第20話 摩天楼/鹿野君は引率する
「
終業式が終わり、晴れて明日から夏休み。インターハイを控えた俺たち男子バスケットボール部はしばらく部活漬けになるものの、せっかく手に入れた全国への切符なのだからやれるだけのことはやっておきたい。遊ぶ時間はあまりないだろうけど、充実した夏休みにしてやるぜ!
……と意気込む暇もなく、二年六組に嵐がやって来た。
ちっぽけな人間が自然災害に抗うことなど不可能。あっという間に俺は乱気流へと巻き込まれ、意思を問われることもなく強制的に連行されたのだった。
「おい、これってどういうことだよ燕沢。事情が全く見えてこねえんだけど」
辰ヶ杜高校前へ到着したタイミングで、俺は同じく嵐ことうちのエース、花鶏に引き連れられてきた後輩の燕沢に耳打ちする。一年ながらスタメンに選ばれている燕沢は、はあ、と気の抜けた声で応じた。
「実際のところは俺もさっぱりです。花鶏先輩いわく、ここに通ってる真金埼って人に会うらしいんですけど」
「真金埼? それって剣道の?」
「逆に二人もいたらそれはそれで大問題ですよ……」
運動部とは思えないくらいテンションの低い燕沢は、俺と同じく不本意ながら連れてこられたのだろう。可哀想に。
真金埼というのは、十中八九この辰ヶ杜高校に通う真金埼律貫のことで間違いなさそうだ。高校以前からその名を轟かせてきた剣道家とのことで、県内では最強とも噂されている。俺は剣道に触れたことはないけど、度々テレビや市報にも出るからその存在は以前から知っていた。同年代の学生なら、知らない奴の方が少ないんじゃないかな。
そんな有名人こと真金埼ではあるが、うちの花鶏は一体どんな意図をもって現地に乗り込もうと決心したのだろうか。どうせろくな理由じゃないんだろうけど、何も知らないまま巻き込まれるのは癪だ。
「おい花鶏、お前、他校に押しかけて何仕出かすつもりだよ。ここで問題起こしたら、最悪インターハイ行けなくなるぞ」
校舎に掲げられている横断幕──俺たちにとっては珍しいものでもなかろうに──をキラキラした目で見上げていた花鶏は、俺の発言にくるりと振り返った。相変わらず、妙に上機嫌な顔で。
こいつはとにかくバスケが好きだ。どんなにきつい練習でも音を上げないし、何ならずっと楽しそうにしている。頭のネジが欠けちゃってるんじゃないかって思ってる部員は少なくないはず。むしろ、思ってない奴はいないんじゃないかってくらい、俺たちはこの破天荒なエースに振り回されている。
そんな花鶏を黙らせるには、バスケができなくなる可能性を示唆するのが一番だ。この前だって、期末テストに追われてヒーヒー言っていた。補修が入ると部活の時間が削られる、なんて半泣きになっていた花鶏だが、何とか内申点も加わったことで部活に食い込む程の補修は回避できたらしい。オレもやればできるんだ、とピースされたのは記憶に新しい。まず進学校に通う生徒として補修を受ける必要のない点数を取れよ、と思わなくもないけど、スポーツ推薦で入学した花鶏には酷な話なのかもしれない。……俺も一応推薦なんだけどな。
「だいじょーぶ、問題なんて起こさないから! ちょっと真金埼に会ってみたくてさ、辰ヶ杜も今日終業式だからいけるかなって!」
「いけるかなじゃねえんだよ、あっちからしてみればいい迷惑だろ。第一、お前って真金埼と面識あるの?」
「ない!」
予想できていたけどないんかい。有名人も大変だなと、同じく真金埼と付き合いのない俺は密かに同情した。無論、花鶏ではなく真金埼に。
「あー、多分ですけど、花鶏先輩も有名人見たさに野次馬しに来た訳じゃないと思いますよ」
一刻も早く帰りたい俺に、至極面倒臭いといった顔をした燕沢が発言する。このまま二人でばっくれても文句を言うのは花鶏ぐらいだろうに、何だかんだ付き合うこいつは律儀なのか、あるいは徹底的に花鶏の相手をしたくないだけなのかわからない。とりあえず心当たりがあるみたいだから、先輩として話を聞いてやろうじゃないか。
「前に聞いたんですけど、花鶏先輩は真金埼本人に用があるって感じじゃないと思います。むしろその幼馴染みで、花鶏先輩のクラスメートの、荒鷹先輩について知りたいってだけじゃないかと」
「荒鷹? 二組の……っていったら、眼鏡かけてる女子?」
「えーっ、なんだよ鹿野、知ってたの⁉ もしかして荒鷹と仲良かったりする⁉」
「近い近い、耳元で大声出すな!」
仲がいいとか、そういう間柄じゃない。ただうちの教室に度々来るから、顔を覚えてるってだけだ。俺の隣の席にいる女子こと、越路星良と親しいらしい。
顔と名前がわかるってだけで、俺と荒鷹さんは話したことすらない。どっちかっていうと、二人とよくつるんでる女バレの月浦の方が、同じ寮生ってこともあってか関わりは多い。月浦に関しては、花鶏もよく話してるだろうし……むしろ、最近は花鶏の方が彼女と親密なのではないかと思う。そういえば、付き合ってるんじゃないかって噂も立ってたっけ。
「うちのクラスによく来るから、顔を知ってるってだけだよ。直接話したことはない。荒鷹さんのこと知りたいなら、月浦に聞けばいいだろ。最近よく話してるじゃん」
「月浦には聞けるだけ聞いたって! けど、真金埼の話出すと、決まって怖い顔するからさー。自分で確かめちゃった方がいいかなって思ったんだよな! ほら、なんだっけ、百分はなんちゃらって言うだろ?」
「……もしかして、百聞は一見にしかずか?」
「そうそれ!」
大丈夫かこいつ。新学期早々の実力テストのみならず、夏休みの始まりから課題の進捗が不安になってくる。
しかし、なるほど。最近こいつがやたらと月浦に絡んでたのは、荒鷹のさん情報を聞き出すためだったのか。猪突猛進な花鶏のことだから、初手から荒鷹さん本人に突撃かましそうなのに、友人から攻めるとは……少しは成長したってことかな。まさか荒鷹さんに突っ込んだ後に友人である月浦に事情聴取してる訳ないよな!
それにしても、他校生でも名前くらいは知ってるレベルの有名人と知り合いとか、荒鷹さんも何気にすごいんだな。俺が同じ立場だったら、あの真金埼と幼馴染みなんだって言いふらして回るかもしれない。純粋に、荒鷹さんの節度には尊敬の念を覚える。
「真金埼ってどんな奴なんだろー! 見た感じすっげー強そうだったけど、友達とかにはどんな風に接するんだろうな! やっぱりサイキョーって感じなのかな!」
下校する生徒もちらほらいる中で、桁違いに大きい声を出さないで欲しい。案の定花鶏は周囲の視線を独り占めしている。くそっ、今すぐにでも帰りてえ。
できることなら回れ右して寮までダッシュを決めたいところだが、災害級の問題児こと花鶏をアウェイに置き去りにしようものなら、後で何が起こってもおかしくない。死んだ目をしている燕沢を生贄にするのも可哀想だ。
「花鶏、外なんだからあまり騒ぐなよ。うちの評判にも関わるんだから」
とりあえず辰ヶ杜の生徒たちの邪魔にならないように横へ捌けさせつつ、俺は花鶏を宥める。いつでもどこでも声がでかいのはこいつの長所であり短所でもある。
「えー、でも緊張するんだって! オレ、部活以外で他校の奴と絡んだことないし……。どーしよ、今まで見たことないタイプだったら! 貴族みたいな奴だったらどうする⁉️ やっぱ摩天楼に住んでんのかな? 床とか全面ガラス張りの部屋!」
「緊張するとか言ってる割に楽しそうですね」
「うん! 緊張って楽しいよな! オレ、プレッシャーで体がピリピリする感じ好きだ! だから真金埼に会うのも楽しみ!」
強豪と呼ばれる運動部の中には多かれ少なかれイカれた奴がいるものだが、うちの花鶏はその最たる例だ。普通、プレッシャー感じると人はデバフを受けるものなの。
お前もそうだよな! と同意を求められた燕沢は、乾いた笑いでもって答えた。良かった、こいつはこっち側だ。
「つかさ、花鶏。俺としては真金埼よりも、なんでお前が荒鷹さんにご執心なのかって方が気になるんだけど」
「ゴシューシン?」
「……すげえ気にしてるのかってこと」
「あーなるほどな! それはほら、荒鷹はオレの神様だから! 今よりもっと仲良くなって、今までのお礼をしたいんだよ!」
「かみさま」
こいつ……爆弾発言は得意技だが、それにしたって結構重めのをぶつけてきやがったな。
これには燕沢もわかりやすく唖然としている。感情のない声で花鶏の発言を復唱したのも燕沢だ。本当にごめんな、こいつ一年の時からこうなんだよ。
荒鷹さんがどんな人となりをしているかはさておき、神様とまでいくとさすがに言い過ぎな気がしてくる。……いや、うちの高校には憧れの選手をやたらヨイショする強火ファンとかもいるけど、花鶏はそういうタイプじゃないはずだ。むしろヨイショされる方では?
「あのさ、荒鷹さんのことをどうこう言うつもりはないけど、神様はないだろ。なんでそんな重たい存在になってるんだよ?」
「神様は神様だよ。だって荒鷹、オレが困ってる時はいっつも助けてくれるんだ。忘れ物した時とか、授業中とか……荒鷹のおかげでどーにかなったってことがたくさんあるから、救世主、つまり神様ってこと!」
「うーん、それって荒鷹さんが単純にいい人ってだけでは……?」
「それだけじゃないって! なんかさ、上手く言えないけど、荒鷹は他の皆と違うんだよ! 荒鷹だけぴかぴかしてるっていうか、すぐ見付けられるんだよなー! 顔見たら、なんでかわかんないけど嬉しいし! 色々調べてみたけど、こんな風になるのは荒鷹だけみたいなんだ。だから、荒鷹はオレの特別なんだと思う!」
「なるほど、推しに似て非なるものか……。俺は体験したことないですけど、理解はできます。そういう人って案外近くにいるもんですよ」
「えっ、燕沢理解できんの……?」
ずっと仲間だと思っていた燕沢が、急に遠く感じられる。これってまさか俺がおかしいの? 皆、口にしないだけで特別な人がいるってこと?
「──俺に用があるそうだな」
──と、俺の思考が混乱の渦に巻き込まれそうだったその時、頭上から影が降りかかった。同時に聞こえたのは、一切の乱れがない低い声。
バスケ部ということもあって平均よりは高い身長を持つ俺たちではあるが、振り返った瞬間、相手に圧倒された。目の前にいる奴がただでかいだけではなく、アスリートに並び立てるくらい恵まれた体つきをしていたこともあるが──何より俺を萎縮させたのはその風格だ。真っ向から浴びただけで、自然と背筋が伸びる程の風格。花鶏はともかく、俺はこの圧迫感を楽しめそうにない。
お目当ての人物──真金埼律貫が、すぐそこに立っている。
「おーっ、お前が真金埼? 思ってたより話しやすそうだな!」
身を縮こめている俺と燕沢を余所に、花鶏は溌剌とした笑顔で真金埼へと歩み寄る。こいつマジで言ってるのか? この威圧感で話しやすいってどういうこと?
そんな真金埼は、事前にこちらの存在を認識していたのだろうか。たしかに他校の制服を着た男三人──しかもうち二人はそこそこでかい──が真金埼がどうたらこうたらと話していたら目立つのは確実だ。加えて花鶏の声量じゃ、会話の内容は筒抜けと言ってもいい。
鋭い眼光が花鶏を見下ろす。どうにか俺と燕沢だけ無関係ってことにして逃げられないかな。同い年とはわかっていても、生の真金埼は怖い。視線だけで斬られそうな雰囲気がある。
「オレ、花鶏昴っていうんだ! なあなあ、荒鷹ってお前の幼馴染みなの? 色々話したいことあるんだけど、今日って暇?」
「……千代子の知り合いか?」
「うん! 前の席!」
ふむ、と真金埼は顎に指を添える。何故か燕沢がその様子を携帯で写真撮影した。……こんな時に何やってんの?
「……千代子が関わっているのなら、捨て置くことはできないな。花鶏、お前の誘いに応じるとしよう」
勝手にシャッターを切られているのに、真金埼の堂々とした立ち振る舞いは変わらない。真金埼くらいのレベルになると、写真の一枚や二枚くらい、どうってことないのかな。それはそれで問題な気がする。
何にせよ、花鶏は真金埼との対談を取り付けることに成功した。荒鷹さんが絡んでるってだけで即決するなんて、たしかにただの同級生……って訳じゃなさそうだ。
了承を得た花鶏はというと、やった! と馬鹿でかい声で喜びをあらわにしながら大ジャンプ。そういうのは試合の時だけにしてくれ。白昼堂々ぴょんぴょん飛び跳ねてる奴は高確率で不審者だ。
「じゃあ決まりだな! こんなところで話すのもなんだしさ、どっか店入んない? 今日は午前中だけだったからさー、お腹ペコペコなんだよな!」
「ああ、俺も座して話がしたいと思っていた。これにあたって、ひとつ条件を課したい。聞いてくれるか」
「んあ? 条件?」
一歩、真金埼が踏み込む。それだけでその場に立ちこめる圧迫感は一層増した。ひぇ、と小さく悲鳴を上げた燕沢が携帯をしまう。
「叶うなら、俺とお前、二人きりで話したい。──構わないな?」
問いかけの形をなしてはいるが、ほとんど一方的な決定。
花鶏がぽかんと口を半開きにする。すっかり背景と化した俺と燕沢は、揃って顔を見合わせた。
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