第14話 さやかな/燕沢君は疲れ切る

 さやか。形容動詞。冴えて明るいさま。音や声がよく聞こえるさま。爽やかなさま。はっきりしているさま。

 古文の単語帳を開きながら、これほどうちの先輩にぴったりな表現はないと独りで確信する。明るいとか眩しいとか、色々な風に言われているのを聞くけど、それら全てをひっくるめた言い表し方だ。

 さやかな人──すなわち花鶏先輩は、つい最近もそのまばゆさで人を狂わせた。うちのクラスの田子心結が一世一代の告白として差し出したラブレターに対し、ごめん無理! といっそ爽快なくらいばっさりと切って捨てたのだ。おかげでここ数日、田子の周りだけお通夜みたいな雰囲気が漂っている。今だって絶賛お通夜中だ。


「あのクソうるせえ先輩の何がいいんだろうな。悪趣味だろ」


 ……と、田子の耳に入ったら一発殴られるのは必至な発言が友人の口から飛び出す。幸い今は昼休みで、教室がざわついているから事なきをえたけれども、時と場合によってはこいつを売らなければならないところだった。


「人の好みには色々あるんだよ。お前は辰ヶ杜の真金埼さんみたいなのが好きかもだけど、皆が皆そうとは限らないじゃん」

「あ? 真金埼さんは万人から好かれるに決まってんだろ」

「相変わらず過激派だなあ……。同担無理なくせに」

「当たり前だろ。おれは真剣に真金埼さんをリスペクトしてるけど、軽々しい理由の追っかけなんて山ほどいるんだからな。真金埼さんの役に立つこともなく引っ付いて回ってる奴は皆くたばれば良い」


 出席番号が近かったので交流を得ることとなった友人こと高森だが、人よりも少し──いやかなり思想が強い。なんでも、他校の選手──真金埼律貫にぞっこんなようで、暇さえあれば自分の推しがどれだけ素晴らしいかというプレゼンが始まる。俺は部外者で、剣道にもあまり詳しくないから一歩離れて面白がれるけど、剣道部のチームメイトたちは苦労してるんだろうなあ。

 こうして人の心を突き動かしていると考えると、真金埼も花鶏先輩と似たようなものなのかもしれない。高森いわく、真金埼は花鶏先輩みたいに騒がしいタイプじゃないらしいけど──俺みたいな一般人からしてみれば、口数の多い少ないに関係なく中心にいる人物ってことに変わりはない。

 とにかく、田子は花鶏先輩にフラれた。フった張本人と同じバスケ部に所属している身としては、あの人は遠目から見てた方がいいので、結果的に田子は救われたのではないかと思う。こんなこと、高森じゃないし絶対口に出せないけど。


「にしても、お前の先輩ってあんなんなのに割と人気あるよな。なんで?」


 紙パックのカフェオレを吸い込み、ぷはっと息を吐き出してから高森が問いかける。黙っていれば線の細いイケメンに見えないこともないのに、どうして四方八方に喧嘩を売るような発言をするのだろう。まあ、多少気心が知れているが故の暴言とはわかっているけれども、聞き手側としてはひやひやする。

 真金埼と彼に関わる人間以外にほとんど興味がないと言っても良い高森でも認識している程度に、花鶏先輩は人気がある。田子のように告白した奴も、一人や二人じゃない。その度に一刀両断されているのを見ると懲りないなあと思うけれど、ありったけの望みを懸けてしまえるだけの魅力があの先輩にはあるんだろう。


「まず、顔がいいからな。背も高いし、運動部だからただひょろっと細長いだけじゃないし。見た目が華やかだからいいなって思う女子も多いんじゃないの」

「は? あの先輩って百八十そこらだろ。真金埼さんどころかお前よりも小せえのに何がいいんだよ。顔だって、真金埼さんの方が凜々しくて見栄えするし、筋肉だって真金埼さんには及ばねえ。要するに真金埼さんの下位互換じゃねえか」

「はっ倒されても文句言うなよ。いいか高森、お前の好きな真金埼さんはこう……後援の対象だろ? 軽々しくお近づきになれる相手じゃない。お前みたいな強火信者はそれがいいんだろうけどさ、健全な学生さんは普通好きな相手を崇拝しないの。どっちかと言えば仲良くなりたいって奴の方がマジョリティだ。花鶏先輩にはその余地がある。一般的なカップルを想起する連中にとっては、雲の上の人物よりも距離感の近い憧れの先輩の方が恋愛対象になる訳よ」

「なるほどな。たしかに、真金埼さんをちんけな恋愛妄想に駆り出す奴なんていねえよな。いたら潰す」

「こわー。まあそもそもお前の細腕でどうにかできるのかって問題がある訳ですが」

「あ? やんのかクソのっぽ」

「う~わ~、暴力はんたーい。八乙女先輩に言い付けっから」


 部長の名前を出すと、さすがの高森もおとなしくなる。前は若干舐めてる感がなくもなかったけど、新体制での部活が始まって少しは見直したのだろうか。八乙女先輩は高森を制するための切り札になった。ちっと舌打ちし、高森は机に突っ伏す。


「くそっ……悔しいけどあの人には借りがあるんだよな……。仕方ねえから今はおとなしくしといてやるよ」

「そうして。あとお前は普段から真金埼さん以外にも敬意を持ちな?」

「アホか、それができたら光合成だってできる」


 だめだこいつ。よく運動部入れたなと今更ながら思う。こういう時ばかりは剣道部の緩さに感謝だな。


「何にせよ、よっぽどの理由なきゃ花鶏先輩とは付き合えないし、付き合ったところで苦労するのは目に見えてるから、田子には悪いけど今フラれといて良かったと思うよ。あの人、バスケ部の後輩としては尊敬してるけど、人間的なところを鑑みたらお近づきにならない方が良い人種だから」


 田子の失恋を喜ぶ訳じゃないけど、花鶏先輩が数々の告白を断ったと耳にする度に、俺を含めたバスケ部一同は──もしかしたら先輩の人となりを知っている先輩方も──ほっと胸を撫で下ろす。それだけ、花鶏先輩は厄介な人なのだ。

 別に、素行が悪いとか、誰も彼もに攻撃的とかではない。ある程度コミュニケーションは取れるし、意図的に危害を加えることはない。花鶏先輩にとっては、全部の言動の原点が善意なのだろう。

 でも、善意から来る言動が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。ついでに花鶏先輩は人の話を聞かないところがある。全部自己完結しているから、相手への考慮が欠ける。自分が納得した時点で、先輩の中では問題が解決していることになる。だから、付き合っている側はとにかく振り回される。バスケ部はその最たる被害者だ。

 あと単純に声がでかい。高森が何かにつけてうるせえうるせえと言うのも納得できる。もうすぐ……というか今日の放課後、新体制の部長会議──未だに三年生が引退していない部もあるけど、足並みを揃えるために七月の部長会議からは新しい部長が出席する手筈になっている──が始まるけど、同学年の部長の皆さんはさぞや苦労することだろう。

 ──あ、そうだ。同学年と言えば。


「先輩自身はバスケ一筋って感じだけどさ。女っ気が全然ないって訳じゃなさそーなんだよな。談話室行くと、女バレの月浦先輩といっしょにいること多いもん」

「月浦? 誰だそれ」

「お前マジ? 本当、剣道にしか興味ないのな」

「剣道っていうか真金埼さんに興味があんだよ。はき違えんな」

「自信満々に言うなよ……」


 どうか剣道部の皆さんの前では、憧れの人を見習って無口でいて欲しい。剣道は推しの付属品です、なんて言おうものなら、こいつは孤立待ったなしだ。

 ガサッと机の中に手を突っ込んだら、四月に配布させた部活紹介の冊子が出てきた。俺はスポーツ推薦で入ったから、関係ないと思って放置してたものだ。よれた角を見て、高森が顔をしかめる。こいつはちょっとしたところで神経質なのだ。


「これこれ、この人。全校集会でステージ上がることも多いし、顔くらいはわかるんじゃないの」


 女バレのページを開いて、月浦先輩を指差す。いつ見ても派手というか、華のある人だ。人の好みは色々だから断定的な言い方は良くないと思うけど、下手な芸能人よりも綺麗だと思う。談話室では涅槃像みたいな恰好でプランクしながら雑談してるけど。

 一目でそうとわかる程の美人を目の当たりにした高森は、一瞬目を丸くさせた後、うげ、と頬を歪めた。やっぱりこいつ、美的感覚おかしいのでは?


「こいつ……この前のド失礼な女じゃねえか……」

「ド失礼なのはお前な。我が校のスターの一人になんつー口を利くんだよ」

「だってこの女、真金埼さんに突っかかったんだぜ? 恥知らずにも程があるだろ……」

「そんな先輩にお前が突っかかった、と……。うーん、一番の恥知らずはお前じゃないかな」

「人生の指針を侮辱されたら抗議するしかねえだろ。お前みたいにのんべんだらりと日々を過ごしてる奴とは違うんだよ」


 さらっと俺をディスってから、それで、と高森は目線を上げる。


「この人、お前の先輩といい感じなんだって? 真金埼さんに二度と絡まねえって言うなら、おれとしては満足だけど」

「いい感じっていうか……最近寮とかで、花鶏先輩からやたら話しかけてるんだよな。教えて欲しいことがあるとか言ってさ。だから、もしかしたらって思って」

「二人とも次期部長なんだろ? だったら業務連絡じゃねえのか。お前、他人のこととやかく言えないレベルで恋愛脳だな」

「いやいや、そうでもないって。ここだけの話だけどさ、花鶏先輩、気になる女子がいるらしいんだよ。田子のラブレター受け取って、わざわざここまでフりに来たじゃん。その時、あの人なんて言ったか聞いてなかったのか? お前、田子と席前後だろ」

「寝てた」

「ヤバすぎ」


 とことん他人に無関心な高森の態度は、いっそ爽快ですらある。俺もこいつくらいドライでいられたら……いや、弊害の方が多そうだな。羨ましくはならない。

 とにもかくにも、花鶏先輩は律儀にも拒絶の言葉を直接伝えに来た。これも、花鶏先輩からしてみれば悪気なんてひとつもなくて、なあなあにするよりも自分の思いをはっきり伝えておいた方がいいだろうと気を利かせたが故の行動なのだろう。田子にとっては死の宣告というか、死体蹴りとも言える対応だった訳だけども。

 皆表立って騒ぎはしなかったけど、花鶏先輩の襲来はちょっとした事件として扱われている。クラスメートたちはその日一日気まずそうだったし、他のクラスの奴や、先輩たちからは現場にいたんだって? と面白半分に根掘り葉掘り事の成り行きを聞かれた。


「他に仲良くしたい女子がいるから、ってさ。その女子ってのが月浦先輩じゃないかと俺は踏んでるんですよね~」

「ふうん。この女の何がいいんだろうな」

「さすがに心配になってくるよ。高森の目、節穴?」

「真金埼さんと比較したら足りねえ部分ばっかりじゃねえか。逆にこいつが真金埼さんに勝ってるところってあるか?」

「そりゃあるでしょ。お前、一編月浦先輩のスパイク食らってみなよ。道場組は知らないかもだけどさ、第二体育館の前通ってみ? 地鳴りみたいな音するから」

「それは言い過ぎだろ。体育館の床ベッコベコになるわ」

「それくらいの実力があるってことだよ。運動部のエース同士だし、お似合いなんじゃないかって俺は思う訳。バスケにしか目のない花鶏先輩が目を付けるなら、やっぱり運動神経じゃねーかなって」

「えー、違う違う! オレが気になってんのは月浦じゃないよ!」

「それはさすがに…………は?」


 明るい否定の言葉は、先程まで話していた高森の声とは異なるそれで。俺は流れで相槌を打とうとして、違和感に気付く。同時に、前の列の方からガシャン、と何かがひっくり返る音がした。

 ……嘘だろ、なんでいるんだよ。


「……花鶏、先輩。なんでいるんですか……」

「よー、燕沢つばめさわ! なんでって、お前鍵当番だろ? 今日さ、部長会議あるからオレ遅れるじゃん? 遅れた分、ギリギリまで残って自主練したいから、鍵はオレのロッカーのところに置いといてって伝えたかった!」


 渦中の人、花鶏先輩はこちらの気まずさなど意に介した様子もなく、ニカッと白い歯を見せて笑う。この手の人物に苦手意識──というよりは嫌悪感?──を抱いている高森が、俺の単語帳を盾にしているのが見えた。たしかに花鶏先輩の笑顔って、直射日光レベルの眩しさがありそう。

 まあ、こういう業務連絡はよくあることだ。気付けなかった俺に非がないとは言い切れない。

 ……とはいえ、フった女の子がいる教室にずかずか入れるのもどうかと思うけど。案の定、フラれた田子は椅子ごとひっくり返って撃沈している。失恋の傷はまだ癒えないらしい。


「……すみません、わざわざ連絡ありがとうございます。鍵、先輩のとこに置いときます」

「うん、頼むわ! あと、月浦とは仲いいけど付き合うとかそういうんじゃないよ。オレ、どっちかっていうと月浦の友達が気になんだよなー。荒鷹っていうんだけどさ、燕沢は知ってる?」

「んぐぇ」


 せっかくスルーして何事もないように受け答えしたのにこの先輩は……と呆れていたのも束の間、荒鷹という苗字が出た瞬間、高森が蛙にしたってそんな声は出ないだろって呻き声を上げた。よくよく見たら単語帳は逆さまだ。


「なーなー、お前燕沢の友達? 荒鷹のこと何か知ってる?」


 そして、当然ながら花鶏先輩が高森の異変を見逃すはずがない。単語帳に鼻先を突っ込んでいる高森を覗き込み、先輩は至近距離からキラキラとした期待の眼差しを浴びせかける。これ、人によっては相当な大ダメージを受けかねないんだよな。花鶏先輩の狭すぎるパーソナルスペースのせいで、何人が勘違いにより脳を焼かれたことか……。


「委員会が同じってだけです。当番は違うし話したこともありません。あと荒鷹先輩には命と同じくらい大事な幼馴染みがいるらしいんでやめた方がいいですよ」

「へーっ、そうなんだ! そいつに話聞いたら荒鷹のことももっとわかるかな!」

「雲の上の人なんで迂闊に近付けないと思いますけどね」

「雲の上? もう死んでるってこと?」

「真金埼さんを故人にすんじゃねえ‼」

「すみません花鶏先輩、こいつ癇癪持ちなんで……」

「そっか! わかった!」


 何がわかったというのだろう。隙あらば花鶏先輩の胸ぐらを掴もうとする高森をどうどうと宥めながら、俺はいつだって周囲を振り回しては笑顔を絶やさない先輩を横目で軽く睨む。多分この人は他人の……というか、俺や他のバスケ部の奴らの心中なんてわからない。わかっててこの言動だったら普通に怖い。


「じゃあ、鍵のことは伝えたから! よろしくなー!」


 こちらの心労などつゆ知らず、花鶏先輩はご機嫌で教室を出て行った。いつものことながら破天荒過ぎる。部活以外で接する方が疲れるってどういうこと?


「……おい鶴巣、笑ってんじゃねえ」


 やっとおとなしくなったかと思ったのに、高森の不機嫌はまだまだ健在らしい。今度は後ろの席でうつ伏せになっている鶴巣さんに絡み始めた。

 昼休みはいつもお昼寝に費やしている鶴巣さんだけど、今は僅かに肩が震えている。さてはこの子、盗み聞きしてたな。


「……笑ってないよ。寝相だよ」

「嘘こけ、嬉しそうなの見え見えなんだよ。お前、田子がああなってからずっと上機嫌じゃねえか」

「……ぐう」

「寝たふりしてんじゃねえ」

「だって面白いから。……あ、これ寝言ね」

「だってさ。そっとしときなよ」

「ばかじゃねえのかお前」


 高森の狂犬ぶりもいかがなものかと思うけど、鶴巣さんもなかなかいい性格をしている。今だって、うつ伏せのままくつくつ笑ってる。人の不幸で笑顔になるんじゃないよ。

 このクラスに、ツッコミ専門の奴とかいないのかな。叶わぬ願いに思いを馳せつつ、俺はやんわりと高森から単語帳を取り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る