第54話

 健太はタロウ達に連れられて港に移動した。ドーム型の天井の小さな港だった。そこにあった船はボブスレーのソリのような、あるいは巨大な万年筆のような形をしていた。幅の狭い船体に縦一列に青いシートが並んでいる。


「これで行く」


「これで?」


 健太の不安が声になった。小さなシートのそれでグアムまで行ったら、途中でエコノミー症候群を発症するに違いない。第一、トイレはどうする?


「心配いらない。これで行くのは河口までだ。カッパなら10人乗れるが、福島君は二人分のスペースを取るな」


 そう言ってタロウが最初に乗った。


 彼は先頭の操縦席に座った。次に健太が乗った。その後ろにコマツとアムロ、更にその後ろに健太の知らないカッパが乗った。


 シートに掛けると背もたれが倒れ、ほとんど天井を見上げる形になった。


「出すぞ!」


 タロウが後ろに向かって声を掛け、拒む者がないのを確認してボタンを押した。


 ――シュッ――


 空気ポンプが動くような音とともに前後から屋根がのび、乗客席は完全な密室に変わった。照明は建物と同じヒカリゴケのようで、船内は柔らかい光で満たされた。


 船は岸壁を離れると水中に没して流れに出る。すると激しく上下に揺れた。


 船の動きはまるでボブスレーそのものだった。上下左右に揺れるのは当たり前で、時には川底にぶつかり、あるいは宙を飛んだ。


「ウォー」「気持ち悪い」「吐きそうだ」


 悲鳴にも似た声が、健太ののどを突いた。


「吐くのだけは我慢しろ!」


 前の席からタロウの声がした。


 そうした恐ろしい旅が1時間ほどあって、いつしか船の動きは穏やかなものに変わった。


 ――シュッ――


 音とともに屋根が開く。外は、船に乗り込んだ港より巨大な空間だった。


「着いたぞ」


 タロウの声とともに、カッパたちが船を降りた。健太が降りたのは最後だった。あまりにも過酷な旅で全身の筋肉が硬直していて動けなかったのだ。


「健太、大丈夫かい?」


 優しい声をかけたのはアムロだった。


「ああ、何とか……」


 小さなアムロに同情されて見栄を張ったが、実際は歩くのがやっとだった。吐き気だけでなく腰から背中がひどく痛む。カッパ族は平気だというのだから、体力の強靭きょうじんさは底が知れない。


「今度はあれに乗るよ」


 アムロが指さしたのは……。


「クジラ?」


 体長25メートルほどのナガスクジラが港の中ほどに浮いていた。


「見た目はクジラだが、長距離用の乗物ですよ」


 港の管理者のカッパが説明し、手にしていたリモコンを操作した。するとクジラは静かに移動して岸壁に寄ると顎を護岸に乗せて大きく口を開けた。


「さあ、乗るぞ」


 タロウが先頭になって乗り込んでいく。


 その内部は川で乗った乗物より広く、洗面所や飲食設備もあった。広いとはいえ定員は5名、カッパ族は立って歩けても、健太は腰を屈めて移動しなければならなかった。


「出航!」


 海賊さながら、タロウが楽しげに声を上げ、備え付けのマイクに向かって「行先はグアム」と告げた。


 ――キューン――


 クジラは鳴くと口を閉じ、岸壁を離れた。


 クジラも決して乗り心地の良い乗り物ではなかった。人間の眼にクジラに見せるためだろう。身体をくねらせ尾鰭おびれを振って進むからだ。


 客席は波に揺られるように、常に上下していた。吐き気をもよおし、健太は時折トイレに駆け込んだ。それ以外の時は身体を横にしてひたすら眠った。


 タロウとクジラの中で唯一かわした話は、アメリカが〝核〟を放棄しないだろうというものだった。するとコマツが言った。


「私たちはアメリカに行くが、アメリカ政府と交渉するのではないのですよ。交渉相手は国連です」


 なるほど、と思った。核兵器保有国は、原子力発電所を容易に手放さないだろう。核兵器と原発は親和性がたかい。しかし、核兵器を持たない国にとって原子力は純粋にエネルギー供給施設だ。代替方法があれば手放せる。


「まあ、アメリカ政府も大概ポンコツだ。自国のことしか考えていない。いや、政治家自身の権力の保持、といったほうが正しいかな」


 タロウが苦笑した。


 健太は彼がポンコツと言ったアメリカ政府のトップ、カード大統領を思い浮かべた。〝俺様第一〟アメリカの経済力と軍事力を総動員して他国を恫喝どうかつし、私欲を満たそうとしている。それがカード大統領だ。


「彼らも世界から孤立する状況を自覚すれば態度を変えるかもしれない。……しかし、アメリカに着くまでは秘密です」


 コマツの言葉を聞いて、健太はトイレに飛び込んだ。




 グアムの海に着いたのは20時間後だった。クジラは海底で口を開ける。健太はアムロに背負われて上陸した。


「ハロー、カッパノ皆サン」


 グアムのビーチで待っていたのはジョージ・ワシントンデスだった。


 健太たちはビーチで楽しむこともなく、ジョージの案内でアンダーセン空軍基地に移動し、将校用のレストランに入った。軍人たちの好奇の眼差しの中、食事とワインを楽しんだ。


 もっとも、楽しんだのはカッパ族だけで、クジラの旅ですっかり胃袋をやられていた健太は、苦痛に涙を浮かべながら分厚いステーキを口に押し込み、ワインで無理やり流し込んだ。


「泣くほど美味いかい」


 全てを知っていながら、タロウが「グハグハ」笑った。

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