第26話 深夜二時/実沢君は羨望を浴びる

  夏休みとか言っておきながら今週一杯は夏期講習とか、終業式の意味を問わずにはいられない。ただでさえ東北の夏休みは短いんだから、受験でもない時期くらい好きにさせて欲しいと思う。

 うちの高校は歴史ある、率直に言えば前時代的な設備を有している。昼間なんて地獄だ。だから、運が悪いとぶっ倒れる生徒も出てくる。今日はうちのクラスから出た。

 右横の席の、荒鷹さん。真面目でおとなしい、控えめな女の子。彼女はこの暑さでのぼせてしまったようで、明らかに辛そうだった。インターハイに行ってる奴の席がぽつぽつ空いている中で、僕が彼女に一番近かったから、保健室まで付き添いでついていった。

 講習は午前中で終わる。荒鷹さんが保健室に行ったのは最後のコマだった。僕はどうせ部活があるし、付き添った手前何となく様子が気になるから、今から保健室を覗きに行こうと思う。

 正直言って、荒鷹さんとは必要以上に関わったことがない。彼女は帰宅部だし、何より男子と積極的に話すような性格でもないのだろう。斜め前の花鶏なんかは騒がしく絡んでいるけど、それ以外で男子と私的な会話をしているところは見たことがない。

 まあ、僕としては無駄な会話が好きじゃないから、荒鷹さんみたいな人は付き合いやすい。彼女はお人好しなのか、欠席しているクラスメートの配布物なんかをこまめにまとめている。大して仲良くもないのに、よくやるものだ。放置しといたって、誰も文句を言わないだろうに。

 保健室の扉をノックして、中に入る。養護教諭は出払っているのか、ベッドの横で荷物をまとめている荒鷹さんの姿しかなかった。


「あ……実沢さねざわ君」


 荒鷹さんが顔を上げる。少し休んだら楽になったのか、顔色は問題なさそうだった。


「どう、調子は」

「うん、もう平気。さっきは付き添ってくれてありがとう。迷惑かけてごめんね」

「別に、一番近くにいたし。それに、どうせ部活に行くから。ついでに顔見とこうと思って」


 申し訳なさそうな顔をする荒鷹さんは、何となく居心地が悪そうだ。もしかして人見知りなんだろうか。だったら、少し親近感。


「結局、熱とかはなかったの」


 うつるとか気にしてる訳じゃないけど、話題もないのでそう切り出してみる。横になったら治ったっていうなら、そう重症でもないだろう。

 僕が続けて会話を選択するとは思っていなかったのか、荒鷹さんは驚いたようにぱっと目線を戻した。うん、と肯定する声には驚きの色が浮かんでいる。


「暑くて、のぼせただけだと思う。体温は少し高かったけど、休んだら下がったし……。多分、寝不足が良くなかったんじゃないかな」

「へえ、寝不足。勉強でもしてたの?」

「そ、そんなえらい理由じゃないよ。本当に、自業自得というか……。色々、考えることがあって。メールにどう返そうか迷ってたら、二時とかになってたってだけ」


 だから本当に大したことないの、と荒鷹さんははにかむ。擦れたところのない表情だったけど、どうしてか子供っぽさよりも年齢以上に見える顔だった。

 それにしても、真偽の程は定かじゃないけど、何とも可愛らしい理由で寝不足になったものだなと思う。メールの返信で悶々と悩むとか、いかにも優等生っぽい荒鷹さんでも浮かれたところがあるんだな。

 言っておくけど、別に荒鷹さんがどんな人間関係を構築していようと、僕には関係のないことだ。別に興味なんてないし、詮索だってしない。ただ、誰とでも一定の距離感で接しようとする彼女にも、たかだかメールごときで睡眠時間を削るに値する程のお相手がいるんだって、純粋に驚いただけ。


「実沢君は、今から帰り?」


 リュックサックを背負った荒鷹さんが、目の前で立ち止まる。小柄な彼女は、否が応でも僕のことを見上げなくちゃいけない。目は合わないのに、形だけでも相手の顔を見ようとするなんて、変なところで実直だな。


「部活。運動部と違って、大会とかないけどね」

「ああ、そういえば実沢君って、軽音部だったよね? 去年、学祭のステージでライブやってるの見たよ」

「よく知ってるね。意外」

「友達から誘われたんだ。今年もやるの?」

「今のところはその予定。でも、人数減ったから、時と場合によっては中止もあり得るかも」


 軽音部に所属している生徒の中で、真面目にバンドをやろうと考えてる奴は一握りだ。ほとんどが実践でやる気を失った幽霊部員と言っても過言ではない。部活へのモチベーションは失せたけど、わざわざ退部の手続きをするのは面倒臭い……そんな、腑抜けた奴ばっかり。

 受験に本腰を入れたいからと引退した先輩たちのことは、僕だって責めない。進学校と呼ばれる学校に在籍しているからには、学業が本分だ。部活を後回しにするのは賢明な判断と言える。

 だが、確かな理由もなく、理想と現実のギャップに打ちのめされたとか理由づけて部活に居座り続ける奴らには吐き気すら覚える。こんな連中といっしょくたにしないで欲しい。僕だって、確固たる熱意を持って部活動に取り組んでる訳じゃないけど、最低限の義理くらいは果たして当然でしょ。

 だから僕は幽霊部員を部員としてカウントしない。参加してくれるかもしれない先輩を入れて、どうにか四人。それも駄目だったら、部活外の生徒に助っ人を頼まなきゃいけない。


「この学校のどこかに、ギターのできる奴がいてくれたらいいんだけどね。歌もうまければ尚よしって感じ」

「ギターが足りないの?」

「いや、ギター担当がキーボードもできるから、どっちか弾けるなら問題ないかな。こんなこと荒鷹さんに愚痴ってもしょうがないけどね」


 僕は荒鷹さんの様子を見に来たのであって、くだらない世間話に付き合わせたかった訳じゃない。荒鷹さんから、病み上がりに好き勝手愚痴られたと思われるのも面倒だ。

 溜め息を吐いてから、保健室を出ようとする。部活に遅れても文句は言われないだろうけど、守れるルールは守っておきたい。


「実沢君は、軽音部での活動が好きなんだね」


 扉に手をかけたところで、後ろから声が聞こえた。紛れもなく荒鷹さんのものだ。静かで、少しの揺らぎも感じさせない声色──どのような顔をして発言したのか、僕には予想できない。

 ゆっくりと振り返る。逆光を背にした荒鷹さんは、笑っているのだろうか。口元が弧を描いていることはわかる。でも、纏う空気はどことなく寂しげだ。


「羨ましいな。私にはそういうの、ないから」


 この人は何を言っているんだろう。

 疑問を抱くのとほぼ同時に、荒鷹さんは僕の横をすり抜けている。小さな背中は小走りで保健室を出て、逃げるように去って行く。

 いつも謙虚で、意思表示は謙遜か謝罪が大多数を占めていると思わしき荒鷹さん。今、僕が目にした彼女は、既知の姿のどれにも当てはまらない。

 やっぱり、まだ本調子じゃないんじゃないか。一抹の心配を抱えつつ、僕は予定通り部活に向かう。

 ……尚、どういった経緯があったかは不明だけど、ライブのメンバーは数日中に埋まった。何故か女バレの月浦さんがつてを探し回ってくれたらしく、無事にギターとボーカルが一人ずつ埋まった訳だけど……僕がお礼を言わなきゃいけないのは、月浦さんだけじゃなさそうだ。

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