第53話
朝食時、健太は再びアムロたちとテーブルを囲んだ。
「昨晩も言ったが、私はこの調子だから、アメリカでの折衝はアムロと健太に任せるよ」
食後のコーヒーを飲みながら、タロウがさりげなく昨夜の話を持ち出した。
「僕にはできませんよ」
「何故、そう言い切れる」
「英語もできないし、交渉能力もありません」
健太は怖かった。交渉の責任を背負うのが、……カッパ族の期待を背負うのが……。
「カッパの身体が何故小さいか、話したのを覚えているか?」
「小さい空間で暮らせるし、省エネのためでもあると」
「そうだ小さいことには意味がある。大きな象だって、2センチほどの銃弾で撃ち殺せてしまう。大きな体の人間が、目に見えない放射性物質を恐れているのは何故だ?……私の身長は140センチほどだが、180近くある福島君に力で負けることはないだろう」
「カッパ族の力は、人の10倍もあるようですから」
「その意味が分かるか?」
「外皮のことですか?」
「違う」
タロウは食卓テーブルのトマトを手に取る。
「このトマトと、福島君のスマホと、どちらが高価だ?」
タロウが熟した赤いトマトを放った。健太は慌ててそれを優しくつかむ。
「もちろん、スマホです」
「ここに一生、住むとしてもか?」
意味の分からない質問だった。ずっとカッパ国に住むなど思いも及ばない。
「スマホを見てみなさい」
コマツに言われて、スマートフォンの電源を入れる。当然、圏外で役には立たない。
「……ここで暮らすなら、トマトの方がまだ使い道があるわけですね」
「砂漠ならばなおさら、水分は貴重だ。世界を固定観念で括ってはだめなのだ。物事を測るモノサシは一つではない。像と銃弾を重さやサイズで比較する限り、本質は見えてこない」
「人間もカッパ族も、取引のために貨幣を使う。貨幣の下では、全てに順番がついてしまう。たとえそれが芸術だとしても。……しかし、良く考えれば、物の一つ一つは使う人物によって価値は違っているはずなのだ。キュウリひとつとっても人間とカッパではその価値が違っている。人間が考えているのと異なり、カッパにとってのキュウリは野菜にすぎない。しかし、カッパはキュウリが好きだという人間の思い込みは信仰に近いものさえある」
コマツの静かな口調は水の滴が落ちる音のようだった。
「数字の怖さですね。信仰や思い込みも同じでしょうか?」
「出来るじゃないですか」
コマツが微笑した。
自分に何ができたというのか?……健太には分からない。
「貨幣をより抽象化すれば、数字ということだ。それを福島君は理解したということだ」
タロウが言った。
「福島さんが自信を持てないのは、人間が人間の価値を、学校の成績や賃金などの数字に置き換えているからですよ。確かに、その数字だけを見れば君は一番ではない。二番でもない。しかし、そんなことに何の意味がある?」
二番でもないと言われ、健太は寂しいものを覚えた。
「科学の進歩と共に、これから数字に置き換えられるものは更に増えていくだろう。しかし、それが全てではない」
タロウが真っ赤なトマトを口に放り込んだ。
「命は数字には置き換えられない」
「〝核〟もその数字と同じだ。今や、隈川には、放射性物質という原子記号が山のように堆積している。問題は、シーベルトでもベクレルでもなく、人類が将来に対してどのような責任を取るのか、ということだ」
コマツが静かにまだら模様になった自分の皮膚をさすった。
痛むのだろうか?……健太はコマツの手の動きを追った。
「福島君とアムロは、人類やカッパ族のどちらかではない。二者の懸け橋になるのだ」
タロウが決めつけた。
「ハァ……」
コマツに目をやると、彼がうなずく。
「分かりました」
健太は消極的に同意した。
「話は決まった。出発は1時間後だ」
タロウが席を立った。
「1時間後?」
「ああ、隈川の河口に船を待たせている。グアムからはアメリカ軍の飛行機だ」
「意味がわかりません!」
健太は頭を抱えた。
「ジョージ・ワシントンデスと、そう話がついているのだ」
タロウが「ガハガハ」笑った。
「1時間なんて無理です。着替えとかパスポートとか……」
「着替えなど、向こうで買えばいい」
「もともと健太は、パスポートを持っていないだろう」
アムロが指摘した。
「アッ、うん。……だから、これから……」
「……発行してもらうなんて言うんじゃないだろうな。とても間に合わんよ。まぁ、気にするな。カッパ族にパスポートは不要だ」
タロウは気楽そうに言うが僕は人間だ!……頭を抱えた。
「では、私たちも準備をしよう」
「父さんも行くのですか?」
「ウム、アムロは、人類でもカッパ族でもない、二者の懸け橋。私とタロウはカッパの代表として行く」
彼の話を聞き、ホッとした健太だった。
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