第Ⅶ章 グッバイ

第64話

 グラリグラリ、健太たちが乗ったクジラは揺れていた。移動しているのだ。


「父さんには、人間との間にできた子供がいるんだ」


 ムロイの説明に健太は殴られたような衝撃を覚えた。アムロとそうした関係を結んだものの、それで子供ができるなど考えてもいなかった。


「まさか、……叔父さん、自分を撃った女性のことを知らなかったよ」


「人間との間にできた子供が、あの軍人なのかな?」


 コマツの問いに、ムロイがうなずいた。


「子供がどうして自分の父親を撃つの?」


「父さんは、子供がいることを知らなかったらしい。一夜だけの関係だったようだね。飛行機の中で真実を知ったようだけど、恥ずかしくて言えなかったんだろうね」


「恨まれるのも然るべきことなのだな」


「わざわざ日本まで来て撃つなんて……」


 彼女の行動の原動力は、恨みの深さにあるのだろう。


「叔父さんの存在はニュースで世界に伝わった。そんなことでもなければ、居所を突き止めることはできなかったからね。彼女は少ないチャンスを逃がさなかった」


 アムロが感心していた。


「カッパと人間の恋愛は難しいんだよ。父さんはそのうち、人間の誰かに殺されてしまうのではないかな。撃たれるか、毒殺されるか……」


「そうしたアドバイスは、ボクではなく、叔父さんにすべきだよ」


「もちろんしたよ。毎晩、毎晩、もう何百回もね。でもだめだった。父さんの女性好きは病気なんだよ。女性と見たら、人間でもカッパにでも声をかけてしまうんだ」


 その時になって、その場にタロウの姿がないことに気づいた。


「そういえば、タロウさんがいないね?」


 周囲を見回した。


「タロウなら、IAEAとの折衝を続けているよ。ボクが中座したんだ」


「僕のために……。すまなかったね」


「健太は悪くない。悪いのはムロイさ」


 テヘヘ、とムロイが笑った。


「タロウさんを一人にしてしまって、大丈夫なのかい?」


 健太は彼の命がまた狙われるのではないかと案じた。


「大丈夫さ。カッパ族からの技術移転は簡単なことだ。問題は人間の国家間の調整さ。それはタロウではなくIAEA側の調整能力にかかっているんだ」


「そうではなくって、タロウさんのことだよ。まだ命を狙われているのだろう?」


「そうだった。忘れていた。父さんが夜遊びしないように、ついて歩かなきゃいけなかった。それじゃ青年、早くアムロのことは忘れるんだね」


 ムロイがニッと笑ってクジラの頭部に向かった。


 彼女の背中がハッチの向こう側に消えてから、アムロに向いた。


「アムロは行かなくていいのかい?」


「ムロイがいたら、叔父さんも悪さはしないさ」


 アムロの視線がコマツに向いた。


 彼がうなずいて同意を示す。その動きに力強さがない。


「先生、体調はどうですか?」


「さすがに長旅はこたえるな」


 コマツがベッドに横たわる。それから改めて話した。


「アムロ、福島さんとのこと、もう一度じっくり考えなおしてみるのだな。福島さんの気持ちもよく聞いてみることだ」


 彼は、健太の戸惑いを感じ取ったのに違いない。それともタロウの落とし子の恨みの深さを憂いたのか……。


「先生、僕は……」


「待て……」


 彼が手を上げて制した。


「……二人は大人だ。私は二人の気持ちを尊重しよう。口を挟むべきではないのだ。しかし、福島さんは人間、アムロはカッパだ。その前提は忘れてはならないよ」


 彼は目を閉じた。


「ボクが甘かったようだ」


 彼女がぽつりと言った。


 僕とアムロの結婚。彼女はあきらめたのか?……健太はアムロに目をやった。


 彼女は物思いに沈んでいた。


 クジラがグラリと揺れた。


「今、僕らは何処にいるんだい?」


「まだ大西洋さ。日本まで4日はかかるよ」


 彼女はそう言って、身体を洗うといって席を離れた。


 その日から彼女は、ずっと深刻な顔をしていた。ニューヨークのあの夜のように、健太と彼女が抱き合うこともなかった。


「健太は、普通の人間の生活に戻るべきだね」


 そう彼女が言ったのは、間もなく日本に着くという頃だった。


「普通の人間の生活って、どういう意味なんだ?」


「それは言葉のままだよ」


 彼女はその大きな瞳に涙をためて健太の顔を両手で挟んだ。


「人類との接触は無事に済んだ。これからは人類とカッパ族の政治的な付き合いになる。だから健太を普通の人間の生活に戻したい」


 健太はムッとする。


「それは、けがをした野生動物のけがが治った後に自然に戻そう、というようなものかな?」


「うまいことを言うね。その通りだよ」


 彼女は寂しげに微笑んだ。


「ばかな」


 健太は怒った。が、涙が出て止まらない。


「父さんが言ったように、ボクはカッパだ。健太は人間だ。付き合いには限界がある。それはムロイが言ったとおりだ」


「そんな……」


 クジラが揺れるように、健太の脳が揺れていた。


「……先生、先生もそう思うのですか?」


 健太はコマツに答えを求めた。


 しかし、彼は答えなかった。


「父さん?」


 アムロがコマツの手を握った。彼は呼吸をしていなかった。

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