第21話 自由研究/越路さんは聞き耳を立てる

 午前中に終業式が終わり、部活もないこの日を、稀なオフとして自由に過ごす生徒はきっと少なくないことでしょう。実家暮らしの皆さんの中には真っ直ぐ帰宅される方もいらっしゃるかとは存じますが、越路はそうもいきません。だって、またとないチャンスが到来したんですから、この大波ビッグウェーブ……乗らなきゃ損……ですよネッ……!


「改めて……俺は真金埼律貫という。荒鷹千代子とは幼馴染み、家が斜向かいの関係だ。よろしく頼む」


 お昼時のファミリーレストラン、仕切りを挟んだすぐ横で、越路の中でも五本指に入る理想の肉体の持ち主──もとい、辰ヶ杜高校の真金埼くんが存在しています。実物は何度も見に行きましたが、こんな至近距離にいるのは初めてなものですから、緊張で変な汗が止まりません……。アッアッ、レストランの冷房に問題がある……という訳ではありませんヨ! お店の沽券のために、そこは保証しておきますッ。

 ああ、話が逸れてしまいました。真金埼くんの声を近くで聞ける……否、存在を感じられるだけでも越路は幸せ者なのですが、なんと真金埼くんには同伴者がいます。それも、これまた越路が目を付けている、バスケ部の花鶏くんです。


「なー、ハスムカイ……って何? 幼馴染みはわかるけど、そっちは初めて聞いた!」

「む、家が斜め前に立地しているということだ。近所だとさえわかってくれたなら良い」

「なるほどなー! 勉強になった! 真金埼ってもしかして頭いい?」

「いや、千代子の方が良いはずだ。俺はいつも教えてもらう側だった」

「グギギギギ……羨ましい……」


 アッ、そうそう。越路の前で油の足りてないロボットみたいな音を出しているのは、同じく真金埼くんを求めてやって来た一年生の高森くん。何でもお友達が花鶏くんの引率で辰ヶ杜高校に乗り込むとの話を耳にして、これはもしやと思い立ったそうです。お隣の鹿野くんが引っ張られていった越路と同じですネ。自他共に認める真金埼くんの強火ファンとのことなので、失言しないように気を付けないと。最悪、越路は来月のお盆を霊体で過ごすことになります。

 鹿野くんは即帰宅ならぬ帰寮をかました訳ですが、高森くんのお友達ことのっぽくん──燕沢くんというらしいですが長いので愛称をつけることにしました──は現在も同席中。真金埼くんにはあまり興味がないようで、近距離で激写した真金埼くんの写真と引き換えに奢ってもらった卵サンドを頬張っています。真金埼くんには負けますが、彼も長い手足に高い上背の持ち主です。これからの成長に期待……ですネ!


「本題に入ろう。お前は千代子について知りたがっているようだが……大切な幼馴染みのことを軽々しく他人に話すことはできない。まずは花鶏、お前自身について教えてもらえるか」

「オレ? オレは花鶏昴! バスケ部で部長やってる! ポジションは……」

「すまない、千代子との間柄を聞きたかった」

「あっ、そういうことな! 真金埼ってなんか不思議な感じだよなー」

「お前が脊髄反射で会話してるからだろうがァ……」

「それは言えてる。先輩と話す時は深く考えない方がいいよ」


 高森くん、可愛い顔に反して意外に凶暴みたいです。真金埼くんが関わらなければ噛み付くことも少ないのでしょうか……? 体に興味はないけれど、人間性は少し気になります。今後彼にしめられないためにも、行動パターンを把握しておかないと、ですッ。


「にしてもさ、高森。そちらの先輩ってお前の知り合い? 合流した時から普通にいるから突っ込みづらかったんだけど」


 そういえば、のっぽくんには自己紹介しただけなのでした。その後すぐに横の二人が会話を始めたので、そっちに集中して、今に至るということです。


「あ? 知り合いでも何でもねえ、目的が一致してるから一時的に行動を共にしてるってだけだ。おれは真金埼さん、こっちの先輩は花鶏。別に何も支障はないだろ」

「エヘへ、こういうのってドラマみたいですよネッ。高森くんは尾行の経験もあるとのことなので、頼りにしてます」

「ストーキングは程々にしときなよ……」


 高森くんの前では花鶏くんを単独で追っている……ということにしておきました。トラブルに発展したら、越路の負けは目に見えてますから。

 まあ、越路のことはどうでもいいんですッ。今は真金埼くんと花鶏くん、二人の会話に集中しないと!

 クラスが違うので詳しいことは存じ上げませんが、花鶏くんは越路のお友達である千代子さんのことが気になっているご様子。ただでさえ真金埼くんと鼎さんという黄金の体を持つ方々に挟まれているのに、そこに花鶏くんまで混じったら大変なことになってしまいますヨ……主に越路が。高校に自由研究の宿題があったら、有無を言わせず題材にしていたところでした。それだけ、千代子さんの周辺には美味しい……もとい、越路が一目置く方々が集まっているということです。


「荒鷹はさ、すげーいい奴なんだよな! 皆からは大袈裟って言われるけど、神様みたいな人! 今まで何回も助けてもらったからお礼したいし、何なら仲良くなりたいんだけど、いっつも逃げられちゃうからどうしようかって思ってたんだ。で、幼馴染みのお前に聞けば、何かわかるかと思って来た!」


 たしかに千代子さんはとても優しいというか、人助けに対して抵抗のない人です。越路も何度忘れ物をなかったことにしてもらったことか……最近はよくジャージを借りてます。違うクラスになったのは寂しいですが、こうしてものの貸し借りができるということを考えたら、それはそれで便利だなと思わなくもありません。ちゃ、ちゃんと洗って返してますヨ?

 越路でさえクラスの垣根を越えて助けてもらう場面が多々あるんですから、席が前後の花鶏くんは尚更千代子さんのお世話になっていることでしょう。席順とか関係なく、そそっかしいところがありそうですし。

 ふむ、と真金埼くんが少し思案する声が聞こえました。高森くんが神妙な表情で壁に耳をくっつけています。このまま仕切りになっている壁が倒れたら面白いですネ! 我々にとっては修羅場ですが!


「……わかる、気がする。千代子は、善い人間だ」


 とっても短い言葉と肯定。でも、それは確かな音声として越路たちの耳に入りました。

 越路は真金埼くんと話したことなんてありません。交流なんて不要、遠くから鑑賞するための人。故に越路と真金埼くんがすれ違うことはあっても、人生が交わることはないのです。

 そんな越路にも、はっきりわかってしまいました。柔らかく、噛み締めるように呼ばれた名前。千代子さんは、あなたにとっての特別なのですね。


「訪ねてくれたお前にこのようなことを伝えるのは心苦しいが、正直に言って、千代子との距離感を縮める方法は俺も知りたい。俺は見ての通り無骨な男だ。お前のように明朗な振る舞いの人間のことを、時に羨ましく思う日もある」

「あ……あの鳥頭を……⁉」

「お前、俺が立ち上がって全部暴露できる可能性を少しは考慮しなさいね」


 薄々勘付いてはいましたが、高森くんは真金埼くん以外の人間へのリスペクトが基本的に皆無のようですネ。特に花鶏くんのような、賑やかなタイプは苦手意識もあるのでしょうか。極めて辛辣な評価を下しています。越路も筋肉ペロペロ変態女とか言われないように、猫を被っておかないと……!

 何はともあれ、実際のところは真金埼くんも千代子さんとの接し方に悩んで折られるご様子。それこそ、今さっき出会ったばかりの他校生であっても、可能であれば頼りたいくらい、彼にとっては深刻な問題なのでしょう。

 越路はふと、千代子さんのことを思い出します。接しにくいと感じたことはありません。たしかに、多少の壁というか、ここから先はまだ入らないでね、というような、うっすらとした線引きはわかります。でも、越路はそれを問題とは思いません。だって今のままでも千代子さんと過ごすのは楽しいし、これ以上関係を進めなくともお互いに満足できると理解しているからです。千代子さんが進展を望まないのなら、尚更現状維持が最善という気がしてきます。

 越路はこのスタンスで満足しているのですが、どうやら千代子さんの周囲──特に親しい間柄となると、さらに一歩踏み込みたいと希望する方が多いようです。鼎さんは、度々千代子さんの間にある見えない壁を飛び越えようとしていますが、残念ながら目標達成には至っていない模様。時折、越路に愚痴をこぼすこともあります。部活になるとそういう雑念を一切持ち込まれないので、越路に話して発散しているのでしょうネ。頼られるのは嬉しいです。エヘへ。


「そっか! じゃあ、真金埼もオレと同じなんだな!」


 さて、真金埼くんに対する花鶏くんの反応は、前述の通り非常に嬉しげでした。落胆も当たり散らすこともなく、むしろお仲間が見付かったと受け取れるのは一種の才能だと越路は思います。こういう、人に悪意をぶつけないところは花鶏くんの強みですネ。誰にも真似できることではありません。


「せっかく話せたんだしさ、まずはオレたちが友達になろうよ。そんで、どうやったら荒鷹と仲良くなれるか、二人で考えよ! えーっと何だっけ、人が多いといいアイデア出る、みたいな言葉あったじゃん!」

「三人寄れば文殊の知恵、だろうか」

「多分それ! で、どうよ! オレと友達、ならない?」


 覗き込むことはできませんが、恐らく花鶏くんは身を乗り出しているはずです。さすが、校内で数多の生徒の脳を焼いているだけあります。距離感の詰め方がグイグイってレベルじゃありません。言うなればギュン、ですネ!

 数秒の沈黙は、越路たちにとって長く重苦しい時間でした。越路は息を殺して事の成り行きを見守り、高森くんはもとから大きな目をさらにかっ開き、のっぽくんは卵サンドを完食してもお腹が満たされないのか、高森くんの注文したドリアを突っついています。つまみ食いがバレたら確実に怒られますヨ……!


「……その提案、謹んでお受けしたい。互いに研鑽し、千代子と健やかな関係を築けるよう努力しよう」

「やった! じゃあ改めてよろしくな、真金埼!」


 無事に交渉は成立したようですネ。おめでとうございます!

 ……と、お祝いしたいところですが、真金埼くん、何だか声色が険しくないです? いえ、いつもポーカーフェイスな肩ではありますけど、先程よりも心なしかぴりついているような……?


「おい、燕沢! お前、何勝手に人の食いもんに手ェ出してるんだよ!」

「えー、だって冷めたらもったいないじゃん」


 幸か不幸か、一年男子二人はドリアの件で大揉めしています。いくら強火ファンとはいえ、男子高校生の食欲は無視できないようです。年齢関係なく、食べ物の恨みは恐ろしいですけどネ!

 対談が一段落したところで、越路もフォークにパスタを巻き付けます。くるくる、くるくる。

 横から聞こえてくる声は大半が嬉しそうな花鶏くんのものですが、その端々に混じる真金埼くんの声色は既に凪いでいます。先程の剣呑な雰囲気は、一体なんだったのでしょう。真金埼くんが危惧すべきことは、何もないように思えますが……。


「あ」


 ひとつ思い至ることがあって、越路はつい声に出してしまいました。すぐ側でお詫びにデザートを奢る奢らない論争が白熱しているので、言及されることはありませんでしたが……これはもしかしてもしかするのでは?

 真金埼くん……幼馴染みである千代子さんに知らない男の子が近付こうとしている現状に際して、危機感──広義によるところの嫉妬を覚えているんじゃないですか?


「なーなー真金埼、ドリンクバー行かない? 最強の配合を教えてやるぜ!」

「配合……化合物でも作るのか?」

「そんな感じ! とりあえず付いて来て、実践で教える!」


 隣の二人が立ち上がる気配と共に、越路たちは一斉に顔を伏せます。すごい、息ぴったりです! これなら集団行動も余裕なのではないでしょうか!

 我々に気付かず、二つの大きな背中はドリンクバーへと向かいます。その様子を眺めながら、高森くんは論争の末に勝ち取ったデザートを奢られる権利を行使するため、呼び出しボタンを押したのでした。

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