頭のおかしい吹部のマーチ

荻夕 朝海

お前ら吹部に夢見んなっ!

この世がそんな簡単にできているわけが無い。


「あなたがいるから頑張れる」?


「努力は必ず実を結ぶ」?


「部活は学生最大の青春」?


今すぐそんなこと言ったヤツらをぶん殴ってやる。


そんな夢物語が一体全体どこにあったんだってな。


ここにはそんな麗しい絆も、甘酸っぱい恋模様も、感涙を呼ぶような青春劇もなんにも存在しない。


ここにあるのはただただ、吹奏楽部に夢を見て、それに敗れて、鬱りそうになりながらも大好きな音楽を続けるために必死に奮闘していく。

そんな最高にネジが吹っ飛んだ、頭のおかしい吹奏楽部員どものマーチである。


――――――――――――――――――――


終業のベルが鳴り、掃除のために机を動かす者。席の離れた友達に話しかけに行く者。せっせと片付けて家路につく者。クラスの中は千差万別の行動で溢れかえっていた。ただし共通して、それぞれの瞳が高校生活を謳歌している象徴であるかのように、キラキラと輝きが灯っている。

私、坂崎彩結さかさきあゆにはその瞳の色が非常に眩しく見えた。私にもそんな時代があったんだなぁとしみじみ思いながらリュックに頭を押し付ける。中身がほとんど入っていないそれは、ただ私の体重に従って形を変形させていく。このままこれと一体化して眠りにつきたい。そう思っている私のそばにひとつの足音が近づいてくるが、無視を決め込んだ。どうせ私が何を言ったとしても結末は変わることないのだから。


「彩結、部活行こ」


そう言いながら、私の顔を強制的にあげる1組の手。押し上げられた先には端正な顔があった。キリッとした目、眉下で綺麗に切りそろえられた黒髪は艶やかな光を反射する。目をふちどる睫毛は、部則で禁止されている化粧をしていなくてもくるりとカーブしていて、黒曜石の瞳をさらに瞬かせる。とても綺麗で、うっとりするような顔のはずなのに、その顔を見る度にため息が止まらない。

鵜澤仁愛うざわにな。クラスメイトであり、同じパートで同じ楽器を担当する仲間でもある。こいつこそ、私の悩みの原因だ。


「やっぱり行かなきゃダメ…?今日ぐらいやすもーよー…」


押し上げられた頬を使って必死に喋る。もごもごとした声は仁愛にはしっかりと届いていなかったのか、眉一つ動かすこともなく私を教室から引っ張り出した。いや、聞こえていてもいなくても仁愛は私を引っ張っていっただろう。しかし、今度は私の手元を一瞥するや否や、もう一度教室に放り込んで私の机を指さして淡々と言い放った。


「早く楽器取ってきて。急がないと間に合わない」


それだけかよ、とはつっこまなかった。たとえつっこんだとしても仁愛の態度は1ミリたりとも変化しない。むしろ、早くしろと急かされてしまう。じっと恨みがましく見ていると、何をしているの、というように何度も私の机を指さした。

あぁもう、この女はいつもそうだ。

少しムッとしながら自分の机に向かい、かかっている楽器を自分の気持ちを出さないように丁寧に抱え、大股で仁愛のそばに戻った。仁愛は戻ってくるのを確認すると、後ろの私を振り返ることも無くそのままスタスタと音楽室に向かう。きっと出会って初めてのやつには分からないだろうが、仁愛の足取りは軽く、弾む音こそ聞こえないが、もし効果音がつくならばルンとかそんな音がついていたと思う。それに比べて…と私の足元を見る。どろりとした黒い影はどんなに光を入れ込んだとしても明るくなるはずは無い。絡みついて深く沈み落とす。


「憂鬱だなぁ…」


そんな言葉は人気のない廊下に吸い込まれて、響くはずもなかった。


 ――――――――――――――――――――


県立花宮高校。

豊かな緑に囲まれたこの高校は、春には桜の吹雪、夏には緑の木陰、秋には紅葉の彩り、冬には白銀の化粧が施される季節豊かな高校である。

そしてここは、県内五本の指には入るであろう吹奏楽の強豪校だ。規律のとれた軍隊じみているマーチが印象的で、鼓膜を破壊せんと奏られる真っ直ぐな金管。一糸乱れぬ木管の連符。テンポよく刻まれていく低音。大人数だからこその出るダイナミックス豊かな演奏に魅了された人は少なからずいると思う。

私もそのうちの一人だ。

中学の頃から、吹奏楽部員を続けてきた身として、やはり強豪校で練習したいという気持ちは周りよりも持っていた。学校見学の時にコンクールに向けてひたむきに練習している先輩を見て、こんなに頑張る先輩はキラキラしているものなんだと憧れを募らせていった。合格発表を聞いた時でさえ、あの合奏の雰囲気が頭から離れず、ようやく一緒に吹けると胸を踊らせたものだ。私の高校生活はあの先輩たちみたいに、青春漫画の1ページのように輝かしいものを送れるものだと、入学する前の期間は勝手に1人で妄想してはテンションを上げた。


ただし、現実はそんなに甘くは無い。

私はその現実を入部して1週間で叩きつけられた。


別に私が特段上手いわけではないと思ってはいたが、高校に入ったら酷いものだった。部内では上手いやつはわんさかいたし、練習では決して埋めることの出来ない、才能の差というものに打ちひしがれた。

その天才のひとりが仁愛だ。

私の中でも唯一自信があったダイナミックスの変化。花宮高校の先輩たちに憧れて、必死に研究したものの一つで、私の努力の結晶だった。そう、それだけに中学三年生を使ったようなものだ。

それでも、仁愛の前では全て無意味になった。流れるような曲調の変化、豊かに蠢くダイナミックス。音量は動いているのに、音色にひとつの乱れも見せないその技術に、先輩たちですら目を丸くしたものだ。


『上手いんだね、楽器。』


そう恐る恐る聞くと、仁愛は喜ぶわけでも、自慢気に語るような素振りもなく、眉ひとつ動かさずに


『ありがとう。』


とサラリと答えた。言われ慣れているのかとちょっと鼻についたが、でも。と言って譜面に目を落として、声を重ねる。


『みんなが満足しても、私が満足出来ないから。私なんか上手くもないよ。』


ありがとうという声は無機質でロボットみたいな声だったのに、熱のこもった声が、冷めた温度に火を灯すように、彼女の瞳に流星が流れる。そしてその一言はいつまでたっても頭の中にこだまし続けて、脳内を揺らしていた。


その日は一晩泣いた。今まで積み重ねてきたものも、憧れを抱いて苦しさを飲んで練習をしたあの日々も、色んな人からの賞賛も、全てが無意味になってしまったようで、私を守ってくれていた全ての自尊心というものが、音を立てて崩れていった。


激しい怒りと嫉妬。


自分が満足出来ないから上手くはないとあの子は言った。それが心底許せなかった。自分の満足する音で周りからの評価が中の域を出ない私の音なんか見てもいない。否、きっと見えてなんていない。彼女が常にみているのは高みだけで、その下で燻る私みたいな存在は気にもしないのだろう。そして、その上を目指せる技量に、努力に、才能に、仁愛の持っている全てに嫉妬した。私も彼女のようだったのならば全て上手くいったのでは無いか。そんなタラレバで胸を焼けこがすほどには、仁愛のたった一言に私の全てが打ち砕かれていった。

あのぐちゃぐちゃになった夜を私は今世絶対に忘れない。だって、あんなに苦しさで泣くことはきっとないんだろうから。


――――――――――――――――――――


だから私は仁愛が苦手だ。いや、彼女が苦手なのでは無い。私は、彼女の奏でる音が苦手だ。だって、その音を聞くだけで練習の違いがわかってしまう。決して才能なんかじゃない、ただひたすらに音楽が好きで、この楽器が大好きで、それで必死に音楽をしようとしているのが音を通して伝わるから、こんなにも努力で差があるのかと泣きそうになってしまうから。

そうこう思っているうちに、音楽室の重たい扉が目の前に聳え立っていた。無駄に重く、硬い扉は開けるのにも力が必要となり、入室者を拒んでいるようにも思える。躁鬱な私の心も知らず、習慣というものは勝手に扉を開けさせる。中での喧騒が一気に鼓膜を叩き、今日もマーチの1音目が始まりを告げた。


この部活は決して青春なんかができる部活では無い。

私のように夢に敗れた者、諦めきれずにまだ夢を見る者、過去のしがらみから逃れられずに心を痛める者、たった一人と音楽をするためだけに残る者。そんな心もひとつに出来ない奴らが、ひとつの音楽なんか作れるはずがない。なのに、そんな事実なんて分かりきっていることなのに、辞めることなどできはしない。なぜなら既に、マーチの1音目は始まりを告げているのだから。行進が始まったのであれば、音楽は止めることを許されない。1度進めば、抜けることは決して許されることでは無い。それでも、行進で手を抜くことなど以ての外。そんな一蓮托生というのもおこがましい、強制連行のマーチは、始まったら途中停止などできるはずもないのだ。


だからこそ、わたしは未来の吹奏楽部全員に叫びたい。


「お前ら全員、吹奏楽部なんかに夢を見るなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

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頭のおかしい吹部のマーチ 荻夕 朝海 @mimu1003

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