第28話

 健太は珍の胴体と左腕をきつく抱えて地べたに倒れていた。


「手ヲ放セ」


 珍の声が頭の上から降ってくる。


「アムロ、大丈夫か!」


 健太は放すどころかむしろ腕に力をこめ、珍を逃がさないようにしながら声をかけた。アムロがどんな状態なのか、珍を抱えて倒れ込んだ健太の眼には見えない。


 珍が振り回した金属バットはアムロの頭の皿を打ち付けていた。伝説通りなら、カッパの皿は急所だ。そこの水が乾けば力を失うし、割れれば死んでしまう。今では皿がセラミックや金属になり、乾いても影響はないとアムロは話していたが、急所であることには変わりないだろう。


「アムロ、返事をしてくれ!」


 返事はなかった。


「ン?」


 視界の端に緑色の河童を認めた。アムロではない。アムロは足元、視界の外だ。


「ン? ンン? ンンン?」


 目を瞬かせる。よく見るとアパートの大家だった。駐車場での騒ぎを耳にしてやって来たのだ。小柄な身体に緑色のジャージ姿の彼は、頭頂部が禿げていた。


「大家さん。カッパの皿に水を!」


 健太はありったけの声で叫んだ。


「エッ、アッ……」


 彼は倒れているアムロに気づくと、ピョン、と小さく弾んだ。


「カッパに水を……」


 健太が必死で頼むと大家は「ああ……」と呻くように応じて脱兎のごとく駆けだした。


 ――トトトトト――


 リズミカルな走りは、とても七十歳を超えた老人のものとは思えない。


 大家さんが水を皿にかけたらアムロは復活する。……そんなことを考えてホッとしたのかもしれない。珍を抑え込んでいた腕の力が緩んだ。


「放セ!」


 珍が強引に左腕を引き抜くと肘で健太の頭を打った。


 ――ガッ、ガッ――


「ってて……」


 健太は必死に耐えた。


「放セ!」


 ――ガッ、ガッ、トトトトト、ガッ、ガッ――


 頭骸骨が鳴る音と大家の足音が重なった。


 軒先にあったバケツを抱えて来た大家が、中の水をボウフラごとアムロの頭にかけた。


 ――ガッ、ガッ――


「ってて……」


 水が効いたのか、ボウフラに驚いたのか、アムロが息を吹き返す。そして、ゆらりと立ちあがった。


「健太、もう手を放していいよ」


 アムロが言った。


「チッ」


 珍は舌打ちし、肘打ちを止めた。


 健太は珍を解放して立ち上がった。見ると、アムロの眼の色が赤い色をしていた。さすがのアムロも、冷静さを失っているらしい。


「アムロ、殺すなよ!」


 厄介事がこれ以上増えるのを恐れた。


「死ヌノハオ前ダ。剥製ニシテ天安門ニカザッテヤル」


 珍が金属バットを振り上げてアムロに向かう。


「ボクがカッパ巻きにして百円皿に乗せてやる」


 アムロが応じた。


 カッパ巻きは、カッパが作るからカッパ巻きなのか、カッパが好きだからカッパ巻きなのか、カッパが巻かれているからカッパ巻きなのか?……健太は肘打ちで痛む頭を押さえた。


 珍の振り上げた金属バットが宙を切る。


 アムロはふわりと飛び、珍が振り回した金属バットの上にチョウのようにとまった。


「手加減はもうやめだ。ボクをめるなよ」


「コッチノ台詞ダヨ」


 珍がアムロを振り落とそうとバットを引く。


 アムロはそこから更に飛び、右足一本で珍の脳天に立った。


野郎ヤロウ……」


 彼は金属バットを投げ捨てて、頭の上のアムロの足首を両手で握った。


 アムロは右膝を折って姿勢を下げると、左足でもって珍の顎を蹴り上げる。


「グヘッ……」


 珍は白目をむき、口から泡を吹きながらずるずるとアスファルトの上に崩れ落ちた。


 健太は黒い目に戻ったアムロのもとに走り寄った。


「だいじょうぶか? 皿は割れていないか?」


「ボクの皿は、チタン合金ですよ。簡単に割れたりはしません」


 アムロが笑って応じた。


 二人はバケツを抱えた大家に向かって礼を言った。


「ボクは、アムロ・カッパ・ドーモンといいます。あなたのお蔭で助かりました」


「それはご丁寧に。……私はこのアパートの大家の大宅おおやです。しかし、本当にカッパがいたなんて、驚きました」


 大家は改めてアムロの周りをぐるりと一周して見た。


「一つだけ、年寄りからのアドバイスをしても良いですか?」


「是非に」


 その時、背後で人の気配が動いた。


 岡持を手に、珍が逃げ出すところだった。


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