第17話 半年/片平さんは紫煙を燻らせる

 日中は蒸し暑いが、朝晩は一気に気温が下がることもあってか過ごしやすい。特に、日が完全に沈みきった時分は散歩に最適だ。

 何もなければ家業の駄菓子屋を閉め、凝り固まった体を慣らすつもりで外に出る。今日は天気もいいし、家からちょっと離れた公園に行こう。近所を歩き回るのも気楽でいいが、いかんせん座れる場所が少ない。喫煙所はもっとない。一服するには、ある程度設備の整ったでかい公園に行くのが一番だ。

 歩き煙草は嫌煙のきらいがある奴にうるさく言われそうだから、ベンチに座るまで我慢する。これでもだから、小うるさい連中にも配慮してやる。えらいだろ?

 さて、公園に着いたことだし、喫煙所に一番近いベンチに向かう。必ずここじゃなきゃダメって理由はないが──いわゆるルーティンみたいなもの。アタシには確認しなきゃいけないことがある。


「……お、いたいた」


 口の中だけで呟き、アタシはベンチへと歩を進める。最近見なかったけど、今日はお互いに予定が合ったらしい。待ち合わせしてる訳じゃなくて、いつも行き当たりばったりなんだけども。

 二、三人分の間を空けて同じベンチに座っているのは、県内でも有数の進学校の制服を着た女の子。見た目も眼鏡に黒髪と真面目っぽい。少なくとも、夜遊びするような子には見えない──けど、この子は時々夜の公園で見かける。話したことはないが、アタシは心の中で眼鏡ちゃんと呼んでいる。安直かな。まあバレてはないと思うし、別にいいだろ。

 初めて会ったのは、大体半年前。正月に親戚が集まって、色々面倒だから家を抜け出してきた先で、マフラーに顔を埋めながら座っている眼鏡ちゃんに出会った。それ以降、この公園に一服しに来た際は、眼鏡ちゃんがいないか探すようになった。

 眼鏡ちゃんは、ただ座っているだけのことが多い。何か考え事でもしているのか、表情はいつも物憂げだ。その場のライブ感で学生生活を過ごしていたアタシと違い、進学校の生徒さんには彼らなりの悩みがあるのだろう。

 そんな眼鏡ちゃんだが、今日は珍しく携帯を手にしていた。うつむいたまま微動だにしないのがデフォルトだったから、今日の行動パターンはレアなのかもしれない。


「……本当にかかるのかな……」


 青白い光を放つ画面とにらめっこしながら、眼鏡ちゃんが小さく呟く。アタシの存在に気付いているかはわからないが、今は携帯に集中しているんだろう。アタシの方には見向きもしない。

 ちらっと横目で様子を窺ってみると、眼鏡ちゃんの片手には何やら可愛らしい便箋がある。そこに記された番号にでもかけるつもりなんだろうか。不安げな顔をしているが、相手が電話を取れない状況にあるか、あるいは番号自体に誤りでもなければ、そう心配せずとも繋がるはずだ。

 だから、口ではあんな風に言っているけど──実のところ、眼鏡ちゃんの不安要素は電話が繋がるか否かではなく、その相手にあるのではないかとアタシは推測する。

 いい年して盗み聞きなんて趣味が悪いって? そんなのアタシだって理解してるよ。でもでも、いつもひとりで悲しげな顔をしてる顔見知りの女の子が、珍しく顔をして携帯を握ってたら興味のひとつも湧いちゃわないか?

 さて、そんな眼鏡ちゃんは相変わらずアタシを見遣ることもなく、受話器を耳元に当てた。どれだけ緊張してるんだろうか、やけに神妙な顔付きだ。一体誰に電話をかけているのか、お姉さん気になっちゃう。


「……もしもし、真金埼君?」


 真金埼君……えっ、真金埼って、もしかしてうちの近くにある高校の? よく横断幕に名前が挙がってるし、この辺りじゃちょっとした有名人だからアタシでさえも存在を存じ上げている。何でも、とんでもなく強い剣道の選手なんだとか。

 アタシが知っている真金埼と、眼鏡ちゃんが電話をかけている真金埼が同一人物とは限らない。……けど、なかなか聞かない苗字だし、同一人物じゃなくても関係者という線はあり得るのではなかろうか。


「あ……もしかして、ロードワークしてる? ごめんね、変なタイミングで電話して。もう切るね……え、そのままでいい? 電話しながらでも走れる? そ、そう……それならいいけど……」


 どうやらお相手は走り込んでる真っ最中のようだが、どういう訳か通話を続行することになったらしい。しかもお相手様からのご要望。歩き煙草ならぬ歩き通話って色々大丈夫なの? と気になるところだが、アタシはただの傍聴人。とりあえず煙を吐き出して続きを聞くことにする。


「あの、ごめんなさい、本当にこれといった理由がある訳じゃないの。真金埼君、うちのポストに手紙入れてくれたでしょう。それで、その、どこかで試しに電話をかけてみようと思って……。いきなりのことだから、びっくりしたよ。もしかして、おばさんか、おかあさんに何か言われた? ……え、自己判断? でも手紙には緊急連絡先って……。そ、そんなの悪いよ。真金埼君に頼りっぱなしっていうのは、申し訳ないというか……。幼馴染みってだけでそこまでしてもらうのは、何というか……フェアじゃないと思う……。私も、真金埼君に何かしてあげないと、釣り合いが取れないよ」


 声だけでもそうとわかる程、眼鏡ちゃんは困惑している。眼鏡ちゃんが喋っているところは今日初めて見聞きした訳だけど、何というかイメージ通りだ。おとなしくて、言葉遣いも柔らかい。思ったよりアセアセしてるけど、誰に対してもこうって訳じゃなく、真金埼にだけこういう態度なのかもしれない。

 しかし、眼鏡ちゃんはやけに申し訳なさそうというか、お互いの利益が釣り合うことに固執しているように思える。世話を焼いてくれる相手がいるなら、見限られない程度に頼ってみても良さそうだけど……おとなしそうに見えて、眼鏡ちゃんって結構自立心が強いタイプ?


「気にするなって言われても……いや、ごめん、真金埼君にはきっと、真金埼君なりの考えがあるんだよね。勝手なこと言って、本当にごめんなさい」


 うーん、眼鏡ちゃんってば、さっきから誤ってばっかりだ。押しが弱い……というよりは、衝突そのものを怖がってる? でも、不承不承折れてるようには見えないんだよな。


「うん、えっと、そういう訳だから、ちゃんと繋がって良かったよ。じゃあ迷惑になるだろうし、そろそろ──えぁ、い、今? えと、い、家にいるけど……」


 おっと、真金埼の奴、さては眼鏡ちゃんの痛いところを突いたな。

 いかにも真面目ちゃんな眼鏡ちゃんは、夜歩きしていることに後ろめたさを感じているのだろうか。一気に焦り始めた。お相手の真金埼には見えないだろうが、今の眼鏡ちゃんは面白いくらい目が泳いでいる。勢い余って立ち上がっちゃったし、傍から見ている分にはめちゃくちゃ面白い。


「ちが、あああ、えっとね、もう帰るところだから! ほんっ、本当に真金埼君は気にしなくていいからね。ところで真金埼君は今どの辺りを走って……え⁉ なな、なんで中央公園にいるってわか……! ……っ!」


 大混乱の様相を極めている眼鏡ちゃんは、声にならない悲鳴を上げてすとんとベンチに腰を下ろした。座ったのではなく、力が抜けてしまったんだろう。ちょうど背後にベンチがなかったら、地面に尻餅をついていたところだ。

 そして確かな足音と共に迫る人影。かなりでかい。遠目からでもアスリートみたいな体格だとわかる。街路灯の光に映し出されたそのシルエットは、並々ならぬ威圧感を醸し出している。


「ま……真金埼君、どうしてここに……?」

「偶然だ。いつものコースを走っていたら、ちょうどお前の姿が見えた。……こんなところにいたのだな」


 眼鏡ちゃんの前まで歩み寄った真金埼は、今まで走っていたとは思えない程の落ち着いた声色でそう告げた。呆然としている眼鏡ちゃんに向けて、ゆっくりと手を差し出す。


「ご……ごめんなさ、」

「怒っていない、謝るな。ただ、一人で夜間に出歩かれると心配になる。帰ろう」

「…………」

「思うところがあるのなら、俺の家に泊まって行け。空いている部屋も、来客用の布団も用意できる。家族の皆も、お前ならば歓迎するだろう」

「……いいよ、これ以上迷惑はかけられない。帰るよ」

「そうか。では送っていこう」


 明らかに本意ではなさそうな眼鏡ちゃんだけど、真金埼は特に言及することなく、変わらず手を差し出し続ける。これはスルーできないと思ったのか、眼鏡ちゃんもまた彼の手を取って立ち上がった。

 並んで歩く二人の後ろ姿は、同年代とは思えないくらいに差がある。でっかい真金埼と、小さな背中の眼鏡ちゃん。先の電話から二人は幼馴染みとのことだったけど、それがわかっていてもミスマッチな組み合わせだと思わずにはいられない。

 ふうっと煙を吐き出し、アタシも帰ることにする。アタシくらいの大人になればある程度は自由にやれるものだが……ま、若人には若人なりの悩みがあるもんだ。名も知らぬ眼鏡ちゃんよ、健闘を祈る。

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