第27話 鉱物/霞目さんは弱みを探す

 チャンスがあるとしたら今日が最後だ。わたしは小さく息を吸う。

 部活の終わった夕暮れ時、本来なら学校を出ている時間帯だけど、わたしは人を待っている。いつもと同じように時間を使っているのなら、きっと彼は最後に出てくる。しばらく観察していたから、行動パターンは織り込み済みだ。

 案の定、彼は後輩を伴って道場に繋がる出入り口から外に出てきた。うちの高校の中でも特に大きく、恵まれた体型をしているし、何より全身に纏わせているオーラが学生のものとは思えないから、すぐにわかる。


「真金埼君っ!」


 淀みない足取りで前進する彼にぶつからないギリギリを見極めて、わたしは彼の前に飛び出す。後輩の男の子がびっくりしたように目を瞠ったのが見えた。

 そう、真金埼律貫──わたしは彼を待っていた。

 驚いた顔のひとつでも見せて欲しかったけど、真金埼のポーカーフェイスは変わらない。ここまで表情筋が動かないと、生き物というよりゴツゴツした鉱物を想像してしまう。それでも、この男は剣道の腕一本でこの学校、いや、世間での立場を確立させている。剣道のことはよく知らないけど、全国にも名を轟かせてるっていうから、相当強い選手ってことに間違いはないだろう。

 だから、人間性とかを考慮せずとも、真金埼はわたしに相応しい男と言える。こいつといい感じって噂が立てば、少なくとも笑い者にしてくるような奴はいない。……いるとしたら、真金埼とつるんでいる湯元や愛智くらいのものだろう。


「……君は……、……?」

「真金埼先輩、こちらはチアリーディング部の霞目かすみのめさんですよ」

「ああ、なるほど。して、何用だろうか」


 そしてあろうことか、真金埼はわたしの顔を見て首をかしげた。すかさず後輩が解説を入れる。

 わたしのことを知らない、あるいは忘れているなんて──正直、あり得ない。これでもチア部ではセンター張ってるし、去年の学祭では一年生ながらミスコンを飾ったのに!

 そう、わたしはこの学校にヒエラルキーがあるなら、間違いなく上位にいるべき人間だ。それなのに……どうしてどいつもこいつも、身の程をわきまえないの。


「そう、霞目花恋かれん。真金埼君と、話したいことがあって……。込み入ったお話だから、後輩君には先に帰ってもらえないかな?」


 こんなところで調子を狂わされていてはいけない。わたしは笑顔を張り付けて、やたら気が利くらしい後輩にさっさと失せろの意味を込めて視線を送る。わたしは早く真金埼と二人になりたいんだよ。


「心当たりはないが……芦口、お前を待たせる訳にはいかない。今日は先に帰れ」


 後輩は心配そうな顔をして真金埼を見上げたけど、部長の指示には逆らえないみたい。はい、とお行儀よく会釈してから、小走りで校門の方へ駆けていった。聞き分けは良くて何より。

 まあ、用があるのは真金埼だけ。わたしの顔を覚えていないことは大問題だけど、望んだ通りにしてくれたから、これまでの言動は水に流してあげる。

 邪魔者もいなくなったことだし、真金埼の近くへと歩み寄る。間近で見ると本当に大きいというか、屈強という言葉がよく似合う男だ。男子からは良い意味で頻繁に絡まれているけど、滅多なことでは女子に近寄られないというのもうなずける。

 先に言っておくけど、わたしは真金埼のことなんてどうでもいい。この男はただの踏み台、過程のひとつに過ぎない。あの女の自尊心を傷付けられるなら、正直なんだっていいの。


「ねえ、真金埼君。真金埼君って、月浦鼎と付き合ってるの?」


 そう──月浦鼎。世界で一番嫌いな女!

 あの女と話したことはない。でも、これまでずっと周囲の人間に好かれるか妬まれるかだったわたしに屈辱を与えたというただそれだけで、あいつはわたしの敵だ。

 中学時代、サッカー部でマネージャーを務めていたわたしは部員の誰からも──いや、他校の子たちにだって憧れの目を向けられる存在だった。このままずうっとちやほやされながら生きていくものだとばかり思っていたのに──月浦鼎! あの女がわたしの生活圏に入り込んでから、全てが狂い出した!

 どいつもこいつも、県大会の帰りにたまたますれ違った月浦鼎を褒めそやした。だいぶ遠いのに、月浦鼎の通う中学の文化祭に行った奴もいた。サッカー部だけじゃない、噂は広がり、月浦鼎という女バレの選手は大層美人なのだと、校内の男子たちは鼻の下を伸ばしていた。

 所詮は中学生、高校に入れば分別のある奴も増える……そう自分に言い聞かせてはいたけれど、どうしても月浦鼎の陰はわたしの中にこびりついて離れない。強豪校に推薦で入学したという月浦鼎は、その立場にあぐらをかいて堕落するどころか、同じ市内、しかもそう遠くない地域にいるにも関わらず、浮かれた話題がほとんど入ってこない。部活でこんな成績を修めたとか、どこそこを走っていたとか、迷子の子供の手を引いてたとか、お年寄りの荷物を代わりに抱えてたとか、そういう話ばっかり。はっきり言って、つまらなかった。

 そんな中で、わたしを奮い立たせたのが先述の噂。月浦鼎が、真金埼と二人並んで走っているところを見た人がいるらしい。

 その前にも、真金埼は月浦鼎の通う高校に足を運んでいた。あいつは寮暮らしらしいけど、顔を見に行ったのかもしれない。交際しているとはまだ決まってないけど……女っ気のない真金埼が目をかけるなんて、ただ事じゃない。少なくとも、月浦鼎の弱みにはなるだろう。そこを突いて、あの女の精神を揺さぶってやる。


「……何故そのようなことを聞く?」


 不思議そうな顔をする真金埼。無表情だから真意は定かじゃないけど、この程度は予想通りだ。わたしだって、すぐに何もかも打ち明けてもらえるとは思っていない。


「ちょっと気になっちゃって。真金埼君、最近よく月浦さんといっしょにいるって聞いたから……色々大変じゃないかって、少し心配になったの」


 上目遣いに見上げると、真金埼の目の中に自分の姿が映り込む。よし、角度も表情もばっちり。やっぱりわたしは最高にかわいい。

 たしかに顔は整ってるかもしれないけど、月浦鼎はそれだけだ。遠目から見る分にはいいかもしれないけど、近付いてみたら平均的な身長の男子は普通に見下ろされる。体型だって、筋肉質で女の子というよりはアスリートだ。

 立ち振る舞いだってそう。テレビや日常の中にいる月浦鼎は、男子みたいに笑っていることが多い。大口開けて、憚りもせず、歯を見せて笑う。下品だ。ブレザーを着ているところは見たことないし、何ならリボンだって外してる。ベストもセーターもなし、ブラウス一枚だけ。しかも腕まくりしてるところばかり見かける。今の時期は半袖になるけど、それでも腕まくりして、ノースリーブみたいになってる。みっともない。

 真金埼とあの女に繋がりがあるなんて、正直意外だった。だって、真金埼ってああいうタイプ、好きじゃなさそう。女の子のこと、所有物だと思ってるんじゃないの。三歩後ろを歩け……なんて、時代錯誤なことを平気で口にしそうな男に、たくましさの権化みたいなあの女が従うとは思えない。

 ぱちり、真金埼が一度だけ瞬きする。どんな反応が返ってきたとしても、わたしは清楚でピュアな女の子の顔を崩すつもりはない。


「……たしかに、月浦とは幾度か関わる機会があったな。あちらの心持ちは想像するしかないが、俺はもっと交流を深めたいと思う」


 へえ、意外に好印象。もしかして、付き合うまではいかなくても、どっちかが脈ありだったりする?


「しかし俺と月浦は交際していない。月浦は好ましい人柄をしているが、なるとすれば友人だ。霞目が思うような関係性には程遠い」


 そして、わたしの予想はあっけなく否定された。別に落胆する程のことじゃないけど、ここまで断定的な言われ方をされたら、その気がなくてもテンションが下がってしまう。

 でも、真金埼は月浦鼎と全くの無関係という訳ではないみたい。それなら、月浦鼎の弱みはまだ握れるかもしれない。あの女を屈服させるためなら、わたしはいくらでも──。


「俺から答えられることは以上だ。これから何よりも大切な幼馴染みに会いに行く。詳細は月浦に聞くことだ」


 え? 何よりも大切な幼馴染みって言った?

 戸惑うわたしをよそに、真金埼はさっさと踵を返している。急いでいるようには見えない歩き方だけど、その歩幅と速度は競歩の域だ。あっという間に大きな背中は遠ざかっていった。

 何……どういうこと? あいつにはわたしよりも、月浦鼎よりも優先すべき相手がいるって訳? 自他共に認める美人を放り捨ててまで、会う価値のある奴なんているの?

 まったく、意味がわからない。月浦鼎に関わる奴なんだから仕方ないのかもしれないけど、頭がおかしいんじゃないかと思う。わたし、これからの夏休みをこんな消化不良で過ごさなくちゃいけないの? それもこれも、全部月浦鼎のせいだ。いつか絶対に弱みを掴んで、再起不能なまでに打ちのめしてあげるんだから。

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