第47話

 サイは投げられた。……もちろん、とっくの昔に……。


 アメリカ、中国、イギリス、フランス、インド……、その他の国々ともアムロは連絡を取っていた。しかし、アムロとタロウは日本を選んだ。それは、バブル経済崩壊後、30年以上も停滞する日本にとって破格のサービスに見えた。


 それなのに、その後の日本政府の動きは緩慢だった。いつまでたっても伊達や片倉からは連絡が来ない。原発を保有する他国への説得が条件にされたのが、緩慢さの理由のようだった。


 毎日ビールを飲みながら、タロウは返事を待ち、そしてぼやいた。


「やはり日本には無理だったようだな。核兵器廃絶交渉と同じだ……」


 彼はゲップをして、わずかばかりメタンガスを吐きだした。


 日本政府による大型原子炉の廃炉の話が進まないのは、タロウ自身が交渉相手の選択を誤ったということを意味する。彼は後悔しているのだろうか?


「やはり、アメリカか……」


 タロウがキュウリをかじる。


「やはりキュウリは青臭い……」


 そこに、すかさずアムロがビーフジャーキーを差し出した。


「気が利くな。良い嫁さんになるぞ」


 タロウは愛しいものを見るように目を細めた。


 ――ピポピポペペペ――


 タロウの熱い思いをあざ笑うように健太のスマホが鳴った。


『Halo』


 聞き覚えのある声だった。あの、ジョージ・ワシントンデスだ。


 健太は、すかさずスマホをタロウに渡した。すると、風来坊然としていた彼の顔が引き締まる。


「Halo、this is……。yeahやー、……yeah、……yeah……」


 タロウの声で思い浮かぶのはビートルズ。もちろんタロウは、ビートルズの話などしていないはずだ。


「……yeah、……yeah、……yeah、……Bye」


「タロウさん、どういうことですか?」


 尋ねながらスマホを受け取った。


「日本はチャンスを逃した。どうやら、経済界からの圧力で話が暗礁あんしょうに乗りあがっているらしい。電力村から巨額の先行投資が無駄になるとでも言われたのだろう。経営者が考えるのは次の決算のことばかりだからな」


「それを何故アメリカが?」


「日本政府も、一通りは諸外国に声をかけたようだ。アメリカは日本が話に乗らなくとも、話を進めたいそうだ。こちらの条件を全て飲むと言っている」


 タロウはトコトコと冷蔵庫の前まで歩くと、缶ビールを取り出した。ステイオンタブを引くとプシュっという音とともに泡が噴出した。タロウは慌てて缶を嘴に運ぶ。


「パァー、……やはり夏は麦茶に限るな」


「それはビールだ。……おまけに今は十一月だよ」


 アムロが突っ込んだ。


 タロウはとぼけて、ぴょんぴょんと跳ねて窓際に座った。


「私はアメリカに渡ろうと思うが、お前たちも来るか?」


 タロウが健太に視線を投げた。


「僕は仕事が……」


 プルプルと首を振った。


「休暇もくれない料簡りょうけんの小さい職場など辞めてしまえ」


 ビールをのどに流し込みながらタロウが笑う。


「そういうわけにはいきません」


「何故だ?」


「食べて行けなくなる」


「仕事など、どこにでもある」


 タロウがアムロに視線を移す。「そうだろう?」


「カッパの世界ならそうですが、人間の世界は違うようです」


 友よ!……アムロの言葉にほっとした。彼女は健太のことも、日本社会のこともよく理解している。


 ところが、次の言葉で腰が砕けた。


「……特に、中途採用は難しいらしい」


 痛いところをつくなぁ。……苦笑がこぼれた。


「ばかな!……」タロウが叫ぶ。「……仕事など、会社の中にあるのではない。それは世の中にあるのだ。会社はただそれを仲介しているにすぎない……」


 彼は、ベッドの上に立ち上がって演説する。


 難しいことを言うな。……健太は彼を見上げる。


「……組織の中でしか生きられないという思い込みが、人間を弱くしている。その結果が戦争、いじめ、貧富の格差、原発事故だ……」


 原発事故は関係ないだろう。……首を傾げた。


 タロウは空になった缶をに投げ込むとベッドを飛び下り、健太の両肩を握った。


「……青年よ、自分の足で立て。そして旅に出ろ。夢はその先にある!」


 彼は、握った肩を前後に振った。とてつもない強い力で。


 ――ヒュー、ヒュー――


 ゆすぶられる健太の首が空気を切り裂いて音を立てた。頭が胴体からもげてしまいそうだ。


「止めろ!」


 思わず叫んだ。


「そうだ。健太、その声だ!」


「叔父さん、止めるんだ。健太が死んでしまう」


 アムロがタロウを羽交い絞めにして引き離した。


「健太、すまない。タロウは酔っているんだ」


 アムロはタロウをベッドに放り、くずかごから空き缶を拾いあげて分別した。


 タロウがピョンとベッドを飛び降り、顔を寄せる。


「その声が世界を変えるのだ。その声の力が、今のお前には必要なのだ!」


 タロウはそう言うと満足した様子で玄関に向かい「これからの計画を練ってくる」と手を振った。


「どこに行くんだい?」


 アムロが不安げに尋ねた。……その不安は当たっていたようだ。

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