第49話

「福島さん、日本政府が慌てるって、どういうこと?」


 久留米が健太の不注意な発言に気付き、問い質した。


「あ、いや、……珍客が撃たれて死んだりしたら、世界中のになりますから」


 健太はどぎまぎしながら応じた。


「うーん、確かにな」


 彼は健太の言葉を素直に聞いた。


 助かった。……健太は胸をなでおろし、念のために余計な話で注意をそらすことにした。


「それにしても、日本にも銃が増えましたね」


「ああ。素人でも手に入る時代だ」


 彼が事件現場に目をやった。サイクリングロードには、さっきまでいなかった警察官の姿があった。


 健太は、久留米に礼を述べて土手に上った。やっと駆けつけた若い警察官が黄色のテープで規制線を張っているところだった。


「犯人は捕まったのですか?」


 尋ねると、警察官は眉をひそめた。


「撃たれたカッパの知人なのです」


「まだ、見つかっていないようです」


 彼は申し訳なさそうに応じた。


「カッパを撃つと、どんな罪になるのですか?」


 久留米の話だけでは不安なので尋ねた。


 若い警察官は、一緒に規制線を張っていた中年の同僚に助けを求めた。彼が公務員の顔で言った。


「殺人や暴行傷害というわけにはいかないかな。人間じゃないから。……普通なら銃刀法違反と器物破損だろうな」


「カッパは人間と変わらない知的生命体ですよ」


 異論を唱えると、警察官は面白くなさそうな表情を作った。


「チンパンジーやイルカだって、知的らしいじゃないか。同じだよ」


 彼の顔が公務員のそれに戻った。


 健太は再び土手を下り、アムロが戻るのを待った。背中の汗が冷えて寒さを覚えた。


 じっと水面を見ていると〝方丈記〟の一節が思い浮かぶ。


 ――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず――


 原発事故の前も後も、見た目の変化はない。しかし、この川は、確かに変わってしまった。


 ゆらり、ゆらり、水が揺れる。催眠術にでもかかったように眼が回る。慌ててしゃがみこんだ。


 アムロはどこまで潜ったのだろう?


「大丈夫ですか?」


「ええ……」


 立ち上がり、心配する久留米に向かって「心配いらない」と告げた。


「私は一旦、社に戻ります。カッパが戻ったら話を聞かせてくださいよ」


「はい、その時は……」


 応じると、久留米が土手に向かった。


 タロウやアムロをカッパと普通名詞でひとくくりに話す、その後ろ姿に不快なものを感じた。しかし、タロウが撃たれたと連絡をくれた親切には応えなければならないだろう。


 久留米の姿が土手の向こう側に消えたとき、背後にピタピタとアムロの歩く音がした。それがタロウではなくアムロのものだと、音だけで分かったことに、自分自身驚いた。


「どうだった?」


 腰をかがめてアムロに尋ねた。


 周りに記者や野次馬が集まり、写真を撮った。


「無事なようです。国に戻ったと連絡がありました……」


 アムロは集まった記者に向かって話し、それから健太に言った。


「……健太が心配しているといけないので、入り口で引き返したんだ」


 それを聞いた記者たちは、一斉に自分の会社に電話し始める。夕方のニュースは、この事件がトップになるに違いない。


「良かった……」


 健太は心底ほっとした。


「では、ボクは国に戻ります。今晩は戻らないよ」


「僕も行くよ」


 アムロが驚きの顔をする。


「行ってくれるのかい?」


「もちろん。会ってみないと心配だ」


 アムロが笑った。


「それでは……」


 アムロが背を向ける。健太はその背中におぶさった。


 周囲から「おおー」と声が上がる。130センチのカッパの体に180センチの男が乗ったのだから当然だ。


 シャッター音が夕立のようだった。


「早く行ってくれ」


 恥ずかしくて、そう頼んだ。


 アムロがゆっくりと水の中に歩みだす。


 健太の肩が水に浸かったころ、背後から声がした。


「待ってくれ!」


 見ればと警察官が土手を駆け下りてくる。


 事情聴取をしたいのは分かった。しかし、器物破損の捜査に付き合うことよりも、タロウの安否を確認することの方が、健太には大切だった。


「どうします?」


 アムロが頭を持ち上げて訊いた。ほぼ水に潜った彼女にも警察官の声は聞こえていたようだ。


 引き返す気持ちにはなれない。


「行ってくれ」


 健太は頼んだ。


 何も聞こえないふりをして、二人は隈川の底へ向かった。水中に没してから振り返ると、晩秋の日差しが水面を金色に染めていた。

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