第34話

「それは法律に基づくことなのですか?」


 アムロの様子を見せろという保健所の職員に対して、健太は精一杯の知識を動員して抵抗した。それが法律はあるのか、という程度だから情けない。学生時代の不勉強を後悔した。


「もちろんです。〝動物の愛護及び管理に関する法律〟というものがありましてね……」


 勝利を確信したかのように、彼女の瞳に力が宿った。


「……、……ための数々の措置を取らなければならないのです。法の趣旨に則れば、カッパは大型動物に準じて扱うべきだと思います。その飼育に関しては飼育設備を整え、保健所に届けを出していただかないと困ります」


 彼女は法律の一部を引用した。


 その時だった、「動物とは聞き捨てならないな」とアムロの声がした。


「エッ……」


 職員の眼が大きく見開かれた。その視線が部屋の奥に向いた。


 ベッドを出たアムロがトコトコと向かってくる。


「ヒェ……」


 奇妙な声をあげ、職員が一歩飛びのいた。アムロの暴力を恐れたのか、あるいは感染症を恐れたのか?


 アムロが健太の隣で足を止める。


「いえ、動物を下に見るつもりはないのです。言ってみれば、人類もカッパも動物です。違いますか?」


「動物愛護法の動物は哺乳類ほにゅうるいと鳥類、爬虫類はちゅうるいで……」


 職員が額の汗を拭いた。その目はアムロに釘付けだ。その背後で、警察官が銃を構えていた。


 一瞬、アムロの視線が警察官の銃に向いた。その銃口はアムロに向いているはずだが、表情一つ変えなかった。


「人間も哺乳類ですね?」


「ええ、まあ、しかし……」職員が慌てふためく。「……人間は法律を作る側でして……」


「カッパの世界にも法はあります。私たちは、法の上でも人類を同じ生物として人権を認めている。だから、私たちは無暗むやみに人間の生活には関わらないようにしているのです」


 健太は、思わずアムロの顔を見やった。隈川の岸辺から、暴力的に拉致したアムロがそれを言うのか! いや待て、もしかしたらそれは、カッパの法律では許される行為なのかもしれない……。


 職員はアムロが理性的だと知って落ち着いたのか、元の位置に戻った。


ごうに入れば郷に従えと言います。日本にいる以上、アムロさんも日本の法律に従っていただけませんか?」


「上手いことを言いますね。一本取られた」


 アムロが「カカカ……」と笑った。その声に力がないのは、まだ体調がすぐれないからだろう。


「福島さん、あなたもです。カッパの病気が伝染していないか、健康診断を受けてください」


「え、ええー!」


 思わず叫んでしまった。アムロから病気がうつるなんて想像も及ばなかった。


「友達を脅かさないでください。ボクは病気持ちではありませんよ。ただ体調がすぐれないのです。人間に例えたら、成長痛のようなものです。分かりますか? あなたにだってそんな時があるはずです。寒さによる片頭痛とか、古傷が痛むとか、生理でやる気が起きないとか。……違いますか?」


「それはありますが……」


 彼女の視線が泳いだ。


「人間が人間同士で守るルールを決めるのは勝手です。しかしそれを、私たちにまで押し付けないでほしい。カッパ族は、人間と違って自由なのです。法律はありますが最小限。国境も税金もありません。カッパの世界では、だれでも自由に世界中を旅し、好きなところに住む権利が保障されているのですよ」


「ここは日本国ですから、日本国のルールに従ってもらわないと」


 職員は同じことを繰り返し、背後の警察官をチラッと流し見た。彼らが、抵抗するアムロを制圧することを望んでいるようだ。


「ボクの先祖が隈川に小国を築いたのは、今から5400年程前です。その頃は日本国などなく、皆さんの先祖はどんぐりを拾って暮らしていた。それは中国風に言わせてもらえば、この辺りはカッパ族の国土で、日本人こそカッパ族の法律に従ってもらう必要がある、とさえ言えるはずです……」


 アムロは声のトーンを抑えて穏やかに話していた。


「……が、そこまで主張するつもりはありません。昔のように、人間とカッパ族とがお互いを尊重し、緩やかな関係で繋がれれば良いと考えています。そのためにボクはここに来ました。……ボクは福島健太の意志に反することをするつもりはありません。それが共存するための最低のルールだからです。だからと言って彼がボクの飼育届を出すなど、筋の通らないことです。カッパ族の尊厳にかけてお断りします」


 アムロの明快な主張に職員も警察官も目を白黒させている。彼らに目をやったアムロは、優しい笑みを作る。


「ツバメが軒先に巣を作って休んでいる。そんな風に見てはもらえませんか」


 そう頼んで、アムロはベッドに戻った。


「すみませんね。そういうことです。これから仕事なので、帰ってもらえますか」


 健太は、彼らのプライドを傷つけないように、下手したてに出た。それがわざわざやってきて成果を出せなかった公務員へのねぎらいだ。


「今日のところは……」


 彼らは、そう面子を守って去った。


「朝からなんだろうな。しかし、銃を抜くなんて、危なかった」


 健太は食べかけのトーストを頬張り、牛乳で流し込んだ。


「彼らだって、裁判所の令状がなければ、健太やボクを拘束できないのさ。人間ときたら、まったくアプローチを間違っている」


「アムロはどうなんだい? 外交交渉をしたかったら、総理大臣あてに手紙を送る手もあると思うよ」


「人間は、まだ手紙なんてものを有難く思っているのかい」


 アムロがホッと吐息をついた。


「まあね」


 健太は戸締りをして仕事に出た。

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