第10話 散った/清水小路さんは角から飛び出す

 左利きになりたい。

 十四年の人生、あたくしは基本的に満ち足りた日々を過ごしてまいりましたが、何もかも満足のゆく生活とは夢のまた夢。お父様やお母様には感謝しておりますし、大抵のことは努力と研鑽によって乗り越えなければならないとも自負しております。

 しかし、生まれ持った利き手だけは、自力でどうこうできるものではありません。由緒正しき清水小路家に生まれたあたくしではありますが、こればかりは自らの定めを恨んでおります。


 そう──あたくしは右利きなのです! 手だけではありませんわ。何なら足も右利きですのよ!


 これは由々しき事態だと思いません? 皆に聞いて回ったところで共感が得られるものではありませんから、ここで断定しておきます。非常に由々しき事態ですわ。

 世の中には両利きの方もいらっしゃると聞きますから、初めのうちは両利きを目指すこともありました。しかし、努力と根性だけではどうにもならないこともあるのだと、あたくしは思い知らされた──どれだけ頑張ったところで、あたくしの左手は右手に及ばなかったのです。

 ありとあらゆる手段を尽くし、あたくしは確信しました。これはもう、左利きの人物と意識を入れ替えるしかない──と。

 そもそも、何故左利きでなければならないのか? とあたくしに疑問をぶつける方も多くいらっしゃいます。正直に答えたところであまり納得はされないのですが……それでも、あたくしにとっては深刻な理由ですのよ。あたくしは左利きになることで、過去の雪辱を果たしたいのですわ。

 そう……あれはあたくしが中学校に入学して間もない頃。ずっと続けてきたバドミントン部に入部し、順風満帆の学校生活を送っていた中、そのイベントは開催されました──いわゆるクラスマッチですわ。

 あたくしは当然、バドミントン──男女混合のダブルスに参加しました。一年生であろうと、出場するからには優勝を目指さなければなりません。花形競技であるバスケットボールやサッカーに人員を割いているのか、バドミントンはビギナーが多い印象でした。優勝の余地は、決して低くなかったはずなのです!

 初戦をトラブルなく突破し、この調子で勝ち進もうと意気込むあたくしの前に、奴は現れました。荒鷹千代子──あたくしに左利きコンプレックスを植え付けた、張本人でしてよ。

 奴はあたくしよりも二つ上、当時は中学三年生でした。いまいち覇気がなく、不本意ながら選出されたのは火を見るよりも明らか。実際、彼女の動き自体はあたくしに及ぶべくもないもので、ペアの方が主だって動いていました。

 当然、俊敏に動かれる男性よりも、いかにも鈍臭い荒鷹千代子を狙うのが常道というもの。あたくしは返ってくるシャトルを思い切りスマッシュして差し上げよう……そう思っていたのですが、予想外の事態に見舞われてしまいました。


 ──読めないのです。


 荒鷹千代子に技術はありません。あたくしの方が上と断言できます。勿論、ペアの方がある程度お上手ということもあるのですが……荒鷹千代子の左腕から打ち込まれるシャトルは、軌道が読めない。向かう先がわかった頃にはもう手遅れで、拾えたとしても不安定な姿勢で打ち返すことになってしまうから、その直後にペアの方からスマッシュを決められてしまいます。

 うちのバドミントン部は、決して少数という訳ではありませんわ。しかし、所属されている部員の方は、皆右利きの方ばかり。対外試合では左利きの選手を見かけることもなくはないのですが、日常的に対戦することはできません。

 あたくしたちは、口惜しいことに敗北してしまいました。当時は今よりもずっと未熟でしたし、利き腕ひとつで何か変わるものでもないと、何度となく自分に言い聞かせたのですが……苦い経験とは、頭にこびりついて離れないもの。あれから、あたくしはずっと悩み続けました。どうすればあの記憶を塗り替えられるか、一生懸命考えて──荒鷹千代子と入れ替わろうと決意したのですわ。

 奴の家はばっちり把握しております。まがりなりにも、同じ中学校に通っていたのですもの。出身小学校は違いますが、徒歩で向かえない距離ではありませんわ。

 あたくしは夕暮れ時、塀の関係で死角が生まれる曲がり角に待機します。ここで荒鷹千代子を待ち伏せるという訳ですわ。そのまま全速力で激突し、額同士がぶつかることによって意識を入れ替えます。古典的なやり口ですが、他に方法が思い付かないのでこの手段しか取れません。

 入れ替われなかったら入れ替われなかったで良いのです。あたくしの気が済みますもの。これまで、あたくしは荒鷹千代子に一度も遭遇できていない……結果に関わらず、せめてその面だけでも拝んで、どのような形であれ雪辱を果たさなければ、あたくしはずっとかつての敗北を引きずったままですわ。それだけは何としてでも阻止しなくては!

 そう意気込んだのが功を奏したのでしょうか、この日は偶然にも下校する荒鷹千代子を捕捉しましてよ! FOOOO‼ YEAH‼ やっぱり継続はパワーになるんですのね~‼

 ちらっと盗み見た限り、荒鷹千代子は誰かと連れ立って帰宅する途中のようですわ。高校生だからって、色気付いているんじゃありませんわよ。三年間部活に打ち込んできたあたくしにとって、色恋沙汰とはアホらしくて仕方ないものです。決して羨ましくなんてなくってよ。


「ごめんね、わざわざ送ってもらっちゃって。電車代、本当にいいの?」

「気にしないでよ、あたしが好きでやってるんだからさ。それに、千代子と話せる時間が増えるのは嬉しいし? 帰りは軽く走ってくから、千代子が負担しなきゃいけないことなんてないよ」


 並ぶ身長の差から男性かと思っていたのですけれど……恥ずかしながら、あたくしは思い違いをしていたようです。気さくな調子で返すのは、女性のものと思わしき声。彼女が千代子、と呼んでいたので、初めに切り出したのが荒鷹千代子なのでしょう。世の中には色々な身長の方がおりますのね。

 それにしても──荒鷹千代子。見れば見る程、どうしてこの女に負けて、敗北をいつまでも引きずる羽目になったのか腑に落ちません。

 同行者がいるのは予想外でしたが──今更怯むこともありません。あたくしはついに、作戦を決行することと致しますわ。これで念願の左利きを手に入れるか、もしくは数年来の恨みを晴らすか──どちらにせよ、あたくしの望む結果に終わるはず。


「にしても、千代子は勉強熱心だよねえ。毎日残って自習してくなんてさ。しんどくないの?」

「ううん、私は帰宅部だし……勉強と部活を両立させてる人たちに比べたら、これくらいは普通だよ。詰め込まないと覚えられないっていうのもあるけど……」

「またまた~、千代子ってば頭いいのに謙遜するんだから! 謙虚なのはいいことだけど、やりすぎは卑下になるからやめときな? 大事な友達を悪く言う奴は許さないよ!」

「ご、ごめん……。でも、鼎ちゃんには及ばないよ。部活も頑張ってるのに、ちゃんと勉強もできるんだから。教科によっては、私よりもできるし……」

「向き不向きがあるってだけだよ。表立った成績だけが人の価値じゃないんだから、よっぽどの点取らない限りはいいと思うけどね~。ま、人には人の目標があるだろうし、あんまり他人のことばかり気にしても損だよ」


 二人の会話が近付いてきます。速度が落ちるようなことがあってはいけないので、あたくしはクラウチングスタートの姿勢を取ります──入れ替わりを試みるからには、最高速度でぶつからないと意味がありませんもの。

 荒鷹千代子──会話を盗み聞いただけですが、何故こうもパッとしないのでしょう。これで気が強く、自分に自信をお持ちの方なら、あたくしもまだ納得できたかもしれませんのに。よりにもよって、覇気のない、いかにも自分を下げてばかりの女に負けるなんて、ナンセンスにも程がありますわ。それもこれも、荒鷹千代子が左利きなことが元凶ですわ。

 出会い頭で走り出すようでは遅い。あたくしは地を蹴り、荒鷹千代子の額めがけて走り出します。ここから曲がり角を飛び出せば、荒鷹千代子には回避する暇もありません。

 さあ、観念なさい、荒鷹千代子。積年の恨み、ここで晴らさでおくべきか──!


「あ、」


 きたるべき衝撃を覚悟していたあたくしですが、痛みがやって来るどころか、何かにぶつかることすらありませんでした。進行方向にいるはずの荒鷹千代子が、ぶつかる直前になってふっと視界から消えたのです。

 減速することもできず、あたくしはある程度走り抜けてから、やっと止まることに成功しました。何が起こったのかと、息も絶え絶えに後方を振り返ります。


「──へぁ」


 何とも間抜けな音ですが、これはあたくしの口からこぼれました。走ったせいで熱を持っていた全身から、さーっと温度が抜けていきます。

 あたくしの振り返った先では、荒鷹千代子とその同行者がこちらを見つめていました。荒鷹千代子はこんな時までおどおどと、情けない顔をしていましたが……その同行者が問題でした。

 睨んでいる、と形容するのは甘すぎる程の眼差しが、あたくしに注がれます。これまで生きてきた中で、ここまでの敵意を浴びせられたのはこれが初めてです。ともすれば、次に同行者が動いた時、あたくしはこのまま攻撃されてしまうのではないかと──そう誤解する程に、彼女は殺気立っていました。

 荒鷹千代子との衝突が成らなかったのは、同行者が咄嗟に引き寄せたからでしょう。荒鷹千代子を守るように立つ彼女は、明らかにあたくしを敵と認識しています。でなければ、あんな目ができるものですか。


「おい」


 瞬きせず、同行者は呼び掛けます。地を這うような声色。逃げ出したいのに、何故か足が動きません。先程まで、あたくしは全力疾走していたのに。


「危ないなあ、気を付けなよ! 怪我したらどうすんのさっ」


 ──が、次の瞬間には先程までの圧迫感はどこへやら、同行者は明るい調子であたくしに注意しました。友人である、荒鷹千代子に語りかけるのと同じように。

 とんでもなくおそろしい方という印象を覆すことのできないあたくしは、素直にうなずいてその場を立ち去るしかありませんでした。大変情けないことではありますが、あの同行者の方におののいてしまったのです。

 あたくしは認識を改めます──荒鷹千代子は強敵であると。本人に力がなくとも、突破できない壁というのは存在し得るのですね。

 今日の作戦は失敗ですが、あたくしの望みはまだ散った訳ではありません。あたくしも荒鷹千代子もまだ生きているんですから、チャンスはまた巡ってくるはず。あたくしが満足するまで、何度だってリベンジして差し上げます。それまでせいぜい、腑抜けた顔で自らの難攻不落具合を知らないまま過ごしなさい、荒鷹千代子。

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