第8話
結論から言えば――ママとの電話を切ったあとの私は、全っ然笑顔になれなかった。
それどころか憔悴し果てて、そのまま寝室に直行。布団にくるまって廃人化してしまったのだった。
その次の日、マックの匂いをプンプンさせながら葵がやってきたのは、午後7時。
相変わらず汚い臭い廃人化した私を一目見て、葵はミッションが不成功に終わったことを見抜いたようだ。
「今日は仕事早めに終わったからね。あんたと一緒に食べようと思ってマック買ってきたよ。ダブルチーズバーガー、テリヤキバーガー、フィッシュバーガー……色々あるよ。ポテトもL2つ買ってきたし、ナゲットもあるよ。あんた、マック好きでしょ。最近高いかから、マックもなかなか敷居高いよね。あんたビンボーだから、私のおごりだよ。食べながら、話聞こか」
葵がリビングのテーブルに、ハンバーガーやらポテトやらを次々と出して並べていく。葵の同情を引くためには、「食欲ないから食べたくない」くらいのことを言いたかった。しかし私はマック特有の匂いにパブロフ反応のようによだれを滴らせ、一刻も早く口にしたいという気持ちが、もはや抑えられないのだった。
私は葵と一緒にハンバーガーを頬張りながら、ミッション1の結果を報告した。
「え、20万円もらえるって……?すごいじゃん!ミッション大成功じゃん!なんだ、廃人化してるから、てっきり失敗したのかと思ったよ。すごい、すごい!よくやったね!」
葵はテンション高めに私をねぎらう。
「えー?たった20万だよ?」
私は不満を募らせながら言い返した。
すると葵は、テリヤキバーガーを食べる手を止めて、唖然とした表情で私を見た。
「あんた、何言ってんの?20万って……すごいお金じゃない?ありがたいじゃん。え、20万だよ?……あんた、OL時代の手取りそれくらいじゃないの?そんな大金をポンって……親だからしてくれることじゃないの?」
それから畳みかけるように、葵はこう続けた。
「あんたのその「たったこれだけ」っていう捉え方って、典型的な貧乏人の思考グセだよ。お金さんだって、ちゃんと感情あるんだからね。たったこれだけなんて思うひとのところに、来てやりたくないって思っちゃうよ」
お金に感情あるって何よ?は?お金はただの紙切れでしょうが。
……と思ったりもしたけど、まぁ、葵のいうことも一理あると思って。「そうだね」と言う。
「そうだね。実際、ありがたいよ。だけど、引っ越しに必要な細々したお金とか、新しくアパート借りるとしてその契約にいる分とか含めたら、全然足りないから。それで、つい「たった20万円」って口にしちゃった。だってママは、すぐにでも荷物整理して実家に戻って来いっていうんだよ。で、その費用に掛かるのが20万くらいみたいな感覚でさ。でもでも私は、どうしても実家に戻りたくないんだよ」
「まぁね、あんたが実家に戻りたくない気持ちはわかる」と、葵が頷く。
「でもさ、一時的に実家に戻るだけっていうのはダメ?あの、自分が絶対正しいって思い込んでるタイプのおばちゃんと、今の傷心、豆腐メンタルのあんたが一緒に暮らすのは、精神衛生上よくないって私も思うけどさ」
「だってだって、近所のひとみんな私の離婚のこと知ってるんでしょ!いやよ!どんな目で見られるかわからないし!恥ずかしい!ママも、私をチクチク責め続けるのわかるしさ。もう私の批判は勘弁してよって思っちゃう」
私は食べかけのダブルチーズバーガーを脇に置き、泣きそうになりながら訴えた。
「ねぇ、これ、三次元人生ゲームの攻略に役立つワンポイント知恵袋なんだけどさ。心理学で、
葵がおもむろに口を開く。
「他人に投げかける悪口や批判やジャッジは、実は全部自分に対して言ってるんだよ。これは絶対。だからおばちゃんは、あんたを批判する時、自分を批判してるんだ。おじちゃんと離婚した時の自分を責めてるんじゃないかって思うよ。もしかしたらおばちゃん、男に捨てられる女は価値がないとかいう思い込みがあるのかもね」
葵は言ってしまってから、「知らんけど」と付け加えた。「知らんけど」って、ほんと便利で無責任な言葉だよね。
でも葵の言葉に、私はハッとするところもあり。
「私は葵にダサいって悪口?言ったり……っていうか、見下したりしてるじゃん?私は結構センスあるって言われるし。だから自分に言ってる悪口っていうのは、一見違うように見えるけど。小さい頃にママから「パパに似てダサい」とか「パパに似て地味」とか言われるのが嫌だったから、ダサくないように頑張っただけだし。心の奥底ではいつも自分がダサいって言われるのが怖くて……だから、やっぱり、自分に言ってる悪口だった、かも……?」
「まぁ、そんなとこかもね。「絶対違う!」って抵抗したくなるようなことも実際あるけどさぁ……まな板の上に乗った鯉のつもりになって、冷静に客観的に分析すると、大体悪口は自分に対して言ってる。芸能人に対して「こいつ不倫するとか人としてダメ」とかいう悪口もさ、「私も自由に楽しく生きたいのに」っていう気持ちが根底にあるからだよね。それなのに、我慢して無理やり世の中の常識とか社会のルールに従ってるから、悪口として噴出しちゃう。心から幸せなひとは他人の悪口言わないじゃん?だから、おばちゃんからどんなに批判されても、あんたは「ママは自分をそういう風に批判して苦しめてるんだね」って思って、生温かい目で見守ってあげればいいだけなんだよ。……ていうか、話変わるけど、私そんなダサい?そんなこと、六花、私に言ってたっけ?」
葵は黒縁メガネの向こうから、大きな目を見開いて私に聞いてくる。高校の時から愛用の(もしかしたら5代目とかかもしれんけど)ダサい黒縁メガネだ。今日も葵の口紅は、いい感じにはげているし……はっきり言ってダサい。
どう返答しようかと悩んでいたら、
「……まぁ、じゃあ、とりあえずミッション1は無事遂行できたということで。おめでとう六花。君の勇気を称えよう」
葵は食べ終わったテリヤキバーガーの包みをくしゃくしゃに丸めて、テーブルの上に放りながら言った。
フン、偉そうにねぇ……!
「ということで、ミッション2だ。悠人さんに電話しなさい。そして会って話しなさい」
ええ――――――――!!!!!!
なにそれ、無理だわ無理!ミッションの難易度が、急にあがりすぎだろ!
私はダブルチーズバーガーを思わず喉に詰まらせかけて、むせながら言った。
「無理!無理!悠人に電話するとか、怖すぎる。捨てられたんだよ、私。悠人だって私と話したくないはずだし。電話しても出ないんじゃないかって思う」
「怖いのはわかるけどさ。悠人さんが話したくないはずっていうのも、あんたの思い込みにすぎないでしょ」と、葵は冷静だ。
「っていうか、あんたも悪いところあったんだと思うけどさ、悠人さんの仕打ちもなかなかひどいよ。ひどすぎるよ。はっきり言って勝手すぎる。今のあんたは自分責めのフェーズだから、このまま黙って引き下がるつもりかもしれないけどね。ここは踏ん張らなきゃいけないところなの。悠人さんのためにも。今そうやって怖い怖いって言って現実と向き合わずに逃げてしまったら、いずれまた同じ経験をする羽目になるよ。ゲームってそうでしょ。ちゃんとクリアしないと次のステージにいけないじゃん」
えー!
この三次元人生ゲームで、私また男に捨てられちゃうってこと?
それは嫌かも。
でもさ……。
出て行く直前の悠人の顔を思い出すと、それだけでひるんでしまう。
私をじっと見据えるアイツの目。迷いのない目――。
「ごめん。もう、六花とは暮らしていけない。この家にいるのが、俺には苦痛でしかないんだ。別れてくれないか。俺を、ここから去らせてくれ」
そう言ったんだよ!
そんなこと言って去って行った男に、自分から電話をしろと……?
「わかったよ」
ひきつった笑顔で、とりあえず私は答えた。
「ミッション2は、いずれ立ち直って勇気が出たらやってみる。でも今は……今はまだ勇気出ないから。とりあえず、引っ越して落ち着いてから……」
最後まで言い終わらないうちに、「やれ!明日までにやれ!タイムリミットは明日の午後8時24分だ」と、葵が私を脅迫してきた。
「やらないと、私はあんたを見捨てるよ!いいんだね!?」
悔しいけど葵は、私の弱点を心得てる。
「イヤぁ――!それだけはやめて!たったひとりの親友じゃないの!」
見捨てられ不安がめっちゃ強くなっている私は、必死で葵にすがりつく。
「だったらやれ!言われた通りにしろ!」
「でもママみたいに、アイツに慰謝料請求しろとか言うんでしょ!そんなの無理!お金せびるのは無理!」
「お金せびれとか言わない。ただ電話して、直接会って話し合えって言ってんの。きちんと話し合って……それでやり直せるならやり直すし、それが無理なら無理で、きちんとお互い納得した上で別れる。けじめをつける。……わかった?」
葵は若干優しい顔になって、私の目をのぞき込むようにして言った。
わかんないよ。
全然わかんない……んだけど。
でも、右も左もわからなくて、どうやって自分の人生ゲームを進めていいのかわからない今の私だから。信用できる(のか不安もあるけど)葵の指示に従うしかない。
黙ってコクンと頷くと、涙が出てきた。
葵がふっと笑って私の頭を撫でた。
「よしよし……いい子だね」
「エラソーにさ、なんだよ」
私も涙を拭いながら笑った。
「このステージをクリア出来たら、あんたは一回り成長できるよ」
葵は私の文句に応えず、呟いた。
「ラインにも書いたけど。電話する前は、必ず悠人さんに対していいイメージを持つこと。あんなこと言われたとかこんなことされたとか、ネガティブなこと考えて怒りながら電話するのは絶対ダメだよ。付き合ってる時を含めて3年の結婚生活の間に、幸せな思い出もたくさんあるはず。それらを頭の中で上映して、自分がいい気分でいるのを確認してから電話すること。そして電話し終えた後、にっこり笑っている自分をちゃんと設定すること、ね。これ、脳科学だから。科学的に立証されてることだから。おばちゃんに電話する時、やらなかったでしょーが。今度はやってみて。必ずうまくいくから大丈夫……」
葵は最後にそう言い、食べ終えたマックのゴミだけ残して、さっさと帰って行ったのだった。
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