第16話

 ――ジュー!――


 油のはねる音がした。健太は驚いて音の方に目をやる。アムロがキッチンで卵を焼いていた。


「おはよう、アムロ。大丈夫かい?」


「おはよう、健太。ボクだって目玉焼きぐらい作れるさ」


「料理の方じゃなくて、ボール……」


 アムロの足元を指さした。


 背の低いアムロは、サッカーボールに乗って料理をしていた。まるでサーカスのピエロのように、器用にボールをあやつって左右に移動しながら卵を焼き、薬缶やかんに水を汲んで湯を沸かしている。


「平気さ」


 コロコロとボールに乗って移動すると食器棚から皿をとって戻る。


「運動神経が良いんだね」


「まあね。……起きるのが遅いから、先にシャワーを使わせてもらったよ。目玉焼きで良かっただろう? 嫌だといっても手遅れだけどね。卵は全部使ってしまった」


 アムロは鼻歌を歌いながら目玉焼きとトーストを座卓代わりのコタツに運んだ。


「狭いから作業は楽だな」


「ウサギ小屋と言っていたじゃないか」


「健太の場合は、ネズミの巣だ。さあ、食べよう。今日は忙しくなるよ。その前に君は、顔を洗ってシャキッとしろ」


「まるでだなぁ」


 田舎の両親を思い出した。


 アムロに追い立てられ、ベッドから転げでる。洗面所はないのでキッチンで歯を磨き、顔を洗う。既に時刻は午前9時を過ぎていた。


 食事を済ませてから健太は、自転車で街へ足を向けた。金のキューブを現金に換えてからスマホとパソコンを買う予定だ。アムロは人間に化けてついてくるのかと思えば、部屋に残って掃除をするという。「気づかないのかい? この部屋にはほこりやバイ菌が満載だ。このままではボクの身体にカビが生えてしまうよ」その言葉には抵抗できなかった。


 地方都市に金の売買ができる場所は少ない。健太はネットで捜した駅前の中古品の買取ショップに足を運んだ。ショーウインドウには金製の香炉や宝石の類が並んでいる。


 小さな菓子箱を手に、店の出入口で足を止めた。コマツは純金だと言ったが、箱の中の金塊が本当に純金かどうかは分からないのだ。もし偽物なら、店員にどんな扱いを受けるだろう。そこに至って、ひとつ不安が増えた。アムロがついてこなかったのは、金塊が偽物だと知っているからではないのか? 帰ったら「ドッキリでした」とか言って笑うつもりかもしれない。


 突然、目の前のドアが開いた。


「お客様、いらっしゃいませ」


 作り笑いを浮かべたスーツ姿の店員が手もみした。


「あ……」健太は驚きのあまりに金縛り状態。


「お客様、ご来店は初めてですね。さあさあ、奥へ……」


 半ば強引に店内に引き入れられた。


 ヤバイ店だったのかも。……一瞬、後悔したが、むしろそれで良かった。店員に言われるままに金塊を差し出した。


 店員は小さな金塊を何も疑うことなく受け取った。


「ほう、珍しい」


 半ば笑顔でつぶやくと、金の純度を図る機械に乗せた。


 店員の顔を一瞬、驚きが過った。


「99.9%、純金でございます。買取ですと……」


 彼が電卓を弾く。


「……本日の金のレートですと、2,409千円になりますが、よろしいですか?」


「ハイ、もちろん。よろしくです!」


 毎月のアルバイト料の16か月分だ。声がひっくり返っていた。


 店員は健太のマイナンバーカードを確認してから現金を用意した。その間、世の中の不条理について考えた。鉱物の一種に過ぎないというのに、小さな金塊が汗水たらして働く労働の16か月分に匹敵するというのだから……。


 金を売った健太は、急いで店を出た。悪いことをしたわけではないのに、呼び止められそうで不安だった。


 家電量販店に移動すると、リンゴのマークがついた最高グレードのスマホと最高スペックのパソコンを購入した。アムロがどんなことをするのか具体的には何もわからない。だからこそ最高スペックのマシンを与えて不満を言わせないつもりだ。


 必要なものがそろうと、ペダルを精一杯踏んでアパートへ急いだ。


 きっと喜ぶぞ!……パソコンを前にしたアムロの顔を思うと胸が躍った。


 ところが、自分の部屋に帰るとアムロの姿がなかった。


「エッ、逃げた?」


 部屋に上がってみるとベッドのシーツは整えられ、部屋の隅にあった埃の塊はなくなっているので掃除は済ませたらしい。まさか恋人同士というわけでもないのだから、隠れて脅かそうというのでもないだろう。


 押し入れなど覗くこともなく、パソコンの包みを前に、その場に座り込んだ。


「何だよ。こんなに買わせて!」


 怒りに任せてゴロンと横になると、ピトっと、額に冷たいものが当たった。

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