第5話 大団円
そういう意味で、
「減算法」
という言葉を聴いて、一番最初に思い浮かぶこととしては、
「死」
というものであないだろうか?
前述のように、死というものは、いろいろなパターンがあったり、決して自分で選んではいけないなどという宗教の戒律があったりするというではないか。
「同じ減算法で、離婚は簡単にできるのに、死は選んではいけないのか?」
ということを考えてしまう。
「離婚は簡単なことじゃない」
と離婚経験者はいうだろう。
手続きもさることながら、相手の言い分で理不尽にも結婚しなければいけない人、相手が自分の気持ちを分かってくれないということで、離婚を決意しなければならなくなった人。
それぞれの感情の中に渦巻いているものがあるだろう。
「結婚は、離婚の数倍体力を使う」
というが、まさにこのことであるが、このことが、もう一つの理屈を形成している。
というのは、
「物事は、始めることは簡単でも、いかにして終了させるか? ということが一番難しいのではないか?」
ということであった。
「結婚と、離婚」
というのも、その一つであるが、
「開戦と終戦」
というのも同じである。
かつての大日本帝国は、今までに何度も戦争の終わらせ方を間違えて、最後には、連合軍に対して、
「無条件降伏」
ということになったのだ。
ただ、計算通りに終われた戦争もあった。当時の一番の強敵と言われた、ロシアと、明治日本との戦争だった、
「日露戦争」
であった。
その前に起こった、
「日本における、最初の対外的な全面戦争」
だった、日清戦争は、清国が弱り切っていたこと、軍備の老朽化により、役に立たなかったなどというおとで、圧倒的な力の差を見せて、日本が勝った。士気の高さも、まったく比較にならないほど、清国側は低かったようだ。そんな状態であれば、最初から勝敗は見えていたようなものだ。
しかし、日露戦争の場合は、そうもいかなかった。
「最初から綿密に計画を立てて、その通りに一つでも行かなかったら、日本の敗戦となる」
というような、完全な綱渡りに違い戦争だったのだ。
だから、日露戦争において、
「旅順港の閉塞作戦」
「旅順要塞の陥落」
「それによって、要塞からの砲撃によって、旅順艦隊の撃滅」
「いずれやってくるバルチック艦隊の撃滅」
というのと、
「奉天での勝利」
というのが、日本軍が描いた作戦だった。
それを何とか乗り切り、最後には講和に持ち込み、賠償金が得られないことでの、国民の不満から、
「日比谷公会堂焼き討ち」
などという事件も起こったが、
「ロシアに攻め込まれ、植民地にされてしまう」
という最悪のことにはならなかったのだ。
もっとも、ロシアも、日本を植民地になどとは思っていなかっただろうが、属国に近い形になっていたのは、間違いないだろう。
だが、その後、日本は満州事変を引き起こし、さらには、中国侵略に入っていったと言われる。満州事変までは仕方のないことだったのかも知れないが、中国進出は、必要のないといえばいいか、時期尚早だったのかも知れない。
そのせいで、欧米列強を刺激し、結果、第二次世界大戦に引き釣り混まれ、
「大東亜戦争」
に突入したのだ。
その前のシナ事変においては、トラウトマン和平工作で、せっかく和平が実現できそうになっていたのに、
「南京を陥落させた」
という勢いで、調子にのって、和平の条件をせっかく中国が飲める状態だったものを、厳しくしてしまったことで、中国も飲めない条件にしてしまったことで、事変を終えることができなかった。
結局それが、大東亜戦争に入ってしまうことになったのだが、日本側は、
「米英蘭という3か国を相手に戦争をして勝てるのか?」
ということで会議をした時、
「最初の奇襲攻撃で、相手の出鼻をくじいて、戦意喪失させたところで、一気に半年の間に、占領地を増やし、そこで講和によって、いい条件で停戦する」
ということで戦争に踏み切ったのだ。
しかし、実際に戦争に突入すると、あまりにも当初の目論見通り、いや、それ以上に戦果が優秀だったことで、また調子に乗ってしまった。
結局、
「イケイケ」
という状態になり、結局日本軍は、アメリカに対して戦争継続してしまったことで、相手も体制を整え、圧倒的な工業力で、日本に迫ってくる。
軍による必死の情報操作と締め付けで、国民は戦争継続しか道はなくなった。結果として、国土の大都市のほとんどは、焦土と化すという、とんでもない状態になってしまったのだ。
結局占領という憂き目を得て、戦後の混乱から、何とか立ち直ることができたからよかったものの、下手をすれば、
「日本という国が、世界地図から消えていたかも知れない」
のであった。
戦争の、ある意味。
「減算法」
である。
少なくとも、兵器も国民も、戦争になると、
「消耗品」
となってしまう。
どんどん減っていって、終わり方も、戦況によって、どんどん狭まってくる。
そうやって考えると、
「減算法」
っというのは、ほぼ、悪いことしかないのではないか?」
と思えてくるのだ。
「離婚」
「死」
「戦争」
などという、負の考え方が、どうしても減算法には多い。では、その反対が、すべて加算法なのだろうか?
ということになるが、それもよく分からない。
結婚というものも、すぐに離婚する人を考えると、結婚の前から減算法で、離婚に至ったのは、
「その減算へと変わっていくところを分かっていないからだ」
と言えるのではないだろうか?
「死」
というものは、逃れることのできないものではあるが、その死を迎えるにあたって、
「いかに、後悔がないか?」
という思いで、迎えたいと思っている人は結構いるのではないだろうか?
それを考えると、
「老化現象が進んでいるとしても、そこは減算法というわけではなく、精神的にも、経験値としても、どんどん加算されていっている」
ということで、その途中で死ぬことになったとしても、後悔はないだろうから、その人にとっての、
「死」
というのは、不幸だったとは、言わないだろう。
死というものを考えた時、
「生まれ変わり」
というものを信じるかどうか?
ということであるが、京極は、信じているようだった。
それも、
「死んだ人間の魂は、ちょうど同じ瞬間に生まれてきた人の中に入り込むのではないか?」
という考えであった。
この考えに至るということは、いわゆる、
「あの世の世界」
というものを、ことごとく否定している考え方に思えてならないのだ。
というのも、
「死んだ人間は、三途の川を渡り、その向こうで、審判を受け、この世での行いによって、どの世界に行き、生まれ変わりを準備するか?」
ということであった。
「人に迷惑を掛けたりとか、悪行のなかった人は、そのまま人間として生まれ変わるが、逆に、悪行を行ったり、人に迷惑を掛けてきた人は、地獄に落ちて、生まれ変わっても人間以外ということになるか?」
ということであった。
その時一つ不思議の覆うのが、
「地獄に行くひとがいるのだから、次の時代には、人間が一気に減っていて、他の生き物阿どんどん増えてくるのではないか?」
ということであった。
人間が減るということはないし、動物の種類ごとの数のバランスが崩れれば、生態系が変わってしまって、結果、すべての動物の死滅に繋がると考えると、
「この考えはおかしい」
と考えるようになったのだ。
だから、それであれば、
「誰かが死んだその瞬間に、誰かが生まれるというリズムになっていて、魂はその生まれた人に行くということになれば、バランスは必ず保てるということだ」
つまりは、
「人間は皆、また人間に生まれ変わるということで、それが偶然なのかどうかは分からないが、だから、生まれた時は皆平等だと言われているのかも知れない」
と思うと、それまで考えてきたおかしなことや矛盾が、少しずつ解消されているように思えてならなかったのだ。
それを考えると、
「死というものは、それほど、悲観的なものではない」
と言えるのではないか?
そんなことを考えると、
「人間は、自分が弄する策を、意外と人からされることに気づかない」
というが、
「この気づかないという感覚が、死に対して臆病にさせるのであり、それが、本来あるはずのない宗教的な世界を人間の意識の中に作りだし、それを、戒めとして人間に与えるのだとすれば、世の中というのは、結構うまく考えられているといえるのではないだろうか?」
そんなことを考えることで、人間の一生、それが永遠に続いてきた理由が、
「そのあたりにあった」
と言えるのではないだろうか?
「世の中は、消して、減算法だけで成り立っているものではないのかも知れない」
( 完 )
減算法の都合 森本 晃次 @kakku
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