第23話 ストロー/月浦さんは回生を希う(上)
貴重な休日はトレーニングか友達と会うために使うのが基本で、今日は後者。たまには栄養バランスとか何も考えずに、ひたすら美味しいものを食べながら雑談するのも立派なリフレッシュというか、コンディションを整えるための一手段だ。
そういう訳で、今日は千代子と星良を伴ってカフェに来ている。オフが少なくていつもあたしの都合になってしまうのに、二人は大抵二つ返事で付き合ってくれる。それはとってもありがたいことだし、せめて行き先の希望くらいは友達を優先したい……と思っているけど、千代子はどこでもいいよ、なんて一番やりづらいリクエストが常套句だし、星良に関してはいい体が見られるのならオールオッケーとか、意味不明なことを宣う。さすがにストリップショーとかには連れていけないので、あたしを見て我慢してもらうのが日常だ。
「それでそれで、ついに越路の五本指に入る素晴らしい肉体の持ち主二人がくっついたんですヨ! 眼福ってこのことですよ、ネッ!」
ヒャア、とすっとんきょうな声を上げるのは星良。あたしも他人のこと言えないけど、もっとこう……キャッ、みたいなさ、人が聞いてもぎょっとしないリアクションを取ってもらえたらありがたいなと思う。星良ってば根はいい子なのに、性癖とちょっとした振る舞いで全部奇妙に見えてくるのが残念なところだ。
星良を興奮させているのは、うちのバスケ部の花鶏と、辰ヶ杜の剣道部主将にして千代子の幼馴染みである真金埼律貫が友人関係に発展したという出来事に他ならない。なんでもつい先日、目的が一致した後輩と二人の後を追い、前述の会話を盗み聞いたらしい。……登場人物のほとんどがとち狂ってそう。
「そ……そっか。星良ちゃんが楽しいなら良かったよ……」
いつになく瞳を輝かせている星良とは対照的に、向かいで聞く千代子は苦笑いだ。恐らく、若干引いている。そりゃそうなるよね。星良は何故自らの奇行を普通に伝えられるのか……付き合いが二年目に突入したけど、未だにわかりそうもない。
まあ、星良の挙動というか、人体への限りない愛は彼女を形成する重要な要素のひとつだから、今は置いておこう。あたしとしては、星良が追っかけてた野郎どもの方が重要だ。
まず花鶏。こいつは大体人となりを知ってるからまだいい。人の話を聞かない暴走機関車ではあるものの、同じ学校に通っている訳だし、クラスは違えど寮暮らしなのでいざとなったら制止できる。最近あたしにやたら絡んできたので、御し方はわかっているつもりだ。予測できない角度から爆弾発言をかましてくる危険人物だけど、悪い奴じゃないのはわかってるし、それに何よりあたしの方が強い。だからこいつはまだ大丈夫。
問題はもう片方。突如現れ、千代子の幼馴染みを名乗り、周囲をかき回しながら本人にその自覚はないという厄介極まりない男──真金埼。
「しっかし、真金埼は本当に何のつもりなんだろうね。幼馴染みとかなんとか言っちゃってるけどさ、最近になっていきなり急接近してきたんでしょ? 千代子が大丈夫って言うならあたしは何も言わないけど、ちょっと心配だな」
チャイで喉を潤してから、あたしはなるべくオブラートに包みながら切り出す。あたしにとっては苦手な部類の、正直なところ千代子に近付かないで欲しい類いの人間であっても、千代子本人の気持ちをないがしろにしてはいけない。千代子が真金埼を大事な幼馴染みと言うのなら、それを否定するような行動は取らないようにしなきゃ。
抹茶ラテをストローでくるくるかき混ぜる千代子は、言葉を選んでいるみたいだった。千代子のこういうところが、あたしは何気に好き。無責任に言葉を放たないところ。遠慮がちで、自己肯定感が低いところはうーんって思うこともあるけど、些細なことでも責任を持てるのはすごいと思う。無遠慮に他人を傷付けないように気を付ける、千代子の優しさが垣間見えるようで、この子と友達になれて良かったなって、その度に実感する。
「真金埼君が何を思って私に近付くのかはわからないけど……きっと、真金埼君なりの理由があるんだと思う。真金埼君は、滅多なことで間違わない人だし……私との距離を詰めるのも、真金埼君にとっては正しいことなんじゃないかな。だから、悪いようにはならないはず。何かあったら、それは私の落ち度だよ」
そして千代子は、躊躇いがちながらも、しっかりと言葉を紡いだ。自信なさげなのは千代子のデフォルトだけど、今回の発言に関しては確信があるように感じる。
悔しいけど、千代子にとって真金埼は、誤ることなんてないどっしりとした支柱のような人間に見えているんだろう。言葉の端々には、あたしたちには向けられたことのない信頼がある。……それがちょっと、羨ましい。
「千代子さん、真金埼くんのこと、心から信じてるんですネ! ここだけの話、千代子さんにとっての真金埼くんとはどういう存在なんですかッ? 前はただの幼馴染み、なんておっしゃってましたが、越路にはただならぬ幼馴染みに見えて仕方ないのです!」
コーヒーフロート──早々にソフトクリームは食べ終えているので現状は溶けたクリームでカフェオレみたいになっている──で喉を潤し、絶好調といった様子の星良が質問する。前に校門のところでかち合った高森クンもそうだけど、何故あのデカブツに惹かれる人間が多いのか、あたしにはさっぱりだ。今回は千代子が絡んでるからあたしも気にしてるけど、知り合いとの関わりがなかったら度々名前を見かけるなあ、くらいの相手だったと思う。
いやまあ、たしかに星良の言いたいことはわかるよ? 千代子は普段、男子と関わることがあまりない。全く話さないって訳じゃないし、花鶏みたいな奴のことはフォローしてやってるけど、交友関係を築くってなると、途端に壁を作り出す。嫌いとまではいかないけど、うっすら苦手意識がある感じ? 誰に対してもここから先は踏み込ませないっていうラインを引いている……ように思える千代子だけど、異性に対しては特にその傾向が顕著だとあたしは感じる。だからといって、千代子との関係がどうこうなるってことはないのだけれども。
ずいっと星良に迫られた千代子は、案の定たじたじといった様子だった。椅子に座ってたら椅子ごと後退してそうだけど、幸か不幸か千代子はソファー席。背もたれに背中がぺったりとくっついている。
「ど、どういう存在って言われても……現状、幼馴染みとしか言いようがないよ。今まで関わってきた男の子の中では一番距離が近いから、私の中では特別だなって思うこともあるけど……でも、本当に私たちは幼馴染み以外の関係がないの。家が近くて昔からの知り合いってだけで、ずっといっしょにいるって訳じゃないし……真金埼君のことを知りたいなら、普通に辰ヶ杜高校の人たちに聞いた方がいいと思う……」
「それもそうですけど! あの真金埼くんが特に気にかけてるってだけで、千代子さんの特別扱いは決まったようなものですヨ! いいですかッ、たしかに越路は真金埼くんに関心を抱いていますが、今最も重要視しているのは千代子さんとの間柄でして……」
「はいはい、その辺りにしとこうね。千代子困ってんじゃん」
いくら友人とはいえ、見定めるべき線引きはある。身を乗り出す星良のおでこを軽く押してやれば、細い体はすぐに定位置へと戻った。
「まったく、親しき仲にも礼儀ありだよ。大体、千代子が幼馴染みって言ってるんだからそれ以上も以下もなくない? 相手が真金埼だからってテンション上がりすぎ。別に真金埼が千代子にとっての何者でなくてもいいじゃない、あいつじゃなきゃダメなんてことある?」
「前々から思ってましたけど、鼎さんは真金埼くんに対して手厳しいですよネ……。良ければ理由を伺っても……?」
個人的に気に入らねえから……なんて千代子の前で言える訳がない。どんなに気に食わない相手であっても、千代子も同じように受け取っているとは限らないんだから。
何より、どれだけ誤魔化したところで千代子があたしの発言を望んでいないかもしれない。知り合いが知り合いの悪口言うところなんて、聞きたくないって人の方が多いはず。それがただの評価であっても同じだ。
「私も気になる、かな。鼎ちゃんは誰とでも仲良くできそうなのに、どうして真金埼君にはつっけんどんなのかって、実は気になってたから……」
何ということだ、千代子も気になってるパターンだった。
真金埼と顔を合わせたのは一回きりだけど、あれ以降何かと奴の話題が増えた。特に星良は真金埼のことを気に入ってるみたいだから、話を振られることも多く……うう、できるだけオブラートに包みながら会話に参加してるつもりではいたけど、隠し切れてなかったか……。それとも千代子の洞察力が極まってたってこと? 後者だったら仕方ないね。
友達に嘘を吐くのは心苦しいし、何よりあたしはそういうのが苦手だ。であれば千代子を傷付けない範囲を見極めながら、あたしの所感を伝えるしかない。
「えー……その、なんだ……。別にね、嫌いとかそういうのじゃないよ? 千代子がいいなら口出ししないし、そもそも友達の交友関係にどうこう言う権利なんてあたしにはない訳で……。ただ、なんていうかな……個人的にこう……モヤッとするといいますか……」
「鼎さん、巻きでお願いしますッ!」
「あーもう、急かさないでよ! 要するに、苦手なタイプの人間が大事な友達によくわかんねえ距離感で接近してるのがいずいの!」
本当はもっと複雑なんだけど……口が悪くなったら嫌なのでこの辺りでまとめておく。部員からも事あるごとに主将ってかけ声がいかついですよね! って言われるから、せめてプライベートではソフトな物言いを心掛けないとね。
「フムフム、なるほどですッ。千代子さんはお気付きでないみたいですが、鼎さんって極端に言葉が足りない、コミュニケーションで摩擦を起こしがちな口下手さんが苦手なんですヨ。アッ、単に無口な人がダメという訳でなく、あくまでも意思疎通をする上で多大なすれ違いが生じているにも関わらず、それを気にせずに先へ先へと進んでいく話者が苦手という訳です」
「そうなんだ……言葉が足りないって、そのままの意味合いだけじゃなかったんだね……。今まで誤解しててごめんね」
「いやいや、千代子が誤る必要はないって! 星良があたしのこと知りすぎなの!」
「エヘエヘ、当然ですヨ! 何せ、鼎さんには中学時代から目を付けてましたからネ!」
理解のある友人がいるあたしは幸せ者……なのか? まあ、何事も前向きに考えた方がいいし、アドバンテージってことにしておこう。
とにもかくにも、あたしが真金埼にいい顔をしない理由はおわかりいただけたと思う。お人好しで優しい千代子の幼馴染みだというから、尚更心配の気持ちが強まるというか……はっきり言わせてもらうと、あいつが悪気なく千代子を傷付けるようなことを言い出さないか、気が気でないって訳。ああいった手合いは自分の発言なんてすぐ忘れるものだけど、千代子はきっと気にする。内容によっては年単位で引きずる。一時の心ない発言で、千代子が思い悩む姿を見たくないのだ。
「千代子、本当に気にしないでいいからね。いくら有名人だからって、千代子のプライバシーが侵害されていい理由なんてどこにもないんだからさ。真金埼とは、千代子がやりやすいなって形で付き合いを続けたらいいよ。星良とか、あとは真金埼に付きまとってる連中がしつこかったら、あたしがバシッと言ってやるからね」
「ありがとう、鼎ちゃん。いつも気を遣わせて申し訳ないな……」
「注意されるどころか急所にスパイク決められそうなオノマトペです……ネ……!」
「怖がるんたったら節度を守ること。千代子を困らせたら承知しないんだからね」
さすがに星良にボールをぶつけはしないけど、少しでも抑止力になっていたのなら幸いだ。むん、と腕組みしてみせると、星良は小さく首を竦めて反省の意を示した。
あたしと千代子は、期間で言えば一年と少しの付き合いだ。だから千代子のことを何でも知っているとは、とても言い切れないけど……これまで千代子と接してきた中で、あたしはひとつ、確信を持って言える。
千代子の心には、簡単には癒えない傷がある。
「ね、千代子。千代子が誰をどんな風に思っていても、あたしたちには関係ないからね。好きなようにやって、悪いことなんてないよ。あたしと千代子が友達で、あたしの大切な人ってことに変わりはないから。千代子は千代子、ひとりの人間。あたしはそれだけで十分」
あたしは千代子の全てを知らない。無理に聞き出そうとも思わない。
ただ、あたしと過ごす中で、千代子が楽しいと思ってくれて、傷を乾かして、かさぶたにして……いつか心が修復するまでの薬になればいいと思う。
ありがとうね、と千代子が微笑む。目尻を細めながら、まだ手を付けていなかったシフォンケーキをそっと切り分けて、フォークの先に柔らかく突き刺した。
「お礼。今はこれくらいしかできないけど……いつも仲良くしてくれて、本当にありがとう」
「ち、千代子……! 嬉しい、お返しにあたしのスコーン食べていいよ……!」
「でっ、でしたら越路のドーナツもッ……!」
「そ、それじゃあお礼の意味がなくなっちゃうんじゃないかな……」
結局三人でそれぞれの茶菓子を交換することになってしまった。千代子は困り顔だったけど、あたしは千代子の感謝の言葉だけで感無量だったから、ひとまずはよしとしよう。
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