第13話 定規/花鶏君は努力を誓う

 実物を見たことはないけど、神様みたいな奴はいる。オレの、すぐ後ろに!


「荒鷹ってさ、オレの神様だよなー!」


 六限が終わり、皆が帰る準備をしたり部活に向かったりする中で、オレは真っ先に後ろを振り返った。いつもすぐ教室を出て行っちゃうから、早めに言っとかないと。

 荒鷹千代子は、オレの後ろの席にいる女の子。頭良くて、ちっちゃくて、それですげー優しい! 今日だって、オレのことを助けてくれた。今日だけじゃない、オレが困ってる時、荒鷹は助けになってくれる。オレが何度となくピンチを乗り越えられたのは、荒鷹のおかげだ。

 リュックサックにノートをしまっていた荒鷹は、きょとんとした顔でオレを見た。大きい眼鏡の向こうで、目がまん丸になっている。いっつも困ったみたいな苦笑いばっかりな荒鷹だから、こういう顔を見られるのはなんだか嬉しい。


「お、大袈裟だよ、花鶏君。定規くらいなら、いつだって貸すよ」

「大袈裟じゃねーって! 本当に助かったんだよ。フリーハンドでやってたら、絶対怒られてたもん。だから荒鷹はオレの救世主! 神様ってこと!」

「そこまでのことはしてないと思うけど……」


 オレが熱弁しても、荒鷹は納得してくれない。オレたちの意見はすんなり受け入れるのに、自分が褒められるってなると急に謙遜し出すのが、荒鷹という人間だ。褒められたら嬉しいオレとしては、荒鷹の反応が不思議で仕方ない。

 荒鷹はついさっき──六限の地学で、オレに定規を貸してくれた。今日は小テストがあって、ちょうど定規を使わないといけなかったんだけど……昼休みに筆箱を落っことした拍子に、オレの定規は割れてしまった。

 地学の坪センこと坪沼は、忘れ物にうるさい。忘れた訳じゃないって言っても、信じてくれないと思う。もし坪センの機嫌を損ねて、放課後説教でも食らったら……部活の時間が削られる! それだけは絶対に嫌だ! せっかくインターハイ行きが決まったのに、バスケできないなんてあり得ねえ! 死んじゃうかもしれない!

 そんな大ピンチのオレに、荒鷹は手を差し伸べてくれた。荒鷹は定規セットを一式持っていて、三角定規もあるからと、オレに定規を貸し出してくれたのだ。借りられるなら三角定規でも、何なら分度器でもいいって言ったんだけど、荒鷹は普通の定規を渡してきた。こうして、オレはピンチを脱することができたんだ!

 気を付けてはいるんだけど、オレはついついものを忘れてしまう。寮暮らしだから取りに行こうと思えばできなくもないけど、気付くのはいつも授業の直前。そういう時、荒鷹は気前よくオレをフォローしてくれる。眠くて撃沈してる時、後ろからつついてくれるし、しかも当てられるちょっと前に起こしてくれる。荒鷹のおかげで、オレは部活の時間を制限されずに済んでいると言っても、か……か……なんだっけ、とにかく助かってる。


「今に始まったことじゃねーけどさ、荒鷹って優しいよな! すっげーいい奴だと思ってる! オレいっつも世話になってるしさ、何かお礼したいんだけど、どう? 何かして欲しいこととか、欲しいものとかある?」


 荒鷹への貸しは溜まりに溜まりまくっている。この前なんて、入れ違えられてたオレ宛の手紙をわざわざ届けてくれた。もらってばっかじゃダメなことくらい、オレだって知ってる。どこかのタイミングで恩返ししたいって、ずっと思ってた。


「え、いいよそんな、大したことしてないもの。これくらい、普通のことだよ」


 でも、荒鷹はいつもこう。当たり前とか、普通とか言って、オレのことをかわす。その後に、部活に行かなくていいの、と聞いてくることもある。

 たしかに部活は大事だ。……大事だけど、今は荒鷹に感謝の気持ちを伝えたい!そんで、何かちゃんとした形でお礼もしたいの!

 いつもはこのまま帰られるのがオチだけど、今日のオレは一味違う。荒鷹の机で頬杖をついて、およそ半分を占領する。これで帰りの支度を少し邪魔できるはず。……邪魔してごめん! でもお礼したいから許して!


「荒鷹にとっては普通のことかもしれないけどさ、オレは心から感謝してるよ。そのお返しがしたいってだけ。な、荒鷹のメーワクになるようなことはしないから、お礼させてよ」


 頬杖をついているうちに肘が疲れてきたので、ぐでんと腕を伸ばしてそのまま机に顎を乗せる。今日は体育なかったし、いつもより臭くない……と思う! あっ、でも朝練はあったな。机、汗臭くなったらごめん! 話が終わったらちゃんと拭くから!

 荒鷹はますます眉毛を下げた。うーん、と首をかしげて、遠慮がちにオレを見る。

 そういえば、荒鷹は目を合わせてくれない。オレは人と話す時、まっすぐ目を見るようにしてるけど、荒鷹には毎回逸らされる。意識しちゃうくらい、明らかに。

 オレはそんなことないし、むしろ好きな方に入るけど……もしかして、もしかしたら。


「なあ、荒鷹ってオレのこと嫌い?」


 そうでなかったらいい、と思いながら、試しに聞いてみる。上手い聞き方がわからないから、特に飾らず質問した。

 荒鷹はびっくりしたように目を見開いた。カタン、と椅子が小さく音を立てる。


「ど──うして、そう思ったの。そんなこと、ないよ」


 一瞬息を詰まらせて、荒鷹が聞き返す。目線はきょろきょろ動いていて、追いかけても目が合うことはない。

 図星だったのかな。もしそうなら、結構悲しいかも。でも、聞いちゃったからにはなかったことにできない。荒鷹の気持ちも大事だしな。


「んー、絶対こう! ってことじゃねーんだけど……。まず、荒鷹って目ぇ合わせてくれないじゃん? それに、オレとの会話、できるだけ早く終わらせようとしてる。いや、オレだけに限ったことじゃないかも。三組の月浦とか、六組の越路にはそんなことないけどさ、クラスの奴と話す時も、なんか壁あるんだよなー。オレの気のせいかもだけど」

「そう……かな。あまり気にしたことないから、よくわからない。でもね、嫌いって訳じゃないよ。人と話すのが苦手ってだけ。ごめんね、嫌な思いさせてたなら……」

「あー、違う違う! オレは嫌じゃないよ! ちょっと寂しいってだけ!」

「寂しい?」


 荒鷹が不思議そうな顔をする。何かあるとすぐに謝って、申し訳なさそうな顔をするから、オレとしては今の状態をキープしておきたい。本音を言えば、笑ってくれるのが一番いいんだけどなー。


「うん、だってオレ、荒鷹とは仲良くやっていきたいからさ。避けられたら悲しくなるよ。荒鷹も同じ気持ちって訳じゃねーだろうし、合わせなきゃいけないってことはないけど! 個人的に、関わる機会は逃したくないなーって思ってる!」

「私と、仲良く……? あの、私、花鶏君の役に立てる場面ってそんなにないと思うけど……」

「メリットなきゃ友達になっちゃいけないってことはないだろー。それを言ったら、オレは荒鷹に頼ってばっかりで、デメリットだらけだよ」

「そ、それはそうかもしれないけど……でも、私たちは立場が違いすぎるよ。鼎ちゃんや、星良ちゃんだって……本当なら、私には二人といっしょにいる資格なんてない。二人だけじゃない……理由もなく仲良くしていい人なんて、私にはいないから。だから、気が引けるってだけ。──あ、あのっ、花鶏君は何も悪くなんてないから、今の話は忘れて、」

「──そっか、オレわかったよ!」


 何か困ることでもあるのか、荒鷹は矢継ぎ早に言い訳するけど、オレは何も気にならなかった。どっちかって言うと、答えがわかって気持ちいい。

 ぐっと荒鷹に顔を近付ける。聞こえなかったら困るから。荒鷹の喉が、ひゅっと細く鳴った。


「荒鷹、嫌ってるんじゃなくて、怖いんだな!」


 そう伝えれば、あっちこっちに行っていた荒鷹の視線が固まった。

 あ、ちゃんとオレのこと見てくれた。ちょっぴり嬉しくて、口元が弛む。

 きっと荒鷹は怖いんだ。人と話すこと、人と関わることが。だからいつでも逃げられるように、一定の距離を取ってる。ここからは入っちゃダメっていうラインが決まってて、そこから先には踏み込ませない。だから、オレはずっと荒鷹を遠く感じてたんだ。

 嫌われてるんじゃなくて良かった。怖いだけなら、いつか怖くないんだってわかってもらえるかもしれないから。立ち入り禁止のラインを、少しずつ縮めていけたらいいな。


「こ──怖くなんて、ないよ」


 荒鷹はそう言うけど、本当は怖いんだろう。笑顔が上手く作れてない。

 オレはそっと荒鷹から離れた。もともと小さい荒鷹だけど、今はいつもよりずっと縮こまって見える。小動物みたいで可愛いなーって時々思うけど、今日くらい強く思った日はない。なんか、口に含みたくなる可愛さがあるんだよな。荒鷹って、柔らかくておいしそう。


「とりあえずさ、オレ、怖くないように頑張るよ。荒鷹が平気だって思ったタイミングがあったら言ってくれな。その時、まとめてお礼するから!」

「え、え、あの、花鶏君。お礼とか本当に、大丈夫だから……」

「いーって、オレがやりたいの! それにさ、荒鷹とは仲良しでいたいし! だったら、片方が何かしてもらってばっかりってのは不公平だと思うんだよなー。そういう訳だから、オレこれから頑張るよ! 荒鷹に怖い思いさせないように!」

「そ……そう……。あの、本気で……?」

「本気じゃなかったら言ってねーよ! 本気も本気、マジメな話!」


 そっか、と小さな声で相槌を打って、荒鷹は慌てた様子で立ち上がる。まだリュックサックに荷物を入れ終えていないだろうに、急いでいるのか、何冊かのノートは手で持っている。


「あ、あの、私もう帰るから。花鶏君、今日のこと、そんな深刻に考えないで。私は、私は本当に、見返りが欲しくてこういうことしてる訳じゃないから」

「うん、わかってる! 荒鷹が親切で、いい奴だってことだよな! オレも、荒鷹と並べるように努力する! 努力は好きなんだ!」

「そ、そうなんだ……。じゃあ、その、ごめんね、失礼しました……」


 同級生だから敬語なんて遣わなくていいのに、荒鷹はやけに丁寧な話し方で教室を出ていった。毎回思うけど、どうして荒鷹は悪いことをしていない時にも謝るんだろう?

 まとめてのお礼はできなかったけど、今日は荒鷹のことが少しだけわかった気がする。怖がられてる以上、これから頑張らなくちゃいけないけど──うん、荒鷹と仲良くなれるならそれに超したことはないよな!

 荒鷹はオレの神様だ。だから逃げられないように、側にいてもらえるように、オレは努力しよう。当然、神頼みなんてしない。オレだけの力で、荒鷹を繋ぎ止めるんだ!

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