしょ。(実際なったしね。)


 全国各地のサレ妻さんたちも、もしかしたらそうなのかもしれない。葵が言ってたように、「男に捨てられる女は価値がない」って思い込んでいてさ。でもそれだと、ウツになって死にたくなるからね。

 自分に対する無価値観を怒りでコーティングして、「私は悪くない!悪いのは夫だ、不倫相手だ!」って、ファイティングポーズで誤魔化しているんかもしれんくない?


 でも……そうであるならば、無価値観から逃げるために、いつまでも怒り続けなきゃならんわけで。その怒る対象(=元夫&不倫相手)からどんだけ大金をふんだくっても、復讐が成功しても、目の前から永遠にいなくなってしまっても……。それでも怒り続けなきゃいけないって、つらいよね。


 パパが精神疾患を理由に「養育費は払えない」ってことになり、同じ土俵で戦うことを棄権してしまってからは、ママも生けるしかばねみたいになっていた時期がある。かと思うと、飲めないお酒を無理やり飲んで陽気に振る舞ってみたり、夜中に突然泣き始めたり……。

 だからママは、小さい私にパパがどんなにひどい男かと語ることで怒りを再発させ、それを生きる力に変えていた……のかなあ?

 まぁこれも、葵と色々話した上での考察たけど……。


 ママと私は、同じ「捨てラレ妻」でも立場が全然違う。

 子供がいるとね、子供食わせにゃならんから。育てにゃならんから。ウツになって寝込んでる暇ないからね。やっぱり「私は悪くない!」って自分の正当性を主張して、肩肘張って生きるしかないのかもしれないよね……とか考えたりしてる、午後11時。


 テーブルの上は、葵と食べたマックのゴミが散らばったままだ。私は残った冷たいポテトをつまみながら、頭だけがぐるぐるとフル回転。あれやこれやと、ムダに考えてしまっている。

 まるで、恐ろしいミッションから逃れるかのように。


 そもそもだけどね、私の一番の悩みは、お金の問題じゃないんだよねぇ。いや、実際困ってるし、お金必要なんだけど。「お金がなくてどうしよう?」ってことを重大問題にすり替えることで、それ以上の問題から目を逸らしてる。


」という問題から――。


 葵はその考えは、「思い込み」だと言う。

 だけど私には、到底「思い込み」とは思えない。


 真実じゃん?

 紛れもない真実じゃないか!


 私には価値がない。

 私は愛されない。

 私は嫌われて当然。

 私は汚らわしい。

 私の存在自体が害悪……。


 ねぇ。これって、真実じゃない?

 だって、愛し合って結婚して一緒に住んでいた夫が、3年で逃げ出すような女なんだよ?


「なんでそれが真実だと思うの?」


 妄想の中の葵が、私に聞いてくる。


「六花が無自覚にそう設定しちゃってるんだよ。だから真実だと思い込んでるだけ。ちょっと、一旦リアルなこの三次元人生ゲームから、意識を外してみて。自分の人生ゲームの設定を、見直してみようよ」


 こないだから長時間一緒に過ごしているせいか、葵が言いそうなことが大体わかる。


「子供がいると、不倫して家族を捨てるなんて出来ないもんだけどねぇ。六花はまだ小さいのに。まぁ、のぼるさんは、六花のことが可愛くないんだろうね。子供なんてどうでもいいんだろうねぇ」


 これは、パパが出て行った後、うちによく来ていた母方の婆ちゃんの言葉。

 偶然聞いてしまった。ショックだった。


 パパは、私のことが好きじゃないから出て行っちゃったんだ!

 パパはいつも優しかったけど、私のこと嫌いだったんだ!


 当時のことを思い出すと、胸がきゅっと凍ってしまう。

 胸がイタイ、イタイよう……。

 涙が出てきて止まらない。


 助けて。誰か。息が出来ない。

 誰か!


 葵!!!


「大丈夫。六花、それは真実じゃないよ」


 妄想の中に葵が現れて、そう言ってくれる。

 いや、私が言わせてるのか……?


 っていうか葵さぁ、私の妄想なのに、やけにリアルすぎんか?


 と、その時突然――、

 寝室の方から女の金切り声が聞こえてきた。


「いい加減にしてよっ!」


 ビクッとする。

 それを皮切りに、激しい男女の言い争いがはじまった。


 あ、ママとパパが喧嘩している。

 気が重くなる。

 仲がよかったはずのふたりは、最近私が寝た後、喧嘩ばかりだ。

 いつものように、押し入れに隠れて耳をふさいでいようかな?


「いや、行って。行って、見てきなさいよ」と、葵が言う。

「いやだよ。怖いよ」私は怯えた目を葵に向ける。


「大丈夫だから。あんたはもう小さい5歳の六花じゃない。ちゃんと受け止められるから」


 葵がそう言って、私の背中をそっと押す。

 私は葵に促されるようにして、寝室に歩いていく。


 いつの間にか私がいたはずのマンションは、立川の実家に変わっている。

 懐かしい階段を降り、両親の寝室の方へ忍び寄る。

 ドアの隙間から中をのぞくと、顔を真っ赤にしたママと、パパの後姿が見えた。


「六花を連れて行きたいんだ」

 パパが水を湛えたような、静かな声で言う。

「何バカなこと言ってんのよ!汚らわしい不倫相手と一緒に暮らすつもりの男に、大事な娘を渡せるわけないでしょ!」

 ママは完全に理性を失っているようだ。

 パパが小さく首を振る。


「千佳子は汚らわしくないよ。君は千佳子を知らない。僕は君とはもうやっていけないから、新しいパートナーを選んだというだけの話だ。まだ付き合っているわけではないし。肉体関係さえも……」

 あくまで冷静を保ちながら話すパパを、ママがさえぎる。

「不倫を正当化するのはやめて!」


「……わかった。じゃあ、不倫でいいよ。ただ、六花を渡してくれ。僕にとっても大切な娘だ」

「不倫相手に育てさせる気?あー気持ち悪い!そんなことしたら、六花が気持ち悪い子に育つに決まってるじゃない!」

「……君とはやはり意思疎通ができないな。それがずっとストレスだった。いつからこうなってしまったんだろう?」

「何言ってんのよ!親権を争って裁判しても、私が勝つに決まってるんだからね!」

「ああそうだね。じゃあせめて……月1回でいいから、六花と面会させてくれ。君だけに、養育を任せたくない。偏った信念と価値観を持った子になってしまう」

「はぁ?あんたの信念と価値観の方が偏ってるでしょーが!不倫を正当化して、なによ!」

「ああ、僕も偏っているよ、確かにね。親だからって人格者なわけじゃない。だから子供にとって親は母親と父親、ふたり必要なんだよ。……僕はただ定期的に六花に会って、愛してると……僕にとって一番の宝物なんだと、あの子に伝え続けたいだけだ」

「あの子を愛してるなら、じゃあなんで不倫するのよ!」

「だから……ああ、もう……!」


 パパが少し苛立ち、髪の毛をかきむしっている。

 私は胸が熱くなり、涙が止まらない。


 パパは私を連れて行こうとしていたの?

 私、パパに愛されてた……?


 ――と、そこで目が覚めた。


 昨夜、マックのポテトを食べかけたまま、リビングのソファで寝てしまっていたようだ。スマホを拾い上げて時間を確認すると、朝の7時だ。


「なんだ、夢かぁ……!」


 思わず声が出てしまった。

 それにしてもリアルな夢だった。実際に涙で頬も濡れている。

 夢の中で自分が26歳の大人だってわかっていながら、5歳の頃のママとパパをすんなり受け入れてる感じ?


 あとで葵から、これが「明晰夢めいせきむ」っていうんだって教えてもらった。「葵、わざわざ私の夢に出てきてくれたの?」って聞いたら、「知らんがな。それほど私、暇じゃない!」だって。

 だからあのリアル葵も、やっぱり私の妄想に過ぎないみたいでさ……。


 私が聞いたママとパパの会話も、ただの夢に過ぎない可能性も高い。私の願望が夢に反映された……みたいな?

 だけど不思議なことに、この日以来、自分に対する無価値観は少し薄れたっていうか……忌み嫌っていたパパへの感情が、少し変化したというか。


うーん……うまく言葉で言えないんだけどね。

この世に存在することを、許されたような気がした。

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