第18話 蚊取り線香/おにいちゃんは問答する(上)

 俺には可愛い妹がいる。健気で優しくて、こんな風に振る舞える奴なんてなかなかいないってくらい、自慢の妹。

 約一年ぶりに踏んだ仙台の土、本格的な夏に入ってはいるけれど、乗り継ぎで経由した東京に比べたら空気がからりとしている。夏は涼しいし、冬はあんまり雪が積もらない。やっぱり地元が一番だね。

 スーツケースをガラガラ引っ張って、久しぶりに帰宅。今日は土曜日だし、昼過ぎに帰っても多分妹は家にいるだろう。実を言うといぎなり寂しかったし、できることなら留学中は毎日国際電話したかったけど、時差があるし妹の迷惑になるから我慢した。俺のわがままのせいで可愛い妹を寝不足にさせるなんて、あっちゃいけない。俺はできるおにいちゃんなのだ。


「おかえりー。千代子ちゃんなら斜向かいの、真金埼さんのところに行ってるよ」


 ──が、母ちゃんが何の気なしに放った言葉はおにいちゃんをずっこけさせた。

 え? 妹が──千代子が真金埼の家に? なんで?

 荷物を自室に置いてから、俺は今し方潜った玄関を飛び出す。さっきは普通に太陽光が眩しかったけど、今は温度とか感じていられない。全速力で斜向かいの家にダッシュする。

 なんで──なんで千代子が真金埼の野郎といっしょにいる? おにいちゃん理解が追い付かないよ?

 回覧板を回してるとか、何か届けに行くだけかもしれないって考えなかった訳じゃない。でも、だったらすぐに帰ってくるはずだ。だって斜向かいだし。なのに千代子は俺が荷物を置いてリビングに戻ってくるまでの間も帰宅してないし、未だ真金埼家に留まり続けている。これは確実に長居している。由々しき事態だ。

 数歩で真金埼家の前に到着し、インターホンを力強く押す。少しの間を置いてから、がらりと玄関扉が開いてやたらでかい大男が顔を出した。


「何かご用だろうか」


 出たな、真金埼律貫。

 奴はうちの千代子と同い年で、いわゆる幼馴染みにあたる間柄だ。剣道では県内のみならず全国区にまでその名を轟かせているらしいが、俺だって高校時代はテニスで行くところまで行ってたし? 俺はちやほやしてやんないからね。

 実力の程はともかくとして、こいつの何が厄介かって、幼馴染みだからってやたらと千代子に干渉してくるところ。そりゃ、昔っから仲良くて、今でもよく遊ぶ間柄とかだったら、おにいちゃんも文句は言わないよ? でもこいつは千代子が困ってるとか関係なく、自分のペースでぐいぐい来る。

 千代子は優しいし、昔馴染みってこともあってか、面と向かって追い払うようなことはしないけど、それでも真金埼のことは避けている。大体、話しかけた時のよそよそしさで普通は遠慮しようって気持ちになるものでしょ。これが真金埼の場合、前に進むことしか知らない猪の如く突き進む。

 そして何より俺を苛立たせるのは、真金埼の目的というか、千代子に対する方針が不明なこと。ついでに距離感もよくわからない。

 こんなこと想像するのも癪だけど、仮に真金埼が千代子に想いを寄せているとしよう。それならそれで、相応の行動を取れば良い。恋愛感情抜きにしても、仲良くしたいならそれなりのアプローチを図るのが適切なやり方だ。どちらにせよおにいちゃんが迎え撃つけど。

 でも、当の真金埼はよくわからないタイミングで突然接触してくる。しかもやたら距離感が近い。馴れ馴れしいとかじゃなくて、物理的に。

 故に俺は危惧している──こいつ、まさかうちの可愛い可愛い大事な千代子をキープ枠、詰まるところの都合の良い女にしようとしてねえかってな。


「……どうも、お久しぶり。そっちにうちの千代子が来てるって聞いたもんでね。一刻も早く顔見たくて押し掛けちゃった」

「む、もしや君はまもる君か」


 こいつ、昔からだけど何故か俺のことを衛君呼ばわりしてきやがる。一応、というか確実に歳上の先輩なんですけど? どういう立場から下の名前で君づけしてるの?


「最近姿を見ないと思っていた。てっきり家を出たものかと」

「まっさかー、交換留学に行ってただけだよ。で、千代子は? いるんだよね?」

「ああ。上がっていくか?」

「ここで千代子を引き渡してくれるなら、その必要はないけどね」


 俺の言うことを真金埼が素直に聞き入れるはずもなく、ではこちらだ、と当然のように門戸を開ける。不本意ではあるけど、ここは真金埼家にお邪魔するより他にない。

 靴を脱いで内部に上がれば、蚊取り線香のにおいが鼻先を掠めた。豪邸とは言えないけど、昔ながらの日本家屋である真金埼家に似つかわしいにおいだ。歩く度に軽く軋む床板も、このシチュエーションだと思えてくる。

 真金埼が向かった先、茶の間に千代子はいた。課題か何かに取りかかっていたのか、手元にはノートと参考書が開かれている。休日も勤勉な妹、なんてえらいんだろう。おにいちゃん誇らしいよ。


「おにいちゃん?」


 どうしてここに、とでも続けたかったんだろうけど、千代子は俺が今日帰ってくることを思い出したらしい。何度か瞬きをしてから、すぐに眉尻を下げる。


「わ、わざわざごめんね、こっちまで来てもらっちゃって。時間、確認しておけば良かったね」

「気にしない気にしない、俺が待ちきれなかっただけだから。てか、千代子とあいつってこんなに仲良かったっけ? 見たところ勉強会って感じだけど……学校違うよね? どういう経緯いきさつ?」

「俺が誘った。飲み物は何がいい」


 いつの間にか台所に行っていたらしい真金埼が、氷の入ったグラスと冷えた二リットルの水、それから多種多様なインスタント飲料の粉をちゃぶ台に置きながら問いかける。カフェオレに抹茶ラテにココアにキャラメルラテにいちごミルク──と、今は飲み物を吟味してる場合じゃない。


「誘った? お前が? こういうのって定期的にやってんの?」

「いや、千代子を家に呼ぶようになったのは最近だ。勉強会だけではなく、単に夕飯や菓子を共に食べるだけの日もある。その時々で目的は異なる」

「ふ~~~~ん。まあ別に? 千代子が嫌じゃないならいいんですけど? なんで最近になっていきなりお近づきになった訳? お前、千代子のこといいように使い捨てようって魂胆じゃないだろうね?」

「む、それは誤解だ衛君。俺は心から千代子と親睦を深めたいと思っている。ところで飲み物は何にするつもりだ。水が温くなる」

「誤解? じゃあおにいちゃんが納得できるように説明してもらおうじゃん。キャラメルラテ」

「キャラメルラテか、ありがたい。我が家には甘党が少ないから、残るばかりで困っていたんだ」


 グラスに粉と水を注ぎ込み、金属のスプーンでからんからんと音を立てて混ぜながら、真金埼は切り出す。


「多少割愛させてはもらうが、俺は再び千代子と親しくなりたいと思い始めた。やましい気持ちは一切ない。以前のように、幼馴染みとして交歓できたのなら、それで満足だ。無論、千代子の本意でないことはしていない」

「こいつはこう言ってるけど、千代子としてはどう? おにいちゃんがいるんだし、包み隠さず本音をぶつけちゃっていいよ」

「ほ、本当に何もないよ。真金埼君には、お世話になってばかりだし……これくらいなら、私も嫌じゃないよ。むしろ、こっちが迷惑をかけてて申し訳ないくらい。突然話しかけてくる回数が増えて、びっくりしたのはあるけど……」

「驚かせてしまっていたか。すまない。具体的にはどの辺りだろうか」

「ええと、うちの高校に連絡もなしに来た時は驚いたかな……」

「お前何してんの?」


 威圧感マシマシ巨大人間がアポなし訪問とか怖すぎるだろ。何がしたくてそんなことを……?


「すまない……どうしても千代子の顔を直接見たくなってしまった。次からは連絡してから行く。そのために連絡先を交換したからな」

「交換というか、うちにお手紙を投函した感じだけどね……」

「良いだろう、結局お互いに連絡先を登録できたのだから」


 なんか所々に聞き捨てならない部分があるけど、いちいち突っ込んでたらきりがなさそうだ。水の分量を若干間違えてるからか、微妙に薄味のキャラメルラテを呷って気分を落ち着かせる。

 真金埼の言動がぶっ飛んでるのは昔からだ。浮世離れしてるというか、非常識というか……でも、不思議なことに千代子は困惑しながらも何だかんだ受け入れる。だから俺も、千代子がいいなら言及するのは野暮かなって気持ちになる。


「衛君、昼食はもうとったか。良ければうちで食べていかないか。留学の話などを聞きたい。どこへ行っていたんだ」


 そして、毎度のことながら真金埼はこちらの懸念などつゆ知らずといった様子で絡んでくる。真顔のまま、矢継ぎ早で質問を投げ掛けてくる。

 できることなら、さっさと千代子を連れて退散したいところだけど……当の千代子に止める気配はない。それどころかにこにこしながら見守っている。悲しいことだけど、真金埼に対する危機感はないみたいだ。

 ああもう、本当に、心の底から不本意ではあるけれども、こうなったら仕方ない。妹を大の男とひとつ屋根の下で二人きりにさせる方が問題だ。ここはおにいちゃんとして、妹のセコムに徹するとしますか!


「イギリスだよ。お前が面白いと思う話ないかもしれないけど、どうしてもっていうなら千代子に免じて聞かせたげる」

「えっ、私……?」

「ありがとう、衛君。昼食は冷やし中華で良いだろうか。あちらは食事の質が低いと聞いている。久々の日本食で舌を慣らして欲しい」

「お前何様のつもり?」

「……? 真金埼様だが……」


 やっぱりこいつやだ! マイペースにも程がある!

 真金埼が生涯イギリスの土を踏まないことを願いつつ、できるおにいちゃんこと俺は千代子の苦笑いに免じて今回は許してやることにした。紅茶と茶菓子とフィッシュアンドチップスは美味しかったんだからな。

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