第Ⅰ章 カッパ、来襲

第2話

 就職先を失った福島健太は、除染作業のアルバイトをしながら生きている。住宅の屋根や外壁を水で洗い、敷地の表土を薄くはぎ取り、汚染されていない真砂土まさつちに入れ替える。暑い中でも通気性の悪い防護服を着てやる過酷な仕事だ。除染会社からは毎日でも来てほしいといわれているが、働くのは1日おきにしている。やわな精神と肉体の彼に連日の除染作業は無理だった。それに、正社員になるための就職活動もしなければならない。


 ハローワークでも新聞広告でも、労働者の募集は多かった。しかし、それは除染作業を請け負っている建設業界のものばかりだ。事務員の募集もわずかにあったが、簿記の資格や実務経験が要求された。


 結局、就職活動をしたのは半年ほどだった。原発事故で企業倒産が増える中、何のスキルも持たない彼は絶望し、それを放棄したのだ。


 原発事故の翌年、隈川くまかわの土手の桜は散り、河原の雑草が青々と空を目指していた。水面がキラキラと輝いている。その大きな川は市の中心地を流れていて、隣県の太平洋岸まで延びている。江戸時代にはその川を使って藩の米が運ばれていたというけれど、物流が鉄道やトラックに替わった今、その面影はない。健太のアパートからも近く、学生時代、幾度か散歩した場所だった。


 その日、健太は土手の除染作業をしていた。伸び放題だった草木を刈り取り、表土をスコップではぎとる。斜面なので機械は使えなかった。


「おい! 何やってる?」


 乗って来た会社の車を停めている土手の上から、怒気を含んだ声がした。


「ん?」


 健太は作業の手を止め、頭を上げた。


「かっぱらいだ!」


 聞き覚えのある声は、現場監督のものだ。


 えっ、何が盗られた?……スコップを手にしたまま土手を上る。その時、黒っぽい小さな影が、まだ草刈りを終えていない土手を駆けおり、河原の深い草むらに飛び込んでいくのが見えた。若干猫背の小さな影だ。その体格から子供だと思った。


 河原は除染が済んでいないから、市民が入るのは禁じられているのに。……考えたが、子供を追うことはしなかった。


 自分たちはでずっと働いている。子供がふざけて遊びまわったとしても、ガンになるなんてことはないだろう。……言い訳を考えながら現場監督の声がした場所に向かった。


 現場監督の元には、健太をはじめ5名の作業員が集まった。


「弁当を盗られた」


 ワゴン車の横で現場監督が顔を怒らせていた。そこに会社が用意した6人分の弁当を置いてあったのが、綺麗さっぱりなくなっていた。


「噂は本当だったのだな」


 高齢の作業員が言った。


「噂、どんな?」


 健太は訊いた。その噂というのを知らない。


「ここ数日、あちらこちらの班で、作業員の弁当が盗まれている。それが子供の幽霊の仕業だというのだ」


「アッ、さっきの!」


 黒い小さな影が脳裏を過った。


「あれを見たのか? 俺は見失ったのだが……」


「はい、ちらっとですが、あの草むらの中に……」


 健太は影が消えた草むらを指した。


「行くぞ。俺たちの弁当を取り戻す」


 現場監督の号令の元、作業員たちは影が消えた草むら目指して走った。


「この辺りに入っていきました。幽霊じゃない、子供ですよ!」


 健太は先頭になって草むらに入った。


「広がって探せ。隠れているはずだ。早くしないと弁当を食われてしまうぞ」


「それは困る。俺たちの弁当だ」


 現場監督と作業員たちは左右に広がり、草むら中を探し回った。


「ガキ、出てこい!」「弁当を返せ!」「かっぱらい、どこだ!」


 草をかき分けて遠くまで、30分も探したが子供の痕跡も盗まれた弁当もみつからない。


「福島、本当にここに逃げ込んだのか?」「見間違いとか言ったら、許さんぞ!」


 空きっ腹をかかえた作業員たちは気が立ち、言葉が荒れていた。


「間違いありません。この草むらです!」


 健太も苛立っていた。空腹の上に疲労がある。


「今日は弁当抜きだ!」


 現場監督はやけくそになっていた。


「飯抜き反対!」「労働環境を守れ!」「健康第一、我々は闘うぞ!」


 作業員たちは一致団結。労働争議さながらに現場監督の不当を訴えた。


「仕方がないな。俺の目の前で盗まれたんだ。俺がおごってやる。それにしてもすばしっこい奴だな」


 結局、全員でコンビニまで行って弁当を買った。


 その後も河原の除染作業では、方々の班で弁当が盗まれる事件が続いた。しかし、犯人が見つかることはなかった。


 河原の除染作業が済むと、作業員たちは事件があったことも忘れてしまった。健太もそうだ。彼の班の弁当は3度も盗まれたが、都度、現場監督が代わりを用意したので、実質被害がなかったのに等しい。記憶に残るような事件ではなかったのだ。

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