第Ⅱ章 Kチューバー
第13話
健太はアムロを伴い、正確には、アムロに背負われて地上へ向かっていた。人類とカッパ族の外交交渉を取り持つために。
場所は隈川の流れの中、深い淵の底から川上に向かって移動していた。
「戻ったら、時代が変わっているということはないのかな?」
「だから、カッパの国は竜宮城ではないって」
「確かに乙姫様もいないし、極楽のような接待もなかった」
「でも、玉手箱より良い土産をもらっただろう?」
アムロが言うのは純金のキューブのことだ。たった3センチ角の小さなものだったけれど、それはGパンの尻ポケットの中で確かな存在感を放っていた。
「うぅ……」言葉が見つからずうなった。素直に喜びを覚えてしまうのが情けない。だからといって〝こんなもの〟と突っ張るのも違う気がする。全部、貧乏が悪いんだ!……心の中で絶叫してみる。まったく胸の内のもやもやは晴れない。
「感動して声が出ないのかい?」
アムロがアハハと笑った。
「川を上がったら、人間に化けてくれよ。アパートまで歩かなきゃならないからね」
「分かってる。でも、地上を歩くのは不得意なんだ。アスファルトやコンクリートの感触が好きじゃない」
「カッパにも不得意なものがあるんだね」
少しほっとする。
「だから、福島が背負ってくれてもいいと思うよ。川ではボクが背負っているのだからね」
どうして呼び捨て?
「……力が違うよ」
申し出を受け入れられるはずがなかった。
「ボクは軽いよ」
「何キロ?」
「人間は初対面の相手に体重を訊くのかい?」
「タクゥ……」
益体もない話をしているうちに頭上が明るくなり、やがて波で屈折する光が眩しくなった。
水面から最初に出たのは健太の頭だった。それからアムロの皿が川面に浮いた。刹那、健太の全身が濡れた。衣類がびしょびしょだ。
「お。濡れたよ。潜った時は濡れなかったのに」
何故か嬉しい。自分が理解しているゲームのステージに戻って来たような安堵だ。
「ここからは福島の世界だ」
アムロが言った。
まるで隈川で
――ワン――
川から上がる人間とカッパ、……その柴犬でなくとも怪しんだに違いない。案の定、柴犬を散歩させていた高齢者は腰を抜かし、リードを手から放していた。
――ワンワンワン――
柴犬が健太とアムロに吠え掛かる。
「シッ、シッ……」
健太は慌てて柴犬を追い払おうとしたが無駄だった。一方、アムロは冷静だった。
「見られた以上、化けるのは中止だな」
そう言うと、柴犬に向かって「ワン」と吠えて見せた。
「どうして?」
「変身能力がばれたら、人間が恐れるだろう? 忘れたのかい、父さんが言ったこと?」
「……い、いや、忘れていないよ」
「なんだ、パニクっているんだな」
そう言うと、トコトコと健太のアパートに向かって歩き出す。ペンギンよりは早いが、健太の足には及ばないスピードだ。
濡れたスニーカーがぐじゅぐじゅ鳴る。ヌメッとした感触が気持ち悪い。
――ワンワンワン――
柴犬に追われ、濡れネズミのような情けない姿になって土手を上る。これが人類とカッパの間に外交の道筋をつけようという男の姿だろうか? 情けない。
とはいえ、幕末、維新の志士、
土手を上り切った頃には、柴犬は追跡を止めて飼い主の元に戻っていった。
土手の向こう側に下りて住宅街に入ると、ひとりふたりと通行人とすれ違う。彼らはずぶ濡れの健太を見ることはなかった。なぜなら、彼の後ろをトコトコと歩く着ぐるみのようなカッパの姿があるからだ。
彼らは目を丸くし、次に
「仕方がない。背負うよ」
健太はアムロの前で腰をかがめた。小学生ほどの体格だ。背負ってもどうということないだろうと、高を
「ボクは歩けるよ」
「歩くと目立つ。背負えば置物とでも思ってもらえる」
「カッパの存在を世界に知らしめるのに、目立って何が悪い?」
「それはそうだけど、野次馬にアパートまでついてこられたら困るよ」
「プライバシーというやつか。仕方がないな」
アムロは意外と素直に妥協し、健太の背中に乗った。
「ン……」
想像していたより、ずっと重い。背骨がギシギシ鳴った。
「……50キロはあるな」
「そうかい」
アムロはとぼけたように応じた。
「身長から考えたら太りすぎだ」
「太っちゃいないよ」
「甲羅が重いのかな」
「そうかもな」
そんなやり取りをしながら歩いた。
カッパが目立つとはいっても、人の少ない地方都市でのこと。おまけに原発事故の影響で外出自粛が習慣になっている。子供などは、外遊びが未だに禁じられていた。アムロの姿を認めた人の数は少なく、付きまとってくる者はなかった。
早足で10分。アパートが見える。
学生時代なら途中で音をあげただろう。それが難なくやりとげられたのは、1年強にわたる除染作業の効果に違いなかった。
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