第56話

「お待たせしました」


 軍服の美女が飲み物を配って歩く。健太とアムロの席が最後だった。


「ありがとう」


 かぐわしい香りに感動めいたものを覚える。震える手でハイボールをもらった。


「美味い!」


 声はタロウのものだった。飲み物をもらうとすぐに飲み干していた。


「ああ、お嬢さん。バーボンのロックをいただけないかな」


 タロウが席に戻ろうとする彼女にお代わりを注文した。


「承知しました。少々お待ちください」


 彼女はにっこり微笑んで前方の調理スペースへ向かった。


「叔父さん、調子が出てきたようだよ」


 アムロが耳元でささやいた。健太は大きくうなずいて応じた。


[気をつけた方がいい]


 タロウがカッパ語で言った。


「ン……?」


 健太はアムロに目をやる。彼女に説明してもらうつもりだった。しかし、その前にアムロもカッパ語で応じた。


[どうかしたの?]


[彼女が私を撃ったスナイパーだと思う]


[撃った女性は金髪じゃなかったのかい?]


[容姿など、いくらでも変装で変えられるさ]


 タロウがふらりと立ち上がって、前部に向かった。


 健太がそこに居ながらカッパ語で話すのは、聞かせたくないことがあるからだろう。その背中を目で追った。


 アムロが耳元で、「あの軍人が叔父さんを撃った人らしい」とささやいた。


「まさか……」


 彼女に目を向ける。


 タロウが彼女をナンパしようとでもいうように、一言二言、言葉を交わしてからトイレに入った。


 タロウは彼女に何を話したのだろう?


 バーボンのグラスを手にした軍服美女がやってくる。


 タロウがグラスを置いておくように頼んだのだろう。こんな美女が暗殺者なのか? 映画みたいに出来過ぎているじゃないか!……つい、その顔を見つめてしまう。


 健太の視線に気づいた彼女が妖艶な笑みを浮かべた。作り笑いとは思えない、身にしみついた自然な笑みだ。彼女はタロウの席にグラスを置くと、健太の脇に移り「何か、ございますか?」と流暢りゅうちょうな日本語で訊いた。


「い、いえ、なにもないです」


 健太の方が緊張でガチガチの日本語だった。


「御用がありましたら、いつでもご用命ください」


 彼女は耳元で言った。最後にと、まるでキスでもしたような音がした。ブルブルっと背筋がふるえた。前方に戻る彼女の背中から目が離せなかった。


 トイレからタロウが出てくる。


「エッ!」


 思わず声がでた。タロウがその場で転んだのだ。


 何か仕掛けられたのか?……助けに行こうと腰を浮かした。すると、軍服の美女が屈んでタロウを助け起こした。


 タロウの頬が僅かに動いたのを健太は見逃さなかった。


 タロウは笑った。仕掛けているのはタロウの方だ。いったい何を?……理解すると落ち着いて座りなおした。


 戻ってきたタロウが言った。


「間違いない。彼女がスナイパーだ」


 彼女が!……不安を押し流すようにハイボールを飲み干した。


「機内で銃は使わないだろう。使うとしたら毒だな」


「ブッ……」


 胃袋まで落ちたハイボールを拭きだした。


 タロウが「グフフ」と笑った。


「叔父さん、そんな理由をつけて、スカートの中をのぞいたんだろう」


 アムロの声は冷たかった。


「のぞかなきゃ、分からないだろう」


 そのためにわざと転んだのか!……一瞬、タロウを尊敬した。少し羨ましかった。


「それで、ホルスターを身に着けていたのかい?」


「いや……」


「それなら分からないじゃないか」


「太ももの付け根に黒子ほくろがあった。それにあの毛の生え方、スナイパーに間違いない」


 その時、タロウの鼻からツーと血が流れた。


「いかん、思い出しちまった」


 彼は慌てて自分の席に戻り、手を上げて彼女を呼んだ。


「ティッシュをくれ!」


 アメリカ空軍に所属する彼女が、どうしてタロウの命を狙ったのだろう? 彼女が狙うのはタロウだけなのか、カッパ族全てなのか? タロウが見たのはどんな毛なのか?……ない知恵を絞ってあれこれ考えた。


 アムロにも訊いたが、「分からないな」と答えるだけだった。


「もし、彼女が軍の命令でタロウを殺そうとしているのなら、僕たちの目的は達成できそうにないね?」


 尋ねると、アムロはうなずいた。


「でも、それは違うだろうな。軍の計画なら、ボクたちはグアムで死んでいたよ」


 アムロは背筋を伸ばし、窓から外を覗いた。青い空と海だけがあった。


 健太はタロウの命を狙う彼女の行動に注視した。彼女はタロウの隣に掛けて、親しげに話していた。


 結局、何事も起きないまま輸送機は着陸態勢に入った。着陸したのはワシントンに近いバージニア州のラングレー空軍基地だった。

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