第58話
アムロたちがポトマック川に飛び込むと、物陰から数名の男女が飛び出して川岸に駆け寄った。アムロらを監視していた軍や諜報機関のメンバーだ。彼らが川の中に注意を向けている隙に、健太はタクシーに飛び乗った。合流地点はあらかじめタロウにメモを渡されていたので、それを運転手に見せた。
健太が降ろされたのはボルティモア大学の前だった。
ボルティモアはスラム化が進み、カード大統領が、アメリカで一番危険だと言った街だ。日没を前に、そんな場所でひとりいるのは心細い。しかし、地理には不案内で英語も使えない健太は待つしかなかった。スマホの翻訳機能は使えるけれど、そもそも通行人に声をかける勇気がない。
通りの端に佇んでぼんやりしていると、いや、神経はずっと張りつめていた。ここは危険な街、いつ、強盗に襲われるか分からない。だからといって、あからさまにオドオドしていても危険だろう。それで旅慣れた人物を演じていた。
20分ほどすると客を乗せたタクシーが目の前に停まった。
「後ろに乗れ」
助手席のウインドウを開けたビジネスマンが日本語で声をかけてきた。
「エッ?」
目を白黒させた。
「忘れたのか? Iam タロウ」
彼はそう言って口角を上げた。
後部座席のドアを開けると東洋人の美女とアフリカ系の老人が座っていた。二人とも健太を見て微笑み、おそらくアムロであろう美女が、奥に腰をずらしてスペースを開けてくれた。
その晩はボルティモアのホテルに宿泊した。
「今日は豪華なディナーにしよう」
アメリカ政府との折衝に成果はなかったが、タロウは陽気だった。全ては想定内だ。
四人は最上階のレストランに足を運び、魚料理を頼んだ。
「やはり魚はいい」
体調が良いのか、いつになくコマツの機嫌が良かった。
「兄さん、上手くいくと思うかね?」
「五分五分だろう」
コマツとタロウがそんな言葉を交わした。
成功するのではなかったのか?……健太は二人の話に裏切られたような気持になった。しかし、政治の世界は虚々実々、100%はない、という程度の理解はあった。
「ひとり勝ちのアメリカだが、それがこの体たらくだ。人類の繁栄、ここに極まれり、というところだろう」
「その繁栄、捨てられませんか?」
アムロが尋ねた。その視線は健太に向いていた。
グッと、健太ののどが鳴った。ナイフとフォークを握った手が石に変わり、目は美女を見つめていた。
「繁栄は必然の様で偶然だ。そして、衰退は必然だ」
答えたタロウが、ネオン街を見下ろした。スラム化した街は、どこかしら陰気くさい。
「衰退は必然ですか?」
アムロが不安げに尋ね、彼の視線を追った。健太も外に目をやった。
「全てのモノは何れ消滅する。だから、私たちは常に新しいものを創りださなければならない。それは、制度でも法律でも、たとえ愛でも例外はない。油断すると、カッパの川流れという事態に見舞われる」
タロウがアムロのグラスにワインを注いだ。
「言うべきことは、早く言ったほうがいい。人生は短い」
彼はアムロに向かって意味ありげなウインクを送った。
カッパは長生きだろうに?……健太はカッパ色のピクルスにフォークを突き刺した。
「言うべきこと……」
アムロが視線を落とした。
その時、健太のスマホが鳴った。
『先日は失礼しました。カッパ族の技術移転について、もう一度、話し合う機会をいただけないか?』
片倉事務次官だった。
「スピーカーに……」
タロウの指示で、スピーカーモードにかえてテーブルに置いた。
「……話し合うまでもない。やるのかやらないのか。返答はそれだけでいい。ご存知のように、チャンスに後ろ髪はない」
タロウの返答は厳しかった。
『政府としては、経済界との調整のうえ、暫時、カッパ族の技術への転換を図るつもりなのだ』
「政治の主体性は、どこにある?」
『私たちに、失敗は許されないのです』
「そんなことをしているうちに地球が終わってしまうぞ」
タロウの
「仕方がない。もう一度、話し合ってみてはどうか?」
助け船を出したのはコマツだった。
『ありがとうございます』
片倉の安堵が、手に取るようにわかった。彼にもそれなりのプレッシャーがあるのに違いない。
電話を切るとタロウが言う。
「日本の政治の成熟には、もうしばらく時間がかかりそうだ。おそらく福島君が生きている間に、そうなることはないだろう」
「いずれにしても国連総会での日本の態度を見ればおのずと答えは出るのではないかな? 慌てることはない」
コマツが静かな声で応じた。
政治の世界は難しい。……今更ながら、そんな仕事に関わってしまったことを健太は後悔した。
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