第35話
健太が事務所に出勤すると事務員が意味ありげに笑った。
「おはようございます。話題の福島さん」
「話題?」
「テレビ見ましたよ」
「あ、あぁ、……あれは誤解だよ」
どうやら僕とアムロの関係が面白おかしい噂になっているらしい。……応じながらタイムレコーダーにカードを通した。
除染作業の工具をトラックに積み込んでいると、金髪のあの青年がやって来た。顔を見るのは1週間ぶり、いや、それ以上か……。彼が真直ぐ向かってきた。
「おい、福島、やっぱりお前だったんじゃないか。カッパを隠していたの!」
つかみかかるような勢いに、健太の身がすくんだ。
「バーカ、怒らねえよ。愛のパートナーじゃしょうがない」
突然、彼が笑い出した。
「誤解だよ。あれは……」
「いいから、いいから。照れることはないさ。SDジーンズの時代だからさ。……まさか、お前がなぁ……」
SDジーンズはないだろう!……突っ込みたいところをグッとこらえた。彼の背後で現場監督がプルプルと首を左右に振っている。
金髪の青年はニヤニヤしながら健太の周りを一周すると、背中をドンと叩いて荷物の積み込み作業に加わった。
「怒るな、我慢しろ。俺も動画で見たけど……」
現場監督は一度はこらえた笑いを、プッと拭きだして事務所へ行った。きっとそこで、事務員と噂話に花を咲かせるのだろう。
報道の影響はそれだけではなかった。見知らぬ誰かからの電話が山ほど増えた。『変態!』『カッパを開放しろ』『動物虐待反対!』そんな電話だ。それは、アムロが持つ健太名義のスマホも同じだった。外部と連絡を取る必要のないアムロは電源を落とし、もっぱらパソコンを利用していた。
人の噂も七十五日、情報過多の現代では、新しい話題があれば七日もあれば忘れ去られるだろうけれど、デジタルタトゥーは永遠だ。いつ何時、再燃するか分からない。誤解した大家とそれを報じたテレビ報道に忌々しいものを覚えながら、その日一日を過ごした。
翌日も多数のメディアがアパートの周囲に集まっていた。
「カッパと肉体関係があるとの話ですが?」
テレビ局の記者に尋ねられた。その次は新聞、そして雑誌の記者とマスコミの質問には容赦がない。更にひどいのは動画サイトの配信だ。彼らの多くはテレビや雑誌から自分に都合のいい場所だけを切り取って面白おかしく騒ぎ立て、時には、アパートまで押しかけて庭から室内を覗き込もうとした。おちおち洗濯物も干せない。
「多種多様なメディアが虚構の先導者となり、大衆は安住の傍観者……」
その日、体調が良くなったと言ってベッドから出たアムロは、テレビや動画サイトのニュースをチェックしていた。テレビの中で健太が顔を赤くして言った。
『それは大家さんの誤解です。僕とアムロは、種族を超えた友人なのです』
「……真実と理性は神によって試されている。種族を越えた友人かぁ。……これは試練だよ」
「見ないでくれよ。かっこ悪い」
健太はコタツ板に額をつけて目を閉じた。そうしていれば、少なくとも自分は現実から逃避できる。
「そんなことはないよ。健太は真実と理性の側にいる」
アムロの声が、項を通り過ぎた。
そのインタビューを受けた時、健太は勇気を振り絞ってこう訴えた。「……僕とアムロの関係よりも、アムロたちカッパ族の話を真面目に取り上げてもらえないでしょうか。これは地球環境の問題なのです」
するとカメラが止められた。
キャスターの後ろでディレクターが声を上げる。
「その話には需要がないんだよ」
「環境問題は世界中が取り上げているじゃないですか」
「そんな物に関心を持っているのは、一部のリベラルな層だけだよ。大衆は刺激を求めているんだ」
「原発事故の影響はカッパの国にも及んでいるのです」
「そのテーマは、すでに飽きられているのだよ。いや、飽きているというより、拒絶していると言ったほうが当たっているのかもしれない。皆忘れようとしているのだ。そうして前向きになろうとしている」
忘れることが前進するために必要なことだというのは分かる。しかし、今あるものから目を背けるのは、忘れることとは違うはずだ。
「事故の問題はここだけに留めておけということですか?」
「まあ、留めるというより、無かったことにするのだよ。今、大衆の関心は、カッパの風俗やあなたとのステキな関係なのです。ツーショットを撮らせてもらえませんか。報酬はこれくらい……」
彼はそう言って指を3本立てた。
3千円か3万円か、はたまた30万円か?……考えたけれど、300万円でも、彼らがステキと考える話題作りのために、アムロを連れ出す気持ちにはなれなかった。
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