第23話

 土曜日の朝、健太はそわそわしながら時を過ごしていた。5分ごとにキッチンの小さな窓から北側の駐車場を覗いていた。こんなことはNHKの受信料未払いの件で担当者がやって来ると連絡があった時以来だ。


「少し落ち着いたらどうだい」


 アムロにたしなめられるが、心構えだけで態度を変えられるほど健太の神経は図太くなかった。


「テレビゲームでもしよう」


 アムロがゲーム機の電源を入れた。


 テレビ画面を走るレースカートを見て思った。多くの人が受信料の支払いを拒否する中、健太は最後まで貫徹する根性がなく、受信料を支払うことにした。健太にとってのそれは法律の問題ではなく、根性の問題だった。


 受信料を払ったものの、それから一度もN〇Kを視たことがない。民放も同じだ。健太にとってテレビはゲームのモニターに過ぎない。


 スピーカーから流れるカートの爆音と、低音の静かなエンジン音が頭の中でシンクロした。


「来たようだ」


 アムロが言った。


 キッチンの窓から外を覗くと1台の黒塗りの車が見えた。一般的には、関わってはいけない特殊な人々が乗る高級車だ。


 良く見ると青地に白文字のが付いており、目的の客が来たのだと分かった。


「コンニチハ」


 玄関ドアを開けて入ってきたのは、片言の日本語を話す外交官だった。


「特殊ナ案件ノタメ、通訳ハ、イマセン」


 外交官はそういうと健太に向かって名刺を差し出し、握手を求めた。


「ジョージ・ワシントンデス、ジョージと呼んでください。ヨロシク」


 握手をしながら慣れた口調で、どこかで聞いたことのある名前を告げた。その態度に自信がうかがえる。


「よろしくお願いします。ジョージ・ワシントン」


「NO、NO、ジョージ・ワシントンデス」


「……?」


 名刺を見ると【George Washingtondeath】とあった。デスdeath=死までが名前だった。


 彼は、健太の背後に立つアムロを見つけると、しげしげと眺めてから名刺を手にした。その態度は健太に向き合った時と異なった。差し出す名刺がふるえている。


 名刺を受け取ったアムロが、緑色の小さな手で外交官の手を握る。


「よろしくお願いするよ、ジョージ」


「ヨ、ヨロシク……」


「アムロ・カッパ・ドーモンです。アムロと呼んでください」


Demon……」


 アムロの腕力に、外交官が顔をしかめた。


 アムロの勝ちだ。……健太は判断した。力の勝負はもちろん、人間相互の人格的な、いや、人間とカッパ間の生物としての覇気の勝負だった。


 ジョージは部屋に上がると、狭い空間をぐるりと見回した。アムロとの覇気争いに敗れた腹いせをしようというのか、とげのある言葉を発した。


「ココガアナタ達ノ隠レ家デスカ?」


 明らかに侮蔑ぶべつの臭いがした。


「隠れ家ではなく、私の住まいそのものです」


 健太は、自分の住まいだということを強く主張した。ウサギ小屋、アムロに言わせればネズミの巣だけれど、そこの住人にもそれなりのプライドがある。


「ジャパンハ、コンナ田舎、土地ガ高イノダネ」


 外交官はというところに力を込めた。その露骨な嫌味と同情の表現は恐らく彼自身のためのものだ。


 三人は小さなコタツを囲んだ。アムロとジョージが向き合う形だ。


 ジョージがカバンから小さな機械を取り出してスイッチを入れた。


「何ですか?」


 健太は尋ねた。


「トウチョウ、チェックシマス」


 盗聴しているのは、そっちではないのか?……不愉快だった。そして、ふと思った。……アムロが盗聴防止装置を設置した昨夜から、彼らは盗聴できなくなっていて、その原因を探ろうとしているのではないか?


 ジョージが手にした機械には小さなメータやランプがあったが、それらは何の反応も示さなかった。


「OH、バッテリー切レデス」


 彼は大袈裟に肩をすくめて見せる。


 とんだ一人コントだ。……健太とアムロは思わず顔を見合わせた。笑うことも嘆くことも、ましてや怒る気にもなれない。


 彼は信頼すべき取引相手だろうか?……状況はただ不安を生んだ。


 ジョージは機械をカバンに戻すと、何やら英語で語りだす。


「Let‘s Speak English……」


 健太は助けを求めてアムロに目をやった。


「機械の反応はないけれど、盗聴されているかもしれないので、英語で話そうと言っている」


 アムロが説明してくれた。


「そうか。僕のことは気にしなくていいよ。元々、アムロの外交だから」


「そうだね」


 アムロがジョージと英語で話始める。やや小声だ。


 健太はコーヒーを淹れるために席を立った。


「英語なら、盗聴されてもいいのか」


 薬缶を手につぶやく。


「ニッポンジン、イングリッシュ、デキナイ。ダカラOKデス」


 小さなつぶやきが聞こえたようだ。ジョージが真顔で言った。


 彼が日本人を心底ばかにしているのか、それとも本物の間抜けなのか、判断するのは難しかった。しかし、この時、健太は西欧文化に憧れ、西欧人を尊敬してきたことを後悔した。


 一つはっきりしたことがある。ジョージの耳は良い。それは侮れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る