第48話

「久しぶりに川で泳いでくる」


 タロウは大きな目玉をパチクリ、ウインクするとドアを開けた。


 外から秋のざわめきが流れ込んでくる。冷めた空気と記者の声だ。


 外が静かになる。記者たちはタロウについて行ったのだろう。


 健太はアムロと二人だけになった。以前はアムロを男性、若しくは男性でも女性でもない何かと思っていたので二人きりになることに何の抵抗もなかったが、中身が女性だと思うと落ち着かなかった。見た目はカッパなのに……。


「アムロは、タロウのことが好きなようだね」


 その言葉の意味をアムロはどのようにとらえたのだろう。不思議なものを見るような目つきで、健太の顔を見つめた。


「タロウは、ボクの叔父だよ。愛情を持つのは当然では?」


「叔父、姪の愛情以上のものを感じたよ」


 どうしてそんなことを言ったのだろう?……健太は自分が発した言葉に狼狽うろたえた。


「それは思い過ごしというものだ」


 アムロの瞳がジッと健太をとらえた。それに狼狽ろうばいし、再び口を滑らせた。


「……そ、その皮を脱ぐと真っ白なんだね」


「中身は人間と大差ないんだよ」


 アムロが横を向いた。、……そう見た健太は一転、調子に乗ってしまった。


「中身と皮は、どうやって繋がっているの?」


 日頃抱えていた疑問を口にした。


「それは秘密です」


「なぜ?」


「それを知ってどうする?」


「アムロのことは全部知っておきたい」


 思わずこぼれた言葉に、アムロが目を瞬かせた。


「皿の所で、外皮と内皮が繋がっているんだよ」


「そ、そうなのか……」


 訊いておきながら、そんな返事しかできなかった。


 アムロは立ち上がり、温かいお茶を入れた。


「ボクの皿を舐めたろう。覚えているかい?」


 ――ピポピポペペペ――


 アムロの声を着信音が妨げた。


「その、気の抜けた着信音は変えた方がいいよ」


 アムロが言った。


 健太はうなずき、電話を取った。


「もしもし……」


『タロウが襲われた!』


 相手は何度か取材に来た雑誌記者の久留米だった。


「え、え、え……」


 ――襲われた、襲われた、襲われた。……頭の中で久留米の声がリフレインした。


『怪我をしている。来てくれ』


「……ど、ど、どこですか?」


『隈川の土手のサイクリングロードだ』


「すぐ、行きます」


 アムロを伴ってアパートを飛び出した。


 11月だというのに、乾いた日差しが射るように暑い。


 タロウが対応できなかった相手に、自分は何ができるだろう?……走りながら不安を覚えた。その不安をぬぐうためにアムロに目をやる。彼女ならタロウ並みの戦いができるだろう。


 そのアムロは、徐々に遅れていた。地上を走るのは苦手なのだ。


 健太はアムロのところまで戻って屈んだ。


「乗れ」


「それは、健太に申し訳ない」


「遠慮はいらない。今は、一刻を争う」


 アムロの手を肩越しに引く。力ずくで背負うと走った。


 そしてすぐに自分の思慮のなさに後悔した。アムロは見た目ほど軽くはない。全身から汗が滝のように流れ出す。


 土手の下で、アムロを下ろした。そこまでが精一杯だった。


 そこからはアムロが健太の前を走る。


 健太の額を汗が流れ、汗で目がひりひり痛んだ。ぼやけた視界の中で、どうにか緑色の影を追い続けた。


 土手を上がると、事件が起きた場所はすぐに分かった。数人の記者が土手の上のサイクリングロードに集まっている。見れば、河原にも同じ程度の人がいた。彼らのカメラが、駆け付けたアムロに向いた。


「通してください」


 健太はアムロの手を引いて記者たちをかき分けた。


 人ごみの中に血痕があった。ぎらついた赤に、心臓がキュンと縮まり動機が早くなる。


「撃たれたのだ」


 ひとりの記者が言った。


「撃たれた?」


 襲った犯人はタロウを殺そうとしたのだろう。……健太は信じられなかった。タロウが命を狙われるような心当たりがない。


 血痕は間隔を広げながら、河原に向かっていた。別の一団がいる場所だ。


 電話をくれた久留米が河原で手を振っていた。ワイシャツと、グレーのスラックス姿だ。上着を小脇に抱えている。


 健太は河原に駆け下りた。


「久留米さん。連絡、ありがとうございます。それで?」


「タロウさんは川に飛び込んだ。出血していたが、大丈夫かな?」


「犯人は?」


「犯人は女だ。なかなかの美人だった。あれは恨みだな」


 職業柄か、久留米は痴情のもつれだろうと言った。


「ボク、見てきます」


 アムロは好奇な記者の目を振りほどくように、隈川に飛び込んだ。放物線を描いたアムロは水しぶきを立てず、ゆらめく波紋だけを残した。


「見事なものだな」


 記者がうなった。


「犯人は捕まったのですか?」


 アムロの残した波紋が消えてから、久留米にたずねた。


「いいや。土手を駆け下りると白い軽自動車に乗って逃げたよ」


「それなら、車を押さえれば、犯人の確保はすぐですね」


「ああ。盗難車でなければな。しかし、カッパを傷つけても、法律上は器物破損だ。大した罪にはならない」


「ひどいですね。でも、日本政府は慌てるでしょう」


 言ってから、まずいと思った。政府と接触していることは秘密だ。

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