第66話

 コマツの葬儀から帰った健太は、以前の生活に戻った。1日おきに除染作業員として働く日々だ。そうして休みの日は隈川の岸辺を散策してコマツとの思い出に浸り、……実際は、アムロが姿を見せないものかと探していた。


 タロウも同じだった。IAEAとの協議を終えて国際連合本部内にバイオエナジー・オブ・カッパ事務所を開設し、3人のカッパに業務を引き継ぐと、以前のようにぶらりと旅に出た。


 そうした中、変化があったとすれば、健太が週刊誌に〝カッパ国探訪〟というエッセイの連載を始めたことだ。週刊誌記者の久留米の依頼に応じたものだ。


 コマツとの出会い。カッパ族の生活、建築物、乗物……。健太しか知らない事実に、連載は好評だった。それに伴い、執筆やテレビ出演の依頼が増え、除染作業は二日おきになり、やがて三日おきに、そうして年をまたぐ頃には、執筆が専業になった。


 月日が流れるのは早い。それ以上に記憶が薄れるのは早かった。コマツやタロウが何を語ったのか、啓発的な言葉の数々があったはずなのだけれど、それらは記憶の深淵に溶けてなくなっていた。


 記録を取っておけばよかった。録画録音をしておけば……。後悔したところで後の祭りだ。


 経済的余裕が生まれ、健太は住み慣れたアパートを引っ越すことにした。大家から常々退去を望まれていたからだ。


 以前のアパートは出たものの、まだ手元に鍵があった。




 大家にアパートを出ると伝えたときだ。彼は喜ぶどころか黙り込んでしまったのだ。そうして彼は言った。


「出ていかないでくれ。寂しくなるじゃないか……」


 以前の健太なら気持ちが動いただろう。しかし、率直に応じた。


「大家さんが、常々出て行けと言っていたと思うのですが?」


 それは皮肉ではない。カッパ族と付き合うようになって、誤解を恐れずに真意を確認することが大切だと理解していた。


「寂しくなるじゃないか」


 老人は繰り返した。目じりが下がり、涙さえ見せている。


 その時、アムロを思い出した。彼女は、大家は寂しいのだと、言っていた。


「福島さんのところに文句を言いに行くのが、何よりの楽しみだった。あのカッパともう一度、話してみたいと思っていた」


 そういうことかと思った。しかし、もうタロウもアムロも来ないだろうと話した。


 老人はがっくりと肩を落とした。


「そのカギは持っていてください。この部屋はカッパ記念館として、誰も住まわせませんから」


 健太は驚いた。老人にこれからカッパ記念館を作る意気込みがあることに。


「そういうことなら」


 アムロとタロウが使用した品々をそこに残すことにした。




 カッパ記念館のことをEメールでバイオエナジー・オブ・カッパ事務所に連絡すると、一月後、タロウがひょっこりと健太のもとに訪れた。


「元気か?」


「お陰様で。タロウさんも元気そうですね」


「おお。見てみろ」


 タロウは健太に背を向けた。タロウの背中、いわゆる甲羅を見ると大きなロゴマークがついている。


「シャナルじゃないですか。ヴィタンにすると言っていたのに」


 タロウの甲羅は、オシャレなシャナルのカバーで覆われていた。以前のアルメーヌは地味でカバーがついていることさえよく分からなかった。その後のセリーネはエレガントだったが、今度のカバーはまるで広告塔のようだ。


「相見積もりをとったのさ。ヴィタンは八千ドルだったが、シャナルはタダでやると言った。おまけに写真を使わせてくれたら一千万ドル出すというのだ」


「それで貰ったわけですね」


「まあな」


「コマツさんなら、貰わないでしょうけどね」


 それは冗談だが、皮肉に聞こえたかもしれない。


「ああ、兄は哲学者のように堅物だからな。私は、芸術家だから貰う」


「タロウさんは、芸術家ではなく、政治家でしょう。だから貰う」


「福島君、成長したな。そこまで言うか」


 タロウが笑った。それから甲羅の中に手を突っ込んで荷物を取り出した。


「見てくれ。カッパ記念館ができると言うので、展示物を持ってきた」


 その中に懐かしいものがあった。


「見ろ。私とアムロの手形色紙とプロマイドだ」


「今時、プロマイドですか、でも良いですね」


 プロマイドを手に取ってみる。アムロが微笑んでいる写真だ。


 僕にはアムロがチャーミングに見えるけれど、他の人にはタロウとアムロの区別はつかないだろう。


「しかし、芸術家の割には、センスのない写真ですね」


 タロウをからかった。


「そう言うと思ったから、アルメーヌとセリーヌの甲羅カバーも持ってきた。この穴が痛々しいだろう。若い娘の同情を得られるかな?」


 タロウは甲羅カバーの隅に空いた穴に指を通した。水掻きが邪魔で、指の先の方しか通らない。


「若い娘が同情してくれるかどうか分かりませんが、これは良いですね。一品ものですから」


「そうだろう」


 タロウが鼻の穴を膨らませた。


「大家さんも喜ぶと思います。サインを入れておくといいと思いますよ」


「そうだな」


 タロウは二つの甲羅カバーにマジックペンで大きなサインを入れた。


「ここまで来たついでに、自分で持っていこう」


 彼はその場で人間に化けた。大家さんと似た年頃の老人だ。


「それはいいですね。大家さんに電話を入れておきますよ」


「うむ……」


 彼は荷物を持って部屋を出て行った。


 健太はベランダにでると堤防を行くタロウを見送った。桜はまだ咲いていなかったが、風は春の匂いがした。

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