ミネルヴァ・ドール
琳谷 陸
第1話 ヒューマン・ミーツ・ドール
土曜日の昼下がり。春の大型連休初日。
やることもなく、けれど家に居ても退屈で若者の街と呼ばれる界隈をブラブラしていた俺は、
「…………」
ショーウィンドウの中で微笑む『彼女』に時を止めた。
勿論、実際には時ではなく俺の呼吸が止まっていたのだが、そんな事はどうでも良い。
ただただその『彼女』は、俺の心臓を止めかねないくらい、美しかった。
「たっ……けぇ〜……」
運命の出会いから一時間後。俺は公園のベンチでスマホを片手に肩を落としていた。
いや、高い。
見惚れた『彼女』は人間ではない。カスタムドールと呼ばれる人形だ。
ショーウィンドウに飾られた彼女は商品である。商品であるなら購入も可能。
衝動的に今まで一度も、何ならその店の存在自体それまで知らなかったそこへ、俺は足を踏み入れた。
しかしそこで現実が助走をつけて俺を殴りに来る。
商品とは、値段がついているものだ。
お値段、二十万円也。
今度は時が凍った。そしていつの間にか店を出て今に至る。
「カスタムドールって、普通に自作しても十万くらいするのな……」
彼女は高過ぎたが、どうやら有名な人形作家が素材から厳選して創った一点ものらしい。素人が自作しても十万掛かるのだから、むしろプロが作って二倍のお値段は安いのかも知れないと、自分を納得させる。
最速で失恋した。儚い恋だった。
「まあ……そもそも男が人形…………」
偏見である事は百も承知。だが、やはり高校男子が人形に入れあげたとなると、家族や友人の目が気になる。
「腹くくったとしても、やっぱ高けぇ……」
家族や友人はそのうち慣れてくれるだろうし開き直ってしまえばどうという事はないのだが、それを抜きにしてもやはり問題は金銭面である。
高校生が十万以上をおいそれと出せるか? と言えば少なくとも俺はNO。
「はあ……」
ベンチから立ち上がり、元気良く遊ぶ子供の姿と声に羨ましさを抱きつつ、家路につく。
繁華街が途切れそうな辺りに差し掛かった頃、行きつけのゲームショップが目についた。
多分、その時は無意識だったと思う。
俺は自動ドアに貼られた新作ゲームのポスターに釣られるように店内へ足を踏み入れ、そのまま何も考えずにポスターにある新作が置かれた壁面コーナーへ直行。
それを迷わず手にとって、財布をポケットから手許へ召喚していた。
――カシャーン
「お買い上げ、ありがとうございます」
◆◆◆◇◆◆◆
あーしは可愛いものが好き。
自分が可愛いのも、可愛い子をもっと可愛くするのも大好き。
毎朝起きて、顔を洗った時に肌の調子が良い日はそれだけでテンションアガルし、その日は丸っとちょーハッピー!
自分でもお手軽な性格だとは思うけど、そこもチェキカメラみたいで可愛いと思ってる。簡単お手軽カワイイとか最高じゃない?
「ふっふー。さーて、準備オッケー」
モッコモコのパステルカラーの部屋着に身を包み、ベッドの上に座って、値上がりする前に買ったVRのヘッドギアを装着する。
――ミネルヴァ・ドールへようこそ!
来訪者の皆様をご自身のドールと共に冒険の世界へご招待します
手ずから育てたドールと共に、ミネルヴァの世界をお楽しみ下さい!
視界は夜空のような紺碧で、光る文字と子どものような高い声音が歓迎を告げる。
それが終わればプレイヤーネームとデフォルトアバターが表示された、
「ほんほん。プレイヤー……あーしのアバターもいじれるんだ? へー! デフォでも結構可愛いー。善き善き」
サクッとミルクティーのセミロング、白肌にくりっとした茶色の目、リアルと同じくらいの身長と体型にして、服は淡いベージュ基調のクラシカルワンピースと合わせたストラップシューズにした。
ついでにこのゲーム、スタート地点が選択肢の中から選べるらしいから、地図見て街から近い森にした。
本番はここから。
「わお。いっぱーい」
目の前にずらりと並ぶドール素体のスロット。
「うふふー。まず、同じくらいの身長にして、双子コーデとかも楽しみたいし、体型も同じにして」
素体を選択して、髪型のスロットに切り替える。
「えー、迷うー。どうしよ。とりまカラーは黒! 黒髪で、目は青にしたいんだよねー」
瞳のスロットは左右で色を変える事も出来るし、色自体もバリエーションがあってテンションが上がるんだけど……。
ドールメイクに入ってから視界の隅っこにあるショップらしきアイコン。
「わ。かっわ」
開いてびっくり。
デフォにない色などがズラリ。そしてやっぱあるガチャ。
「どれどれ?」
瞳は左右セットでの販売で、でも買えばバラして使えるんだ?
で、ガチャだと眼球一つづつが出てくる、と。ほーん。お値段はセットが二千円、ガチャ一回が二百円……。
「ま。普通にセットの方が良いけど……オッドアイとか運任せでやりたいヒト用? あ。ガチャ限定のお目々ある。これかぁ……」
ガチャでしか出ない限定アイテムがあった。
でも今回はいいや。
「ガチャより……」
ショップに並んだこのお目々めっちゃすこ!
「うわー……キラキラしてる」
深いサファイアみたいな濃い青に、ラピスラズリみたいに金色の粒が浮いている。星空をそのまま固めたみたいな綺麗な瞳。
「買う! これが良い!」
――チャリーン
◇◇◇◆◇◇◇
「めちゃくちゃ楽しい……」
マジで時間溶ける。
目の前には一目惚れした彼女ではない、俺が現在メイキングしてる俺のドールがいる。
身長は俺より頭一つ低く、腰まである白い髪に白い肌、瞳は林檎みたいな赤にした。若干胸は大きめ。
「ん? 髪質……って何だ?」
サラサラ、ふわふわ、艶々、とかあるんだが。
ポチッとな。
「!」
目の前のドールの髪が一瞬光って浮いて、それがサラッと! え。え。
あ。ドライヤー(風当て)がある。
「お、おおぉ……」
サラサラだ。風になびいた髪が、サラサラと肩に落ちて戻ってく。
ゴクリと唾を呑んだ。つまり、
「なん、だと……」
ふわふわにしたら、さっきと同じエフェクトの後、髪がふわふわしながらゆっくりもとに戻っていった。なるほど? 性癖晒せと。
てかわざわざそれぞれ物理の当たり判定とかウェイトとか変えてんの? 頭おかしいありがとうございます最高です。
俺、いま最高に気持ち悪い存在になってる自覚あるわ。
てか、これソフト定価五千円よ? 大丈夫? いや、ガチャとかショップあるけど、それにしても安過ぎん? 現実じゃ一体作るのに最低十万がここならソフト代でいけるよ? ヤバくね?
「ショップに髪質はない、かぁ。まあ無料で選べるんだから充分……香水?」
このソフト、対応機種VRよ?
流石に香りとか出ないから何で……。
「は? え。待って何と?」
――白椿の香水
雪の白にも劣らぬ淑やかな白椿の香りを纏う香水
光・氷の属性値を付与する
ドールが喜んだ時、背後に白椿のアイキャッチが
表示される(オンオフ設定可能)
「…………」
実際、香るわけではないだろう。
うん。流石に。
が、しかし。
「……薔薇、バニラ、ラフレ……いや最後待て」
ラフレシアの香水とか誰が買う⁉ アレって確かすげー臭いんじゃなかったか?
――ラフレシアの香水
密林に佇む王者の花の香を纏える香水
闇・土の属性値を付与する
低レベルの魔物は逃げ出す
ドールが喜んだ時、背後にラフレシアの
アイキャッチが表示される
ラフレシアのアイキャッチは誰得だよ。
それより魔物が逃げ出す……虫よけスプレーって事? いやいや、そんな香り実際香らないとしてもドールから嫌われん? 大丈夫なん?
「うちの白雪ちゃん(仮)には絶対やらん。やらんぞ! 白椿の香水欲しいな……」
OK、良く考えろ? 俺。
香水はショップかガチャ販売のみ。ショップで狙い撃ちは一個三千円、ガチャは三百円。
良いか? 三千円だぞ?
現実では一体作るのに……――。
――チャリーン
◆◆◆◇◆◆◆
「はー! めちゃカワ! あーしのニニたそガチでヤバめにすこ!」
ツヤッ艶の黒髪に星空のお目々!
「っし、次はー……メイク! もうもうもう、めちゃ可愛いのにどんだけ上いくの?」
まずは唇のベース色。コスメとは別で設定出来るって初めてなんだけど!
「えー、迷うー。あ。この桜色かわゆ」
唇のベースはほんのり淡い桜色に決定。
でぇ、なーんか最初からショップとは反対の所に同じくひっそり表示されてるウィンドウがあるんだよねえ。
――各属性値
火:0 水:0 土:1
風:1 光:2 闇:5
EX属性ロック中
※EX属性は解放条件の達成で表示されます
――スキル一覧
暗視Lv.1
――スペシャリティスキル
無し
この属性値ってやつ、メイキングしてると何か増えてるなーって思ってたけど、ショップでお目々買ってセットしたらスキル生えたんだよね。
「……マジか。ほんとにドールメイクでステ変わるんだ?」
ミネルヴァ・ドールの謳い文句は『あなただけのドールをあなたの手で』
あーし、ゲームは好きだけどそこまでゲーマーってレベルじゃない。けど、ミネルヴァはこの謳い文句と機種がVRってニッチさに何か惹かれたんだよねぇ。
どこまで本当なのかなって。
どこまであーしだけのって思える要素あんのかな? って。
だから兄の買ったのに飽きて寄越してきたVR引っ張り出して掃除して、ちょっといつもよりベンキョしてテストも良い点取ってソフト買ってもらった。
「ヤッバ、ガチめにハマるかも」
このトキメキは何だろ? あれかな。生まれて初めてお人形を買ってもらった時の、あの感じ。
あの胸がキュッてなる感じプラス、恋するみたいに胸がドキドキしてる。
「リップは何にしよう? ニニたそ何でも似合うから迷うー」
おかしいな。コスメなんて毎日見てるのに、まるて見たこと無いみたいな気がしてる。全部、ぜーんぶ! ちょー新鮮!
「コスメショップやば」
ローズクォーツを砕いたティントリップ、紅珊瑚のルージュ、孔雀石のシャドウに真珠のパウダーファンデ。どれもこれも容れ物から可愛い!
「決めた。このローズクォーツのリップ!」
――チャリーン
◇◇◇◆◇◇◇
「うわーうわー、マジ可愛い」
こだわりにこだわり抜いた俺の白雪ちゃん(仮)の出来栄えに、もう自画自賛。いや、マジで可愛いのよ。
あどけなく無垢な雰囲気が漂う白い美少女。
「さて、後は……?」
メイキングもそろそろ終盤。次は何かなと視線をスロットタブに向けて、俺は固まった。
ら、ランジェリー……。いや、違う。違わないけど、あ、ほら、人形だし⁉
落ち着け、俺。誰も見てない。見てないんだ。
この空間には、俺と白雪ちゃん(仮)しかいない。
「……えっと、色は白で良いな。うん」
わかってるけど何かすげー罪悪感? いや、背徳感……って、何考えてるんだよ。あくまでドールの下着だぞ?
「ん。んっん、せ、せっかくだからショップの品揃えも」
ショップを開いて俺は後悔した。前にチラッと前を通った女性用の下着屋がそこにあった。
「〜~~~」
何も考えるな。感じろ。
これは……いや、うちの白雪ちゃん(仮)はこんなセクシーなスケスケキャミは着ません!
え? ガーターベルト……見てない俺は見てない。なんだよマシュマロブラって。
「……っ、あー!」
スライドしようとしたら、間違えてガチャに……。
――チャリーン
◆◆◆◇◆◆◆
「いよいよ最後……えーと、ドールの魂の器、
前に博物館で見た鉱物標本そのまま。
バチクソ大量に表示された鉱物を見る。
「名前や色、形での検索も出来るんだぁー。ショップはここだけ無いんだ? あ。ガチャはあるけど引き直し出来る一回無料ガチャ……」
今更だけどここまでずっと課金煽ってたよね? 何でここだけ意地でも課金させない仕様なん?
「……うーん。悩む」
色で合わせるなら、サファイア、ラピスラズリとか青系。
でも、なんかなぁ。
なんか、違うんだよねぇ。
「…………」
うちのニニたそに似合う、コレだ! ってやつを探したい。
あれも違う、これも違う、もっともっとズキュンとくるのを。
「……わ。綺麗」
赤い。ピンク? ううん。やっぱ赤い。でも紫も入ってる?
――レッドスピネル
形はよくクリスタルって言えば思い浮かぶあれ。
色は赤だけど、シェーディング? って言うんだっけライトのこと。それの関係でピンクや紫にも見える。
綺麗。ニニたそは黒髪に青目だけど、何か、コレから目が離せない。
これしかない。って、気持ちになる。
レッドスピネルを選択して、ニニたその前に持って行く。
――レッドスピネルをドールの核にしますか?
はい/いいえ
◇◇◇◆◇◇◇
「よーし。後は核だな」
鉱物標本を見ながら、悩む。
「うー……ん。量、多っ」
あ。絞り込みとかソート機能あんじゃん。
「まず色は白か透明」
絞り込みで一気に数を減らす。今回はソート機能はいいかな。
「ダイヤモンド。何かザ定番! って感じだよな」
大体はレアリティがあれば最上級だけど、この鉱物標本ではレアリティは無さそうだ。
本当に好きなの選べって感じか。
なら、うちの白雪ちゃん(仮)にはちょっと違うかな。
「オパール……真珠……真珠って鉱物?」
あれ貝から取れるんだろ? まあ、いいか。
絞っても結構な数あるなー。
「ルチルクォーツ」
透明な石の中、金や銀の針みたいなものが混ざってる。
「こんなのあるんだな」
その後もいくつか見たけど、このルチルクォーツが一番気になる。
「決めた」
ルチルクォーツを選択した俺は、白雪ちゃん(仮)の核にする為、その前に立つ。
システムが確認してくるのに『はい』を選択。
下着姿で瞳を閉じた状態の白雪ちゃん(仮)の胸元が内側からこちらへ、胸腔が開く。
「うわっ」
地味にびっくりするんだが。いくら空洞でもちょっとホラーだ。
そんでどうするのかと思っていたら、再びシステムメッセージが表示される。
――ドールに名前をつけて下さい
※最大12文字まで
「とうとう来たか……」
流石に白雪ちゃん(仮)とは名付けない。
「…………」
白椿の香水からカメリア、白雪ちゃんからスノー……どれも違う。
今の今まで、何なら現在も悩んでる。
「決めた」
そしてようやく、腹をくくる。
俺はその短い名前を入力した。
するとその文字が光の粒になって核へと刻印のように焼き付く。
ふと気がつけば、俺の身体(と言ってもアバターのだが)も淡く光っている。
イベントシーンなのか自動でその核を両手で包むようにして、白雪ちゃん(仮)の空の胸腔へと捧げた。
手を離す。
空の胸腔に浮かぶ核。それが徐々に纏う光を増してくるくると回転し始める。光が渦巻くように舞い、開かれていた胸腔が花開く蕾の逆再生の如く閉じていく。
――ようこそ、来訪者
この世界を楽しんで――
◆◆◆◇◆◆◆
眩く白くなった視界が晴れて、そこには
視線を下にやると、土と可愛いキノコが生えてるメルヘンチックな光景が。なんてゆーか、まばらだけどキノコに円陣組まれてるってゆーの?
「って、ニニたそどこ⁉」
さっきまで目の前にいたのに! と、思って慌てたあーしの視界、すぐ隣りにいた。
「はわ。やっぱヤバカワ」
黒い艶々ロング髪、白い肌に髪と同じ黒くて長い睫毛、ほんのり色づいた桜色の唇。
バッチリ課金して選んだ、紺で立襟の膝丈ノースリーブワンピ。このワンピ、デコルテには真珠ボタンと生地と同色のレース、ハイウエストでコルセット状の切り返し入って後ろはバッスルスタイルでボリューム出してんの! めちゃカワ。
足許も黒タイツにドレスとお揃の色したストラップシューズ。
はー。善き。うちのニニたそ最の高。
「…………」
は?
待って? いま……。
え。待って?
「おはようございます。 ――ありあ」
ゆっくり開いた瞼、夜空の瞳があーしを映して、可愛い唇が微笑むように名前を呼んだ。
「に、ニニ、たそ?」
「はい。私はあなたのニニです」
喋ってる。
視界には、宙に浮く感じで文字が表示されてる。
この声は、声優さんの声。
けど。
「ニニたそだぁ……」
あーしの目の前に居るのは、あーしのニニたそだ。
◇◇◇◆◇◇◇
目の前に広がるのは小高い丘から見下ろす風景で、青い空と広がる草原、なだらかな道の先には街が見える。白い鳥が羽ばたく音や、草の風に流れる音がする。
これはゲームだ。VRだ。匂いはしないし、実際に風も感じない。リアルの俺の部屋で肌で風を感じられるとしたら、エアコンとか扇風機だ。
それでも、まるでそこに居るみたいな気がした。
「ストーンヘンジだっけ? イギリスにあるっていう」
周囲を円形に囲む巨石。そしてふと何気なしに横を見て……息を呑んだ。
真っ白な雪の妖精みたいな、女の子。
瞳は閉じて、白いキャミワンピとリボンで留めるタイプの白いサンダルを履いて、俺の横に立っていた。
ゆっくりと瞼が開き、揺らめくような赤い瞳に俺を映す。
「おはよう、ユキト」
そう言って、はにかむように微笑んだ。
「モネ」
白雪ちゃん(仮)改め、モネは嬉しそうな笑顔を俺に向けていた。
ミネルヴァ・ドール 琳谷 陸 @tamaki_riku
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