第Ⅵ章 ハロー・アメリカ

第50話

 健太は放射性物質交じりの水を潜り、カッパの国に着いた。清浄なドーム型のエントランスは、前回来たときと変わっていなかった。


 再び長い廊下をアムロに背負われたまま進む。すれ違うカッパたちの目の色が赤く変わるのも以前と変わらない。中には「無駄なことは止めたらどうだ」と、アムロに忠告する者がいた。健太に理解できるよう、あえて日本語で言うのだから性質たちが悪い。


「決して無駄ではないよ。時間はかかるが、人間は理解するはずだ」


 アムロは穏やかに答えて通り過ぎる。


 ぼんやりと輝く通路を通り過ぎるとタロウが寝ている部屋に着いた。以前、コマツが寝ていた部屋と見た目は同じだが、場所は全く異なっている。


 タロウは、青い顔をしてベッドに横になっていた。顔が青いのはいつものことだが……。


「叔父さん。大丈夫かい?」


 健太をおろし、アムロが声をかけた。


「アムロか、……私はもうだめだ。すまないが、私の代わりにアメリカに、交渉に行ってくれ」


 タロウは少しだけアムロの方に頭を傾けたが、顔をゆがめるとすぐに頭を元の位置に戻した。


「気を強く持ってよ」


 カッパも人間と同じことを言うのだな。……タロウの身を案じる一方で、健太は不思議な思いが胸に渦巻くのを覚えた。


「もう、頭が割れそうだ」


 タロウは悲痛な声を漏らした。


「叔父さん」


 アムロはベッドのかたわらにしゃがみ込むと泣き出してしまう。


「泣くな。アムロ」


 そう言ったのは、健太の背後に現れたコマツだった。


「タロウは、ただの二日酔いだ」


「でも、撃たれたのですよ」


「出血はあったが、すでに完治している」


 コマツはそういうと、健太に向き直って握手を求めた。


 相変わらずいい加減なオヤジだ。……健太はタロウをそんな風に評価、同時にカッパ族の医療技術に感心しながらコマツの手を握った。


「久しぶりだな。福島さん」


「先生、お久しぶりです。具合はいかがですか?」


「ぼちぼちだよ。こうして出歩く程度の力はある」


 コマツは小さくうなずいた。


「叔父さん、撃たれたんだよね? もう、平気なの?」


 優しいアムロはまだ心配していた。


「ああ、撃たれたさ。おかげでアルメーヌ製の甲羅カバーに穴が開いてしまった」


 タロウは上体を起こすと、アムロに背を向けた。ダークグリーンの甲羅の右端に、小さな黒い穴があった。弾は甲羅を貫通してどこかへ飛んでいったらしい。


 その甲羅のカバーがパリのブティック、アルメーヌの仕立てなのかどうか、健太には見当もつかない。


「このデザインが渋くて気に入っていたのに、惜しいことをした」


 タロウの声には力がない。


「バカ……」


 アムロがタロウの背中をたたいた。


「スマナイ。今度は、ヴィタンにしよう」


 タロウに反省の色はなく「カカカ」と笑った。


「甲羅から出血したのですか?」


 健太はコマツに訊いた。その方が、正しい知識が得られるだろう。


「カッパ族の甲羅は亀のそれとは違うのだよ。外皮の筋肉を動かすために血液が流れている。人間でいえば肝臓に近い機関が甲羅にはある。それが電気ポンプで動いているのは、一般的な生物とは全く異なるがね……」


 コマツの説明は、半分ほどしか理解できなかった。


「……相変わらず、アムロはタロウが好きなのだな」


 コマツが言うと、アムロが顔を強張らせた。


「ン、どうした?」


 彼女は何も言わず、ペタペタと足音を残して部屋を出ていった。


「怒らせたな」


 タロウが笑った。


「そのようですね」


 思春期、……そんな言葉を思い出した。でも、アムロは101歳だ。


 コマツが首を傾げている。


「相変わらず、兄さんは鈍いな」


 タロウが「グヘグヘ」笑った。


「タロウさん、河原には結構な量の血痕がありました。本当は甲羅以外にも傷ついているのではないですか?」


 健太は念のために訊いた。地上に戻ったら、警察の事情聴取を受けることになるだろう。その時のためもあった。


「そのことは聞かないでくれ。恥ずかしい」


 タロウが苦笑した。


「そういうことなら、私にも聞かせてほしいな」


 コマツが迫ると、タロウは素直に応じた。


「あれは、鼻血なのだ」


 聞かないでくれと言いながら、本当は話したくて仕方がないようだ。


「鼻血ですか?」


 健太もコマツも状況が理解できない。その様子を見て、タロウはため息をついてから嬉しそうに話し出した。


「隈川の土手に上ると、だな……」タロウはゴクリとのどを鳴らした。「……500メートル先に美しい脚の女性がいた。金髪で赤いシルクのブラウス、白のミニスカートだった……」


 なるほど、タロウが積極的に近づくには十分な条件だ。きっと、胸も大きかったに違いない。

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