第7話 ラブレター/手倉田君は筆を揮う

 ──昼休み、美術室にて。


「エッエッ、千代子さん、花鶏くんにラブレター渡したんですかッ……⁉」


 教室中に響き渡る、上擦りすぎてひっくり返る声。それはおれと同じ美術部員、越路こえじ星良せいらのものに他ならない。

 部活の時とは比較にならないが、昼休みの美術室もそこそこ無法地帯である。というのも、美術部員とその友人がここで昼食をとったり、授業までの自由時間を過ごす場として利用したりするからだ。今日は越路、その友人である荒鷹千代子と月浦鼎が角椅子を寄せ合い、雑談に興じている。


「まさか。私と花鶏君、席が前後でしょう。花鶏君宛の手紙が私の机に入ってたから、正式な送り先に渡したってだけ」


 大体私に勝ち目ないよ、と付け加える荒鷹は、きっと苦笑いを浮かべている。おれは荒鷹の実力をよく知らないけど、彼女が気後れする理由はわかる気がした。花鶏あとりすばるは、常人では目が潰れてしまいかねないくらいに眩しい人だ。

 名は体を表すというけど、花鶏に関しては星団というより閃光そのものだ。めちゃくちゃ明るい。そしてその熱でおれたち一般人の脳を焼く。あっちに悪気はない。完全なる善意で辺り一面を焼け野原にする。そんな噂が絶えないので、おれは勝手に要注意人物に認定している。

 強豪と名高いバスケ部の4番パワーフォワードにして、誰にでも分け隔てなく気さくで、数多の学生の思考回路を破壊して勘違いを量産してきた男。彼に勇気を出してラブレターをしたためた本学の学生は、誤って荒鷹の机にラブレターを投函してしまったらしい。荒鷹もはた迷惑を被ったものだと思う。


「そういう訳だから、期待してたところ悪いけど、千代子に浮かれた話はないよ。残念でした」


 ぱんぱんと柏手を打って話を締め括ったのは月浦だ。彼女も花鶏側の人間だと思うのだが、どういう訳か越路と荒鷹の三人でつるんでいることが多い。この三人組は美術室の常連だ。二年から文理が分かれて、医学部志望の越路は理系にいったはずだから、クラスは別々なのだろうが……教室が離れたくらいで壊れる友情ではないのかもしれない。うーん、青春。

 それにしても、月浦はやけに嬉しそうだ。荒鷹に恋愛話がないことが、彼女にどんなメリットをもたらすのかは傍聴人のおれにはわかるはずもない。ただ、女子同士にあるというドロドロした腹の探り合いとはまた違った──純粋な安心感のように思える。


「べべ、別に残念がってなんかいませんヨッ! ただ、これが本当だったら、千代子さんは罪な女だな~と思って……。だってこの前、校門のところまで真金埼律貫くんが迎えに来てくれたっていうじゃないですかッ。彼を袖にするなんて、千代子さんはとんでもない人だったんだな~、と!」

「はん、わかってないねえ星良は! あいつ、ただの幼馴染みっぽいよ! 本人がゴリ押ししてたから、幼馴染み以上の関係なんてあり得ないっしょ」

「たしかに幼馴染みではあるけど……鼎ちゃん、なんでそんなにムキになってるの……?」

「なんでって、大事な友達のことだし? 危ない奴が近寄ってこないか心配なんだよ。千代子に落ち度はないけどさ、世の中って汚いから……」

「きゅ、急に厭世的~」


 喋り方にクセがあるだけで割と常識的な越路とは対照的に、月浦は彼女の言う『危ない奴』にカウントされても文句は言えないくらいの過保護らしい。あはは、と笑う荒鷹の声は乾いている。

 真金埼律貫──というのは、辰ヶ杜高校剣道部の真金埼だろう。剣道に触れたことのないおれでもわかる。県を代表する選手──というか全国的な知名度を誇るスター的な存在だ。

 彼は高校生が持つにしてはもったいなさすぎる程の恵まれた体格の持ち主で、その堂々たる佇まいは我々美術部からしてみれば恰好のモデルである。特に彫刻を手がけている越路は人体、特に筋肉に目がないので、拡大コピーした真金埼の写真を吊しながら制作に取り組んでいる。

 その真金埼と荒鷹が幼馴染みとは、とっても意外でおれびっくり。ちょうどクロッキー帳を開いていたので、端っこの方に真金埼の顔を描いてみようと思う。ちなみにうろ覚え。


「いいな~、真金埼くんが幼馴染みってことは、あの恵体を独り占めできるってこと、ですよネ⁉ アッア、想像したら涎が」

「お口拭きなよ。千代子は美術部じゃないんだから、あいつをモデルにする機会なんてないでしょ」

「でもでも、普通に触ったりしません? スキンシップで!」

「千代子がそんなハレンチなことする訳ねーだろ‼ しないよね⁉ いや、強制はしない! 好きでやってるなら、あたしは何も言わないから!」

「そこまでする間柄じゃないよ……」

「ッシャオラア‼」


 気持ち良くスパイクが打てた時みたいな咆哮を上げて、月浦がガッツポーズする。美人だけど残念だよね、と評価されるのもわからなくはない。


「あのね、違うんだよ千代子。千代子が選んだ相手なら、何しててもあたしは文句ないから。ただね、アポなしで余所の学校に乗り込んでくるような奴に悪さされてないかな~って心配なだけなのよ。決して真金埼が気に食わないとか、あいつとくっつくくらいだったらうちの男バレの方がマシとか、幼馴染みってだけで後方彼氏面されるのが嫌とか、単純にムカつくとかじゃないからね。そこのところよろしくね」

「う、うん。心配かけてごめんね」

「こっちこそ、余計なお世話だよね。あたしは何より千代子の意思が大事だと思ってるから、あたしなんかに構わず交友関係楽しんでね」

「鼎さん、目据わってますヨ……!」

「あははは嫌だな星良、あたしは見ての通りにっこにこだよ!」

「無理はしない方がいいんじゃないかな……」


 後ろを振り返りたくはない。うろ覚えの真金埼の横に、劇画調の月浦を描き足す。クロッキーの一角が凄味を帯びた。


「いつも心配かけてばかりでごめんね。気を付けてはいるけど、それだけ私が危なっかしいってことだよね……。もう高校生なんだし、自立しないとなあ」


 どこからどう見ても──おれの場合は背を向けているからどこからどう聞いても、と形容すべきだろうか?──月浦のお節介に他ならないが、荒鷹は自己反省に行き着いてしまった。謙虚で控えめな人なんだろうけど、自責ばかりというのは良くない。たまには周囲を観察して、友人の過保護具合に気付いて欲しい。

 友人にいらぬ自己嫌悪を抱かせた月浦だが、本当に悪気はないのだろう。先程までの気迫は一変して、申し訳なさそうな空気が背中越しにひしひしと感じられた。


「ち、千代子は何も悪くないよ~! こっちこそごめん、高校に入って、部活関係なしに一番最初に仲良くなったのが千代子だからさ、何というか……可能な限り降りかかる不幸を取っ払いたくて……。とにかく千代子はあたしにとって唯一無二の友達だから、理不尽な目に遭って欲しくないんだよ。だからついつい口出ししちゃうというか……ほ、本当に嫌だったら言ってね⁉ 何でも言い合えるのが友達だからね⁉」

「ううん、嫌じゃないよ。むしろ、ありがたいなって思う。……でも、私ってそこまで幸薄く見える?」

「幸薄いっていうか……千代子ってお人好しだから、何かと損ばかりしてるじゃん。別にね、千代子が好きでやってることなら否定はしないんだけどさ、千代子の優しさにつけ込んでいい思いしたり、千代子を傷付けるような輩も世の中にいないとは限らない訳。そういう奴らのせいで千代子が不幸になるのは許せねンだわ。千代子にはいつまでも健やかで、穏やかに暮らしていて欲しい……」

「鼎さん、善意十割なのはわかりますけどッ、だいぶ重い……ですネ!」

「言わないで~!」


 越路の指摘は的を射ている。友人間で構築する感情にしてはやたら重い。月浦も自覚はあるのか、半泣きになりながら弱めの抗議をぶつけていた。


「重くても嬉しいよ。私のこと大事にしてくれてありがとう」

「千代子ォ‼」

「とりあえず、お昼ご飯食べよう? 花鶏君への手紙の件も、真金埼君のことも心配いらないから」

「うん! でも真金埼はまだ安心できねーわ!」

「鼎さん、ああいう言葉の足りないタイプって苦手ですもんネ……」

「星良ちゃんはどうして真金埼君に詳しいの……?」

「…………エヘ」

「こわ……」


 何というか、荒鷹は濃ゆい人に好かれやすいみたいだ。真金埼も曲者とは限らないけど、没個性である可能性は低いだろう。

 せっかくなので、クロッキー帳に越路と荒鷹も描き足してみる。若干スペース配分を失敗して荒鷹だけ一回り小さくなっちゃったけど……うん、これはこれで。なかなかのではないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る