第17話

 ――ピト――


 健太の額に冷たい水滴が当たる。


「ン?」


 見上げると、見下ろすアムロと視線がぶつかった。


 額を濡らした水滴はアムロの濡れた髪から落ちてくるものだった。


「おかえり、何を怒っているんだ?」


 アムロが首を傾げた。


 いた!……怒りは一瞬で、喜びで上書きされた。それを知られるのが恥ずかしく、表情を固めた。


「あ、いや、怒っちゃいないよ。どこにいたの?」


 見上げたまま訊いた。


「風呂だよ。シャワーを浴びたんだ」


「もう? 今日、2度目じゃないか。皿が乾いた?」


 身体を起こす。


「違うよ。掃除をして汚れたからだ。ボクは奇麗好きなのだよ」


 アムロはパソコンの箱を目にとめ、濡れた髪のまま腰を下ろした。


「昼食の準備を頼む」


 箱を開けながら言うと、パソコンとスマホの設定を始めた。


 その手際は見事だった。サクサクと設定を終えると動画の撮影準備を始めた。

スマホのメモ帳に簡単なプロットと要点をまとめる。カッパ族を絶滅危惧種に見立てたストーリー仕立てになっていた。


「やるもんだね」


 カップ焼きそばにお湯を注いだ健太はメモをのぞき見、正直、感心した。


「動画をあげるからには、恥ずかしくないものにしないとな」


 二人はズルズルと焼きそばをのみこみ、牛乳を飲んだ。


 食事を終えたアムロはバスルームにこもる。シャワーを浴びる動画を撮ると言う。どこまでも風呂好きなのだ。


 アムロがバスルームに消えてから、健太は近所のスーパーに食料品を買いに走った。アムロのことを考えて倍の量を買う。念のためにキュウリも買うことにした。


 会計をしている時だった。スマホが鳴った。アムロが掛けてきたのかと思ったが、違った。除染工事の現場監督だ。


「ヤバッ!……もしもし……」


 その日は除染作業の予定が入っていた。アムロのことがあって、すっかり忘れていたのだ。


『バカヤロー!』


 電話に出ると、いきなり怒鳴られた。その時は、仕事を止めてやる、と思ったものの「コホコホ」と噓の咳をして風邪を引いたと誤魔化した。コマツからの資金援助はいつ絶えるか分からないのだ。収入源は確保しておきたい。


「すみません。……コホコホ……今日の分は明日、出ます。ゲホゲホ……」


『当然だ。しかし、体調が悪かったら休んで良いのだぞ。ただし、朝の内に連絡をよこせよ。こっちにも段取りっていうものがある』


 作業員に辞められても困るのだろう。ひとしきり怒鳴った後は優しさを見せて電話を切った。


 アパートに戻っても、アムロはまだバスルームにいた。ごそごそと動いているのが分かるので、ネットで〝カッパ〟を検索する。


 昨日撮られた写真がヒットした。横顔と後ろ姿、似たようなものが4件あった。


【カッパを見た】【思ったより小さかった】【最初はカッパも歩いていました。私たちが見ていると一緒にいた変な男の人が背負っていきましたよ】【カッパは実在する!】


 それは、まだバズっていなかった。健太はアニメの切り取り動画を視ながらアムロを待った。


 アムロがバスルームから出てきたのは20分ほどしてからだった。それから撮影した動画をパソコンで編集し、音声やテキストを加えていた。


 アムロは、人間の作ったシステムを完璧なまでに理解していて、光沢のある緑色で水かきの付いたしなやかな指で、小さなキーをカタカタとたたいた。不思議なことに、滅多にマウスに触れることは無い。


 ――カタカタ、カタカタ――


 キーボードが発する打音は、音楽的でさえあった。アムロの指のよどみない動きとリズムは感動的でさえある。感動はヒタヒタと、優れた医者の触診のように健太の背骨に触れて、前頭葉に向かって昇っていく。


「ヨシ! 出来た」


 突然、アムロが声をあげた。


「ちょっと見せてくれ」


 感動の正体を知りたくて、アムロを押しのけるような勢いでモニターを覗いた。


「いいけど……」


 動画が再生される。


 シャワーを滝に見立て、アムロはそれに打たれながら、切々と嘆いて見せた。


『ボクはKチューバーのアムロ、絶滅危惧種のカッパだよ……』


 カッパが絶滅危惧種などという話はどこにもないけれど、説教のような演説を聞かされるよりは浸透しやすいだろう。視聴者は優越感に浸ってアムロの主張を聞くに違いない。


 アムロがどこで映像の加工技術を習得したのか知らないけれど、滝に打たれた後に海底を泳いだり、砂浜を歩いたり、時には一人二役を演じて格闘する演出をこなしたりしていた。そこでは、アムロの変身能力が十分活用されている。


 場面場面でアムロは、カッパ族が数万年もの昔から、水中で密かに命をつないできたことを説明し、地球の危機を、それはとりもなおさず、人類とカッパ族の危機だと訴えた。


 動画は15分ほどのショートストーリーで、アムロが浴槽よくそうに逃げ込み、氷のように融けて終わっていた。


「なかなかのものだね」


 正直そう思った。


「処女作としては、まあまあのできかな」


 アムロもまんざらではなさそうだった。ポン、とキーを押すとファイルがインターネットにアップされていく。


「二日おきに数作アップして様子を見ようと思う」


「様子を見るって、何の?」


「決まっているだろう。メディアと政府さ。何らかのリアクションがあるはずだ」


 アムロはそう言うと、腹が減ったと言って吐息をついた。


 時刻は午後4時になろうとしていた。夕食にはまだ早い。


「これ、食べてみるかい?」


 買ってきたキュウリを差し出すとアムロは喜んで受け取った。それにマヨネーズをたっぷりつけてペロリと食べた。

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