第Ⅴ章 風来坊

第38話

 アムロは外出するようになったが、単独でそうすることはなかった。街中の人々がアムロを知っているわけではない。そんな人を脅かしてはならない。


 アムロを迎える街の人々は素朴で好意的だった。アムロの姿を見ると手を振り、握手やサインを求めてくる。


 アムロは彼らを喜ばせるために、スタンプ台とウエットティッシュを入れたショルダーバッグを下げるようになった。色紙を出されると〝パー〟の手形を押し、【アムロ・カッパ・ドーモン】とカタカナで書いた。


 子供たちは、放射線の影響を恐れて外で遊ぶことが少なくなっていたが、アムロの魅力はその不安を忘れさせた。アムロの姿を見ると駆けてくる。


 いつの間にか子供たちは、アムロを訪ねてアパートまで来るようになった。そこは6畳一間のワンルーム。子供たちは肩を寄せ合い、あるいはベッドの上に並んだ。人数が多すぎて、健太が部屋を出なければならないときもあった。


「カッパの国のことを教えて」


 子供たちの好奇心は単純明快だ。


「カッパの国は、水の中にあるけれど、その中には草も木もあるし、空もあるんだよ。残念なのは、陸上のように、虫や鳥や動物がいないことだね」


「何を食べているの?」


「川や海の魚と、カッパの国で育てた野菜や果物だよ」


 アムロが子供たちを好きかどうか分からない。ただ、アムロは彼らに優しく接していた。


「キュウリが好きなんでしょ?」


「キュウリは人気があるね。でも、ボクはキュウリが苦手なんだ」


「好き嫌いしちゃいけないって、ママが言っていたよ」


「そうだね」


 そんな時に見せるアムロの困った顔を見るのが健太は好きだった。時折、その表情が人間に対するカッパのものではなく、子供に対する母親の表情に見えることがある。


 子供たちがアパートに入り浸るようになり、健太の部屋は安全を確立したように見える。子供たちの目の前でアムロを襲う愚を、大人たちがするとは考えられなかったからだ。


 しかし、アムロの考えは違っていた。


「子供たちを盾にしているようで、嫌だな」


 陽が陰り、子供たちがそれぞれの家に帰るのを見送りながら、アムロはつぶやいた。


「物理的に子供たちが盾になることはないよ。子供たちのおかげで、昼間は安全が確保できているということだ。今は子供たちに感謝しよう」


 健太は、そう応じた。


 アムロの存在は一刻一刻日常に溶け込み、アムロに馴染んだ世間はカッパ族への関心を失いだす。カッパに対する国防論は影を潜め、マスコミさえ訪れることが少なくなった。


 それは健太にとっては平穏な日々が訪れたことを意味した。しかし、事態は逆だった。本当に悪い奴は、人眼の届かないところで活動するものだ。


 月のない深夜のことだった。


 狭い部屋にはベッドが二つ。当初二人は抱き合うように寝ていたが、同居生活が長く続いたので折り畳み式の簡易ベッドを購入していた。


 簡易ベッドに寝ていた健太は、息苦しさを覚えて目を覚ました。暗闇の中では何も見えなかったが、自分の口がテープのようなものでふさがれていることは、すぐに分かった。おまけに両手は細いひもで結ばれていた。足は動いた。


 まるで映画で見る誘拐のワンシーンだ。……そんなことを考えられるぐらい冷静だったのは、あまりにも現実味がなかったからだ。


 何者かが簡易ベッドの上をギシギシと音を立てて移動すると、アムロの枕元に立つのが分かった。


 侵入者の目標は自分ではない。アムロだ!……健太は事態をアムロに伝えようともがいたが、その時には別の人物が両足を固定していた。


 犯人は複数犯だ!……最後に残された聴覚と侵入者の行動から、侵入者は三名だと推測した。もし、車でドライバーが待機しているなら四名だろう。


 彼らは無言だった。それでいて手際がいい。訓練されたメンバーなのだろう。


 目が慣れると、アムロが寝ているベッドの枕元と足元にいる人影が見分けられた。


 アムロを守らなければ!……そればかり必死で考えた。


 予想外の事態だった。


 ただ拘束されただけだと思っていた健太は、大きな袋に詰め込まれた。

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